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2016年10月20日

アルフィー(1966)

Paramount1966

- ライフスタイルに関して -

青年アルフィーは性に奔放なプレイボーイ。しかし、恋人が妊娠し、自分は病気をして、考え方が変わらざるをえなくなってくる・・・・

・・・・1966年発表の、マイケル・ケイン版。後年のジュード・ロウ版よりも気取った話し方が目立つ印象。よくは分からなかったが、主人公は英国の庶民の話し方をしていたはずと思う。あるいは、上流階級を気取る下層階級の人間の話し方か?そのせいか、ハリウッド映画のアクセントと少し違う感覚。

原作は舞台劇用だったらしいので、おそらくイギリスで上演されていたのだろうか?

主題歌がバート・バカラック作曲だったとは知らなかった。この映画ではシェールが歌っていたそうだが、後年のヴァネッサ・ウイリアムスのものは非常に美しい楽曲になっていて、聞き惚れてしまう。ジャズ部分はソニー・ロリンズが担当していて、アルバムにもなっているという。でもメインテーマ以外の曲、サントラ盤全体は聞いたことがない。テーマ曲が、この映画のテーマに合っているかも、少し疑問に思う。

この作品は、どことなく「ティファニーで朝食を」と似た雰囲気を感じる。都会で暮らす若者が、夢と現実の間で迷い、変化していく流れについては同じだ。主人公は上流階級の人間ではないが、上流の人との接点があること、前半部分で調子の良い生活をするが、問題が発生すること、また豊かさに関して肯定的で貪欲でさえあることも同じと思う。制作年代も近い。

教訓めいた流れを感じる。主人公が教訓を得ながら、ちょっぴり反省したり、独自の理屈で対処したり、実際に若者が体験しそうな経験、学びそうな教訓を自然な流れで散りばめ、話を展開させているのに感服する。

昨今の映画だと、教訓めいた流れになると受けないと考えられているようだ。悪者が試練を切り抜け、悪いままであるのが普通。不幸が襲ってくる人物が、とことん不幸のまま何も光明が見えないでも当然といった、一種の観客の心情への裏切りが主流になっている印象。それで良いのだろうか?誰でも教訓話は嫌なものではあるが・・・

この作品は、家族で楽しめるタイプの映画ではないように思う。グロテスクなシーンはないのだが、主人公が明らかにグロテスクな死体を見ているだろうといった演出は結構きつい。子供には向かない映画だろう。恋人と楽しめる内容かどうかも、付き合い方によるかも知れない。

劇場主は、かって生意気な青年だった。自分の考え方、生き方が断然正しいだろう、少なくともそれを目指しているように思っていた。なんでそんな感覚を持っていたのか分からないが、自信過剰な部分と本当の自信がない部分があり、バランスをとれていなかったように思う。女子を気にして、恰好づけていた面もあった。

勘違いした感覚は、しかし誰でも持つものと思う。ある程度自信過剰でないと、自分の能力を発揮する機会さえつかめない。勘違いしてトライし、失敗して初めて事情が分かるものだろう。勘違いは仕方ないし、ある意味で当然で必要なものだったと思う。アルフィー君のセンスによる判断が、微妙に狂って危機を生じる様子は、劇場主にも思い当たる点があった。

スポーツの世界では、体力的に桁が違う選手と対戦して、自分の能力をはっきりと自覚しやすい。でも実社会は違う。社会における処世術、ライフスタイル、生きがいや一日の時間の使い方などに関しては、解答、客観的な結果というものがつかみにくい。失敗しても単なる不幸に過ぎず、失敗と認めないこともできる。失敗で生き方を変更する必要を、頑として認めないこともできる。

だから、この映画の主人公の場合、自分の理念を理路整然と述べる。自分が間違いを犯していた、最悪の人間だったとは認めていないようだ。その言い方がまた重要で、無理を感じつつ、理屈で言い訳めいた解説をする、そんな姿に劇場主は共感する。自分が、まさにそうだったから。

 

 

 

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