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2016年4月20日

熊本地方の地震(2016、4月)

- 体験記 -

2016年4月14日午後9時26分から熊本地方に発生した一連の地震を経験した。自分なりの記録を、ここに書き留めておきたい。

14日(木)は夕方にジムで運動をして、8時くらいに帰宅。食事を済ませ、2階に上がった。地震は9時26分だったそうだが、その頃は風呂から上がって、部屋の作業を種々やっていた。

最初の揺れは洗濯物をたたんでいる時。一瞬めまいかなと思えるような揺らぎ感を感じ、物が動いていることを目視して、本格的な横揺れと気づいた。地鳴りが強く、これは大きな地震ではと直感。徐々に揺れの振幅が大きくなって、震度5くらいあるかもと思い、それでも物につかまっていれば移動できること、階段などが壊れるほどの強度ではないように感じられたので、10秒後くらいにつたい歩きで移動を開始し、一階に降りた。震度は5強~6弱だったらしい。

揺れがどれくらい続いたのか記憶がはっきりしないが、余震とつながったような感じで、数分は微妙に揺れていたように感じた。家の倒壊の恐怖を感じるほどの揺れは最初の数秒、後は「これなら動ける、ガスなどを止められる。家族を移動させられる。」と、判断する余裕があった。無理して平静に判断しようとしていたのかも知れない。

階下の家内にガスを止めるよう声をかけた。でも返事がない。降りて自分でガスを止めた頃には、ほとんど揺れは治まっており、家族の無事を確認。

家内と末っ子は居間のテーブルに潜っていた。残念ながら、テーブルは低すぎて、かえって下敷きになった場合に良くないと思うのだが、とっさのことで仕方ないだろう。家の中の点検をしている間、近所から人が出てきたので、互いに大声で安否を確認したりした。

電話を最低限かけてみたが、通話できたのは長女と、向こうからかけてきた次男のみ。通話が混み合うから当然。

テレビで被害状況を確認した。震源地から外れていると分かり、少し安心。ここで解説者は余震に注意するようにアナウンスしていた。もっと酷いのがくるなどとは誰も言わなかったと記憶している。これは、翌日になってもそうだった。「同レベル」とは言っても、もっと強いだろうとは誰も言わない。その時は気がつかなかったが、それで自分に油断が生じていたと、後で分った。

翌日のことを考えて11時半頃にいったん就寝。夜中に職場の被害を確認することは控えた。途中で事故に遭うのが怖かったし、家族と離れるべきではないと考えたからだ。夜間も震度3程度の揺れを何度か感じ、それ以外にも弱い揺れや妙な地鳴り音、報道のヘリの音、周辺の住民の声、車の往来の騒ぎも酷かったので、静かになったのは朝方だけ。

近所の方々は、かなりの人数が中学校に避難したらしい。でも、数時間で帰って来た家族も多い。避難所となった中学校が騒々しいし、揺れも続かないだろうという判断をした方が多かったからのようだ。災害は今夜で終わるのだ・・・・そんな認識が主流だったのだろう。

翌日、簡単に朝食をすませて診療所へ。途中、家の土台、ブロック塀などがあちこちで倒壊している様を確認。車で行けるか、そして建物が倒壊していないか心配だったが、ガレキをよけながら到着したら、建物が外見上はちゃんと立っていることを見て、一安心。もし倒壊していても、なんとかできると自分を鼓舞していたくらいだったから嬉しかった。

駐車場では、家が傾いたH氏と、呼吸が苦しくなったG氏が待っていた。G氏の脈拍は100以上、室内の状況を確認してから心電図を検査。心房細動らしき所見。サンリズムを飲んでもらって家に帰す。1時間後、イグザレルトを持って自宅を訪問したら、脈は80程度で薬の効果があった様子。本当はエコーまでやりたかったが、省略。

診療所の内部は予想通りの荒れ方で、カルテ棚がひとつ、レントゲン棚ひとつに薬棚が一つ倒れ、立っている棚も位置が大きく動いて、修正が必要。花瓶や時計、薬などが散乱しているのを最小限まで片付け、機械類の動作を確認し、診療可能と判断し、職員に電話を試みる。結局、職員は2名到着。

外壁のひび割れも目立つが、建物の傾きはなし。崩壊は考えにくそうな印象。15日の診療は15人程度。お互いの被災状況などを話して、薬だけ渡した。

15日夜は、水道は出ているものの微妙に濁っていて、呑気な話だが「温泉に入れるよ。」と、笑いながら子供に話した。家族はいつも通り、風呂に入ったり入らなかったり、夜更かしもしていた。ライトなどを用意し、明日に備えて早めに就寝。10時頃。でも余震の連続で睡眠は浅い。

