映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主

  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« 二十日鼠と人間(1992) | トップページ | 訴訟(1991) »

2016年9月11日

黄金のアデーレ 名画の帰還(2015)

Woman_in_gold

- 不利を承知? -

ヘレン・ミレン主演の伝記的な映画。DVDで鑑賞。

クリムトの絵の裁判のことは、報道を読んだ記憶がある。でも、特に興味を惹くものではなかった。絵の歴史のせいかも知れない。古典的な作品なら、もっと興味を持ったろう。この作品も、子供の興味を惹くような内容ではない。子供や若者は退屈するだろう。

クリムトは日本の屛風画の影響を受けているそうだ。西洋美術の解説書を読んで知ったのだが、たまたま本人が職人の家に生まれ、日本の金箔絵画の手法を再現できた関係で、写実的な人物像と、幾何学紋様の背景を組み合わせることができたのだろう。アデーレ像は、日本人の感覚では、ちょっとシュールな印象を受ける。

この作品の前に、BBCはドキュメンタリー映画を作っていたと言う。それが、この作品の成立に重要な働きをしたようだ。番組を観た人が、これをドラマチックに再現したいと考え、映画化されたという。でもドキュメンタリーのほうが、テーマにふさわしいように思う。

ヘレン・ミレンは英国女優だから、主役にふさわしかったかどうか、少し疑問も感じる。リアルさを徹底したいなら、オーストリアにゆかりのある女優のほうが、なんとなくだが、迫力が出る。彼女はロシア系らしいが、オーストリアにゆかりがないのでは?でも、演技やセリフの発音に関しては、日本人が気づくほど妙な点はなかった。

弁護士役のライアン・レイノルズは今回、非常に素晴らしい。坊ちゃん風で真面目そうな印象、どこか抜けていて人が良さそうな表情は、こんな役にはピッタリだった。切れすぎる印象の俳優では、役柄には向かない。観客の共感を生みにくいと思う。実際の弁護士氏は全く違った強面の人物かも知れないが、この映画のキャラクターは、ストーリーに個性が合致していた。

実在の人物、マリア・アルトマンの運命には驚愕する。豪商の一家に生まれて、有名な芸術家と接する機会があり、やがてナチスに追われて米国に渡り、名画の権利を争う運命とは、いかにも映画的、まったくもってドラマチック。

しかも、絵画の一部はヒトラーの別荘に行ったとなれば、当然ヒトラーが鑑賞したはずだし、首飾りが幹部の奥さんの手に渡ったなど、驚きの経緯。この映画のホームページによれば、ヒトラーのお兄さんによって、彼女の叔父は海外に逃げることが許されたという話もあるそうだ。

アデーレの絵は有名だから、それを米国に持って行くとなると、国宝を失うような感覚がオーストリア側に生じると思う。権利関係の法的な面はともかく、心情的に国家の財産が奪われるような感覚になるはず。そんな感覚の強さに関して言えば、凄く歴史のある芸術品なら、それが強固な感情になり、いかな名画といえど歴史が浅いなら、権利関係を優先・・・そんな判断が、一般的ではないだろうか?

だが、奪われた側からすれば、時代がどれだけ経とうとも、強奪を許すことはできない。権利が優先であろう。「ミケランジェロ・プロジェクト」も、その基本的な認識で、この作品とつながっている。アイディアは、同じBBCの番組から得たのかも知れない。

日本軍がどれくらい強奪をしたのかが気になる。日本ではあまり報道されないから知らないが、実際には中国朝鮮の骨董品の中に、強奪したものも多いのではないか?取った人物を特定できないように工夫されたら、買ったものか取った物か、すぐに曖昧になる。そして返還に応じる場合には、そのための法律が必要だろうが、この映画で使われたような法律は、日本にあるのか?

日本を舞台にした作品は、ちょっと作りにくい。いつか菅総理の時代に何かを返還しようとして、右翼か学者が問題視した事件があったが、あれは法的にはどう扱ったのだろう。総理だからといって勝手にやって良いはずはない。強奪品を返還する際の規定は、どうなっているのか?そもそも規定があるのか?

逆のパターンで、今も法廷闘争になっているそうだが、対馬の寺の仏像が韓国人に盗まれた事件があった。大昔に日本側が盗んだ可能性はあるものの、倭寇の時代のことは証明が難しい。事実関係の確認なしに奪い去った韓国人の行為は、窃盗に相当してしまう。倭寇の行為を正当化するわけではないが、法的な手続きをやって欲しかった。韓国の裁判所は、最終的にどんな判断をするのだろうか?

感情がともなう問題は、法律だけで仲裁、解決するのは難しい。でも、そうすべきと思う。強奪、盗難、実力行使で事を決するのは、歴史的に考えると正当化されるべきではない。問題点は、その際のルールが有力な勢力が決めたものになる点。多くは欧米によって、勝手放題のルールができる傾向はある。決め方に問題はある。でも、無駄な争いを避けるために、なんらかのルールは必要だろう。

法に従えば良いとは限らない。‘米国市民の権利は、外国に要求することができる’・・・これは無茶な法律だと思う。武力、国力が充分にある米国だからこそ実効性もあるが、小国にこんな規定があっても意味がない。米国政府が後にいたからこそ、アルトマン側は外国との交渉が可能になったのだが、こんな規定のある国はそうないのでは?もしオーストリア側に同じ程度の権利を持つ相続人がいたら、どう判断すべきだろうか?国の力関係で決するのか?

エジプトのミイラも、大英博物館に行ったまま、返還されそうな気配がない。パリのオベリスクもそうだ。それが、残念ながら普通一般の状況。英仏がとんでもなく没落したら、状況は変わるだろうが・・・

そもそも当時のオーストリアの狙いがよく分からない。投資を呼び込む必要性から、諸外国の要求を飲んだのか?あるいはユダヤ系の圧力で、やむなく審査会を開かざるをえないと判断したのだろうか?心から出た、自発的な行為だろうか?その際に、米国の無茶な法律が自分たちを不利な立場に追いやると、考えつかなかったのかも知れない。結果として、悪役に回ってしまった。でも、不利を承知でそうしたとしたら、勇気を称えたい。

 

 

« 二十日鼠と人間(1992) | トップページ | 訴訟(1991) »