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2017年4月 5日

ソフィーの選択(1982)

Sophies_choice

- Universal -

ポーランド移民のソフィーと知り合った主人公は、ソフィーの恋人と3人で友情を育む。しかし、ソフィー達は深刻な秘密を持っていた・・・

・・・DVDで鑑賞。題名や、メリル・ストリープが主演女優賞を取ったことを知っていたが、作品は観ていなかった。82年当時の劇場主は暇だったはずだから、この作品はあまり興行成績が良くなくて、地方では上映期間が短かったか、ほとんど上映されずに観れなかった可能性が高い。

全くもって楽しくない作品。情操教育目的に子供に見せるのも、お勧めはできない。子供にとっては辛いだけの鑑賞になりそうに思う。ユダヤ系かポーランド系の人以外では、この作品は興味の対象外かも知れない。恋人といっしょに、こんな作品を観ていたら、恋愛に関するセンスを疑いたくなるだろう。

2時間半の映画だが、もっと短くできそうな印象を受けた。メリル・ストリープが微妙に表情を変えるシーンは、彼女の心情をよく表現してはいたものの、さすがに冗長な印象も受けた。一瞬の変化などを写して、印象的になるように工夫し、時間を短くすることもできたように思う。

ストーリーも小説向きで、映画としては複雑すぎたかも知れない。小説の場合は、主人公、ヒロイン、その恋人の3人がそれぞれ問題を抱え、互いに干渉し合って何かの事件が起こることは必要だが、映画の場合はセリフの量に限界があるから、雰囲気だけ表現して曖昧にせざるをえないと思う。たとえばヒロインの恋人がナチの資料を集める部分は、おそらく必要ない話ではなかったか?

メリル・ストリープもそうだが、ケビン・クラインも、ピーター・マクニコルも素晴らしい演技を見せていた。舞台などで活躍していた彼らは、この種の役柄には向いている。少し大げさな演技をする傾向があるからだ。精神を患った人間は、大仰な動作で感情を表現する時がある。その際に、舞台俳優のような動きは、ちょうど役柄に合う。

ケビン・クラインは特に雰囲気が良い。才能と狂気が同時に感じられた。でも、ひょっとしてだが、急に泣き出したりしたら、もっと彼の心情が分かりやすかったのではないだろうか?才能にあふれた幼少期を経た精神病患者は、周囲の人々に怒るとともに、きっと運命を悲しいと感じるはずだ。病気や障害は、基本的に悲しい感情を生むものだから。

ソフィーの選択が語られるシーンは、少し唐突な印象を受けた。おそらく文章の段階では問題なかった設定が、映画にする際に時間の都合上、不自然さを生んでしまったのでは?映画化の際には時間などを入念に検討して、無理がないようにすべきだったと思う。どの作品も、きっとそうしている。焦点を際立たせるためには、他のことは省略したほうが良い。最大の悲劇を隠して、最後に明らかになるほうが、映画としての流れは良くなったはず。

ポーランド人がアウシュビッツに送られたとは知らなかった。大量虐殺されたくらいだから、収容された者もいたかも知れないが、収容所はユダヤ人専用と思っていた。ドイツ側に収容で何か得るものがあったのだろうか?無駄な収容は、敵意を育てるし予算も必要。レジスタンスや政治犯以外は、放っておいた方が良いとは考えなかったのだろうか?

彼らがどんな思考によって周辺の民族を迫害したのか、その当時の人々の感覚が分からない。もしかすると人種差別、ユダヤ人排斥は、一種の‘産業’の側面があったのかも知れない。ユダヤ人の資産を没収できれば、金の流れを生む。排斥という事業に予算を投入すれば、そのための人員に給与を払えるから、雇用対策にもなる。軍事行動も、同じような理屈で投資~雇用対策の面はあったと思う。当時は事業を作ることが必要だった。事業は、税収を上げる効果もある。

もちろん、そんなことを堂々と言うバカはいない。だからこそ、そうだった可能性がある。恐慌後の経済的低迷から逃れるために、人種や政治体制を題材に新たな攻撃=新事業を立ち上げ、予算を集めて金を動かし、大きな流れを作ろうという意識は、互いの国にあったのでは?政権を維持し、政治の中心にいたいなら、事業の案を出し、金を流れさせないといけない。ドイツ以外の国々も、ドイツや日本が何かやってくれると、流れができて助かる。怖い話だが、その疑いはある。

犠牲者の事を心配していたら金が回らないから、不景気のままである。不景気は耐えがたい。景気が悪い間にライバル国は経済圏を使って発展し、将来の自国の立場が悪くなる。そうなると指導部の人気は落ちて、政権を維持するのが難しくなる。だから何か事業を起こさないといけない。国民の目の色が変わるような事業がぜひとも欲しい。

そういった殖産の意欲、政治行動の果てが、侵略や迫害になっていたのではと、なんとなくだが思う。そして今後も、形は変わっても基本はそうなるのではないか?

 

 

 

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