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2016年8月 9日

ファイブ・イージー・ピーセス(1970)

Columbia


- チキン抜き -

石油採掘現場で働く男は、音楽一家から離れて放浪中。彼の恋人は妊娠中なのだが、彼は結婚を嫌がっていた・・・

・・・・ジャック・ニコルソンが主演した作品だが、ヒロイン役のカレン・ブラックのほうが素晴らしい味を出していた。上品ではない育ちっぷり、教養のなさを感じさせ、センスや運動神経にも優れていないが、それなりに自分の世界で生きてきた、そんな女性の可愛らしさが強く感じられた。

そう言えば、「華麗なるギャッツビ-」でも愛人役で、似たような個性を演じていたように思う。少し斜視があったのだろうか、なんとなく知的でない印象があり、売春婦や場末のウェイトレスなど、下層の役柄が似合う女優だった。おそらく実際は凄く頭の切れる女性だったろうが。

もし可能なら、この作品をカレン・ブラックを主人公にして、超悪役ニコルソンの極悪ぶりを延々と描き、品はないけど可愛い女性の悲劇として描き直せたら面白いと思う。同じフィルムで、編集方針さえ代えればできるのでは?

その場合のタイトルは、そうだなあ・・・「チキン抜きチキンサンド」はどうだろう?売れそうにないかなあ・・・

この作品のタイトルの意味がよく分からなかった。作品のセリフの中に、おそらく聖書の謂われか、音楽的な慣用句(ピースが曲を意味する?)かなにかで語られていたはずだが、聞き漏らしてしまった。聞き漏らしても、主題には影響ないような気がしたので、見直さなかった。たぶん、真に作品のテーマを表現したタイトルではないのでは?

おそらく、この作品のメインテーマであり、最もこだわるべき点は、主人公が逃避したい気持ちを表現し、観客に納得させられるかだと思う。彼が何にうんざりした表情をし、怒り、何を望んだかが、その気持ちを表現しているはず。上手く描けて、観客が共感できたら成功だ。

自分に居場所がない感覚、他の人間と共感し、連帯感を持って生きられない感覚、挫折感や喪失感、孤独感、そういった感覚は、70年代当時は世界中に蔓延していた。景気や戦争や、情報公開によって、古い考え方の修正が求められた時代だった。

政府やマスコミの嘘が明らかになり、古い観念に基づく健康的な生き方は、偽善に満ちたものだと判った場合、どう生きて、人とどう付き合うのかは難しい問題になる。そこに主人公は戸惑っていたように思う。偽善が大きなテーマで、それに対する主人公の嫌悪感、イライラする感情、逃げていくまでの思考過程が、この映画で描かれたものと推測できる。

メインテーマはそれで、好意を抱いて誘惑を試みる女性との関係などは、おそらく枝葉的に挿入されたものでは?

利益しか考えない人間は、偽善が明らかになっても気にする必要はない。例えば米国の生産現場が海外に移り、地域の経済が悪化しようと、企業の重役や株主は困らない。グローバルに生きて利益が得られれば良い。そうでない人間、利益以外のことにこだわる人間は、世代間でも異性間でも、価値観で対立するのだろう。

レストランで無理筋の注文をするシーンがおかしい。チキン抜きのチキンサンドといった注文は、真面目な店員だったら怒り出すのも当然だ。注文の際の態度も慇懃無礼な感じが濃厚で、これもバカにする意図がよく出ていた。真面目な注文する客や、公衆の嘘っぽいマナーをバカにしたと言えるかも。

音楽一家のハイソな趣味には、確実に嫌悪感をもっていたはず。だから逃げ出したのだろう。パーティーで、論理的な口調で語っていた女性に腹を立てたのは、そのせいだと思う。そして一方で、自分の恋人のあまりに低レベルな会話にも愛想をつかしていたのは、能のない人間への嫌悪も表すと思う。一定の知性やセンスに好意を持ち、それから離れると嫌悪感を持つ、そんな態度に主人公はなっている。

ヒッピーのような二人組の女性の存在は、どういう意味だったか曖昧な印象を受けた。ベラベラと独特の意見を言い続ける女に対しては、主人公は肯定も否定もしていなかった。共感した様子もなかったので、あまりに世間から逸脱した理屈に納得はしていなかったのでは?つまり主人公は隠遁生活までは目指していないと思える。

だから、世間一般の人のように恋人と結婚して責任をとるのも嫌、芸術的な活動に戻るのも偽善的で嫌、ヒッピーと行動を共にするのも嫌、新たな恋に生きるのは相手から拒否され、つまりは逃避して新しい町で仕事を探そうかという流れになる。逃げることしか選択できないのだ。

ガソリンスタンドでふいに恋人を置き去りにして、逃避行に出るシーンが、そのままラストになっていた。秀逸な終わり方だと思う。あのラストは、カレン・ブラック主演版でも使わせていただきたい。

 

 

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