映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主

  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« 007は二度死ぬ(1967) | トップページ | ペイル・ライダー(1985) »

2016年6月13日

オデッセイ(2015)

20cfox

- 事故対応 -

火星探査中に事故で取り残された主人公。知識を駆使して食料を確保し、数年間は生き残ろうとするが、救援作戦は失敗してしまう・・・・

・・・・故郷に帰るまでの長い旅を扱った映画は多い。つい近年の「ゼロ・グラヴィティ」もそうだった。「インターステラー」もそうかも知れない。故郷=地球に帰りたいという願いは感動につながる。この作品もなかなか出来が良かった。

大感動作とは思わなかった。かなりユーモアに満ちたセリフが多く、厳しい状況でも平気で辛辣なジョークを飛ばしていたので、時には深刻さが曖昧になり、その結果として感動も損なった面はあるかも知れない。ジョークを飛ばしながら泣き出すといった感情表現が足りなかった。

それにもうひとつ、この作品は砂漠地帯で撮影していることがはっきり分かる。二流のSF映画でも、優れた技術で地球外惑星に見せることができる現代である。もう少し処理して、明らかに地球ではないと感じさせるべきではなかったろうか?重力の度合い、空の色なども、火星とは感じられなかった。ちょっとスローモーションにするだけでも違ったのでは?

中国との連携も、現実味を損なう結果になったと思う。中国のような国で意志決定が簡単になされるはずがない。科学者達が意見を上申し、長いこと検討がなされて政府の決定が降りるというのが通常のはず。二人の科学者に決定権はない。テレビのSFドラマのような演出では、真実味を損なってしまう。設定が安易すぎると、リアルでなくなる。

宇宙の怖さを表現するために、誰か死人が出ていたほうが映画的には良かったかも知れない。二人が遭難し、優秀で勇敢な人物により主人公が助けられる、そして優秀な彼が犠牲となり、辛い別れの後に一人が生き残る・・・そんな流れのほうが、よりドラマも盛り上がったろうと思える。

悪役が欲しかったようにも思った。たとえば主人公の救出に難色を示してばかり、スタッフの邪魔ばかりする上司、そんな人物がいたほうが良い。この作品の上官も結構好かれない役柄だったが、徹底ぶりが足りなかった。議員になるため事件を利用することしか考えないような嫌な役柄が欲しかった。

もし、どこか厳しい場所で取り残されたらどうすべきか?この作品で改めて考えた。実際の遭難では物品も食料もなく、なすすべがない場合が多いかも知れない。でも、主人公のように考え、着実にこなす態度は必要と思う。食料や燃料、酸素などの余裕を確認し、何日もつか把握する、不足分を調整、調達する、連絡手段の確保を考える、それは地震や台風などの災害においても同じ。

NASAのような組織では、実験して現地にアドバイスするスタッフが大勢そろっていると聞く。カバーを取り外し、幌に換えるといったアイディアは、さすがに普通の人間は考えきれない。多くの仕事を分担し、速やかにやれる組織力は、NASAの底力を感じさせた。おそらく実際のNASAもそうだろうと期待できる。

日本の宇宙開発局も、失敗を繰り返しながら、人材も予算も足りない中で頑張ってきたと聞いている。ただし組織力に関しては、日本の社会は独特の悪弊に陥る傾向があるので、特に想定外の事態においては遅れを取ってしまうと思う。一度経験してしまうと、確実に処理する点には優れる傾向がある。震災への対応でよく分かる。

想定が下手な人間が上層部に選ばれる傾向を感じる。少なくとも、常に上層部が正しい判断を下すはずはない。そんな場合に、方針を修正できるかどうかが大事で、公平な立場で意見を述べ、正解を導く必要性へのコンセンサスが大事。修正作業を怠ると大失敗することを、徹底して教育する必要がある。

命令と服従だけで常に優れた仕事ができるはずがない。上司が常に正しいはずもない。軌道修正できる組織を作ることが、あらゆる組織にとって大前提である。それを、いとも簡単に我々は忘れる。

最近、北海道で小学生が行方不明になった騒動があった。幸い、自衛隊の基地で発見されたそうだが、基地に誰かが侵入し、小屋に寝泊まりできるなら、テロリスト達は喜んで侵入できると判明したことになる。「テロリスト様、ご優待」と、看板を出したら良い。

また、移動能力の低い小さい子供を探せなかったなら、テロリストを捜し出すことは絶対に無理と判明したことにもなる。言っては悪いが、基地の管理が不徹底、警備不十分、想像力不足、総合的能力不足であることが証明されたと言える。

あらゆる可能性を考えることができていなかったのは間違いない。隊員達自身が遭難しても、見当違いを繰り返しそうな気がする。本人達は強硬に反論するだろうが、想定が苦手な上官が大勢いて、判断を間違っているに違いない。

 

 

« 007は二度死ぬ(1967) | トップページ | ペイル・ライダー(1985) »