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2016年12月31日

殿、利息でござる!(2016)

Shochiku

- 企画力、実現力 -

廃れている宿場町の現状を危惧した人々が、一大決心をして資金を集め、利息で町を維持しようと企画。しかし、当然のように様々な障害が発生する・・・

・・・「無私の日本人」という本の一偏に、この話の原作は掲載されていた。作者の磯田氏は、「武士の家計簿」を書いた人物で、その評判を聞いて、この宿場町の話を知らせた人物がいたと書かれていた。地元愛と誇りに満ちた話で、原作には笑いの要素はほとんどないのだが、映画化にあたって喜劇に振ったようだった。DVDで鑑賞。

驚くべき話で、農家や町民の中に知恵と勇気、公共精神、地元愛に満ちた人物がいて、支配階級の武士に対して交渉し、成功を収めたことに感嘆する。企画した連中は、映画のような理念より、まず自分の子孫の将来を第一に考え、そこから地域全体の利益へと発展させたのではないかと思うのだが、それでも凄い話。彼らは命を賭けていたのだから。

作品は家族で鑑賞できる内容だと思う。多くの人は彼らの理念に感服し、感動できるはず。恋人や子供と観ても悪い内容ではないだろう。ただし、非常に満足されるかどうかは分からない。喜劇に振りすぎた可能性も感じる。笑いより、美しさにこだわって演出しても良かったのではと思う。

その路線の選択が難しい。この話で喜劇を作って受けるかどうか、真面目一本の作品で受けるかどうか、どちらも難しそうに思える。よほど人物を魅力的に描かないと、どちらでも観客はそっぽを向くように思う。

主人公である穀田家は、勘違いに近いほど企画にのめり込み、傍から見ればおかしい、狂っている人物像に描くなら、阿部サダヲが演じるままで良いと思う。もっと狂気を強調して演じたほうが良いかも知れない。

頭脳明晰な茶屋商は、もっと神経質そうで繊細な人物のほうが良かったように感じる。勘違いした主人公に引き回され、理解力があるだけによけい恐怖におののきながら作戦を進める人物だと、よりリアルに、しかも漫才の掛け合いのように描けたと思う。瑛太がそのまま演じて良いかも知れないが、彼の役に限って笑いの要素は排除すべきだったと思う。

本家を継いだ弟役は、妻夫木ではなく、悪役俳優が欲しかった。話の流れから考えてもそうだろう。憎々しげにクールに登場し、急に本来の姿を見せるなら、役柄に合致する。妻夫木ではリアルに感じない。

全体に、重厚感が足りない印象を受けた。高圧的な武士達に向かい合い、企画をプレゼンする際の重苦しさ、ひとつ間違えば直ちに命を失う恐怖感、そういった重みがあったほうが良いはず。能の声のような古めかしいBGMなら有効だったのでは?喜劇とリアルな部分のバランスは、喜劇に傾けすぎだったように思う。

この作品では、諸悪の根源が誤った規則にあることを認識し、適切な方法で被害の解消を狙った流れが、非常に明確に描かれていた。直接的に法令の撤回を訴えていたら、怖ろしい結果が待っていたことだろう。今日でも、似たような手法が必要なケースはあるはず。民主主義の国のはずなのに、今日でも改革は難しいのだが。

日本の地域集落は、かなりが衰退の気配に満ちている。グローバルな経済活動の結果や、政府の長年の方針によると思う。日本だけに限らない。産物の生産販売競争に勝ち残れなければ、世界中どこの地域でも消滅する危険はある。名産品を作ること、販売先を増やし、産業として生き残れるようにすることが、家の一軒一軒、村の一つ一つに必要で、自治体の援助を待ってても成果を期待できない。それは分かっていること。

医療機関も、衰退産業に属していると思う。一般の小売店と比べたら優遇されてはいるが、医療費を抑制する流れが続くはずだから、個々の努力だけでは限界がある。なんらかの協力によって、生き残れるような企画立案が必要と思う。でも、残念ながら医師会には、そのような雰囲気がない。利権や名誉の獲得競争、内部の諍いなどが蔓延していて、足を引っ張り合う構造的な欠陥を抱えている。

一個の家庭、店、医院などを単位に利益を確保することは大事で、企画によって店を潰そうとしたりするのは、永続性を考えると絶対に避けるべき行為。ただし、リスクを犯して優れた企画に挑戦することは、望ましい方向性と思う。自分の犠牲を厭わない覚悟は、なかなかできるものではないが・・・

個人の利害と、地域の利害との方向性を一致させることに成功しなければ、事は始まらない。しかし、まだ勘違いや欲の張り合いが蔓延しているように思う。私自身も、そして皆々も勘違いしている可能性が高い。そこを調停することは、生きている間には難しいかも知れない。そんな消極的な考えではいけないのだが、たとえ優れた企画力があっても、主人公の先代は行動に移せなかった点は映画の中でも確かだった。

そこも現実と認識せざるをえない。

 

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