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2016年7月13日

エベレスト 3D(2015)

Universal

- 感動は・・・ -

エベレスト登頂を目指すグループが経験する試練を描いた作品。3Dと特に断ってあるのは、クレバスや山々の深さ、高さを3Dで表現することに徹していたからと思う。美しく、迫力のある、でも非常に怖ろしい映像であった。

有名俳優が多数出演していた。ジョシュ・ブローリンやジェイク・ギレンホールが演じた役は、この作品では主役扱いではないから、普通なら無名俳優でもいいのでは?と思えるのだが、喜んで出演していたのではと感じさせる存在感、実在感を見せていた。

監督も知らない人だったが、制作者か誰かに彼らと共通の友人がいたのだろうか?あるいは、各々の俳優が登山に興味があり、事件を扱った本を読んで出演を希望したのか?事情はよく知らない。

生死をかけたアタックは、映画の題材として最高だとは思う。成功した場合も、悲惨な結果に終わった場合も、両方ともドラマは盛り上がるはずだ。そこを考えて、出演を希望したのかも知れない。あるいは単に資金が大きく集まってギャラが良かったのか?

この作品は感動作になりきれていないと思う。子供が観て楽しめる内容とも思えない。ハッピーエンドとは言えない。得られる教訓は色々あるが、建設的な描き方をしているようには感じない。視点を少し変えると、もっと感動につながったのではないか?

おそらく、制作にあたって相当高額な保険が設定されたに違いない。撮影が相当な山岳地でやられたことは間違いないと思うし、低い山だって転落事故などは起こりうる。カメラを担いで急な斜面を行き来するだけでも、転倒や故障の危険性は相当あったと思う。見事な映像だったが、それに要した撮影は危険極まりないものだったろう。

この作品は、おそらく同行していたジャーナリストによる書籍や、凍傷を負った人物の手記を元に脚本を作ったように思う。特定の人物をヒーロー扱いしたようには思えないが、特定の団体のわがまま行為を非難はしていた。危険地帯で独断的な態度を取られたら敵わない。ただ、映画で誰かを特定して描いて良いかは、微妙な問題とも思った。

劇場主は8000メートルの高地の呼吸の状態など想像できない。4000メートルクラスのユングフラウでは特に空気の薄さを感じることはなかったが、たぶん鈍いだけだろう。さすがにその倍の高さだと、息苦しいと分かるはず。そして理解に苦しむのは、そこに酸素ボンベを持って上がること。

病院で使うボンベはものすごく重い。材質がそのままでは、とても持って登れないから、山岳用はアルミか何かの特殊素材になっていると思うが、それでも金属だから、重くないはずはない。ある記載によれば3.5キロもあるそうだ。

これを複数持って上がると、そのぶん消耗も激しいはず。1本ではせいぜい10時間くらいしか保たないと書いてあるけど、予備を考えると2本は必須だろう。7キロは厳しい負担になる。10時間で確実に済むためには、入念な準備が必要。仲間割れや競争などは、絶対にやってはいけない行為。

エリスロポエチンの注射などは、今は使われるのだろうか?ジェネリック製剤もあるだろうから、一般的に使われているかも知れない。ダイアモックスも高山病予防に必ず使うだろう。

なぜエベレストを目指すのか、劇場主にはそこが理解できない。景色は美しいだろうが、3000メートルの山だって充分に美しい景色は見られる。既に登頂はビジネス化しており、成功した人間も多いから、名誉についても限定的。それでも登頂を目指すのには、自己満足の部分がかなりあるように疑う。極論すれば、自己実現欲が主な理由ではないか?

自己実現欲、達成欲は成功の原動力である。学業や事業においても、派手な成功をしている人は、無茶なくらい努力し、虚栄心や攻撃性に満ちていることが多い。周辺の人間に害を及ぼさないなら賞賛すべきだろうが、その人の成功のせいで組織全体が壊滅することもある。そして本人の生命に関しても、諸刃の剣である。

気象情報などは、今の時代は正確に分かりそうな気がする。ベースキャンプからの情報で、数時間後にどうなるか伝えれば、遭難しない時間帯を探せると思う。96年の遭難は、何かのミスがあったはず。当時でも衛星を介して充分に通信できていたような気がする。位置情報を送り、天候の変化も随時確認できたはずと思う。

 

 

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