16日早朝、睡眠中に激しい横揺れ。震度5以上はありそうに思った。家内は下でスマホをいじっていた。安否の連絡で結構時間を喰ってしまうのだ。食器棚が倒れて皿がいくつか破損したが、見ていることしかできなかった様子。揺れが治まってきてから、劇場主は伝い歩きでガス栓の状況を確認。揺れの数秒後くらいに停電したと記憶している。幸いライトの傍にいたし、携帯のライトが照明代わりになったので、傍にいた長男にライトを探させた。

電気は数十分後くらいだったか、開通した。外に出て周辺の住民の安否を確認した。隣の方達は再び中学校へ避難を開始。我が家は家が安全と考え、2階で過ごすことを決めた。目立った外壁の破損などはなかった。

16日早朝の震度は、震源地では7、我が家付近では6強だったらしい。

14~16日も、夜間は頻繁に余震が襲ってきた。ギュルギュルきしむような音が強まって限界に達したかのようにドーンと大きな音がして、1秒後くらいに横揺れするパターンの時が最も揺れが強く、震度は3程度。その他、ドーンという音だけの場合もあり、横揺れだけの場合もある。

大きな音の時の振動は、下から突き上げる場合もあるし、稀にいったん下に降りる感覚の時もある。振動の伝わり方、震源の位置の違いによるのかも知れない。

おそらく、地盤がずれていく音がきしむ音の元になり、ドーンという音は岩盤の破損の音か、あるいは引っ張られて真空状態になった地中の空間が元に戻る音のような印象。ちょうど関節がポキッとなる音のメカニズムに似ている。横揺れは、距離に応じてあったりなかったりではないか?直下に近い方向の場合、横揺れ省略の場合もありうると考えたが、どうだろうか?

地震警報が地震発生後にしか鳴らないので、システムは改善する必要があると思う。きしみ音を把握できれば、きっと予知につながる。小さな真空発生の音、または岩盤の音でも可能かも知れない。また、今回は数週間前にGPSの解析で九州中南部が南に張り出しつつあるという研究結果が放映され、事前に覚悟のようなものはあったので、これが進めばきっと予知ができるだろう。

今の警報は、震源が近い場合は揺れた後にしか鳴らない。ほとんど使い物になりにくい。巨大地震の場合で、震源地から離れた場所でだけ有効かも知れない、しかし救命に役立ったという根拠は乏しい・・・そんな風に評価できる。無駄な事業だったかも知れない。地震の感知方法を考え直すべきだ。GPS解析は有望だ。

近所の方々の御厚意で、井戸水のお裾分けをいただいた。トイレの排水が可能になっただけで、非常に嬉しかった。

これを書いている19日の段階で、市内の一部は水道が復旧している。電気は今回はかなり維持されていた。都市ガスやJR,市電、バス類の再開が未だ。スーパーがかなり開いてきたのは、震源が市の中心部から少し外れていて、北側から植木インターまでは物流が維持できていたことが幸いしているのだろう。17~18日でも、ドラッグストアなどには物がかなりあったという。

19日早朝も、余震が酷かった。気のせいか、夜中のほうが余震の頻度が多いような気がする。地震も昼寝をして体力をためているのか?余震の回数が多いことや、大事な文化財の被害が多いことなど、性格の悪い地震である。

ギャグめいたこともあった。14日の揺れの後、末っ子と各部屋の状況を確認した。「うわあ、この部屋ひどいね!」と子供が叫ぶ。「・・・・そこはお母さんの部屋で、元々がこんな風だよ。」と、解説せざるを得ない劇場主の境遇が悲しかった。

17日はかなり余震が減り、家族はイビキをかいて寝ていたが、劇場主は悲しいかな、そのイビキでかえって眠れなかった。3日間のうち、昼寝できた16日の午後だけが休息でしたという、厳しい被災生活。

加えて、腰が痛くなるほど苦労して汲んできた水を、いとも簡単に一回の尿で流して当然そうな顔をしている我が子に腹が立った。尿だけの時は流すな!ウンチの時だけ流せ!ええ~毎回流していいじゃん、水は溜まってたよ。あれ?オレ、逆と思ってた、ウンチはそのままじゃなかったの?馬鹿野郎、その水はお父さんが汲んできたんだ!そんな会話を何度も繰り返した。

怒りながら、結構楽しんでいた。なんと言っても、家族の誰も怪我すらしてないわけだから。

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