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2016年1月 1日

資本主義の終焉と歴史の危機(2014)

- 水野和夫著、集英社新書  -

利潤を追求する資本主義は、民主主義とは対立する。資産格差が嵩じて行き、また今後は新たなフロンティアがなくなることで、終焉に向かうといった内容。

・・・・劇場主は子供の頃、民主主義=資本主義と信じていた。欧米の国々がそんなイメージだからだろう。日本の首相や天皇陛下より偉い米国の大統領様が、なんでもやってくれるさと安心していた。

でも、主義にも色々ある。資本主義は、要するに資本を投資して利潤を回収する契約を理論で固めたもので、主義というよりルール、システムに過ぎない。政治思想の民主主義とは本来は関係ない。たまたまブルジョアが民主主義と資本主義を要求した時期の影響が残っているだけ。幼少時の劇場主は、米国の宣伝に洗脳されてたのだろう。

ベトナム戦争の終盤の頃に、自分がなにか勘違いしていたことに気づいた。そして同じ頃、エリザベス女王とエリザベス・テーラーが別人であることにも気がついた。町に映画館や本屋がないので、実に不勉強だったのだ。

なんとなく、夢あふれる豊かな社会は資本主義によってしか生まれない・・・共産主義国家は怖ろしい牢獄のような社会だ・・・・そんなイメージが、いつの間にか頭に形成されていた。戦後は進駐軍によって形作られたイメージ戦略が周到で、その影響を受けていたのだろう。

それに冷戦時代は、一部に過剰な資産を集中させると、反対する社会主義勢力に力を与えてしまうので、無茶ができなかった。政治家も選挙民から反発を喰らって落選するので、中産階級に利するように、富の分配に関して歯止めがかかっていた。独占禁止法やマスコミの論調や各種様々な法律が、西側多くの国で有効に働いていたと思う。

でも共産圏が自滅してしまうと、独占に対する怒りを集約できる勢力は勢いがなくなった。国内の規制を排除して、自由な経済活動をさせよう、そうしないと新興国に経済覇権を奪われてしまう、そこで規制を撤廃・・・そんな理屈が、最近までの大きな流れだ。新自由主義に対して、反論するための理屈が乏しい。だって共産主義は破綻したじゃないかという足枷があるのだから。

つまり、中産階級を守る規制は撤廃し、資産の流動性を高め、貧民を作ってでも企業の国際競争力を強める、そんな主義に乗っかってしまった。それは、形を変えた帝国主義のようなものだろう。国が主体になるか、グローバル企業が主体になるかが違うし、労働生産力を収奪する対象が、国内から地球全体に及ぶかが少し違うだけのように思える。

でも近年、少し流れは変わりつつある。ピケティ氏というスター学者も出てきて、過剰な資産の集中は危険だという認識が力をつけつつある。この本も、その流れに乗っているように思う。ピケティ理論より踏み込んで、資本主義本体が壊れるといった言い方は、かなり派手だ。売り込みのために印象づける必要があったのだろうか。

実際には資本主義が直ぐ終わったりはしない。バブルが崩壊し、怖ろしく景気が後退しても、どこかに経済成長できる地域が出てくる。そこに投資効果を期待した資金が集まり、資産をさらに増やす人も出てくることに変わりはない。その規模や、地域、どんな人が資産を得るかに若干の違いがあるだろうが。

紛争や天災、EU参加国の増減、政治体制の変化、夢あふれる新技術など、変化は必ずある。変化があれば、資金の移動が起こり、利益率の高い地域も必ず発生する。経済がずっと低迷し、世界中から全く投資効果が消えてしまうなど、ありえない。

かってのジェノバが、投資効率の急落した例として提示されていたが、でも覇権を失った後のジェノバも立派な町である。海運産業も残っていて、人口だって数十万人はいる。ベネチアと争った時期ほど活気はないと思うが、活気が去っても商業がなくなるわけではない。市場に行けば、おそらく大声で物を売る元気な商人もいるだろう。

確かに巨万の富を有する資産家は、資本活動が活発に動かないと生まれにくい。でも普通のレベルの金持ち、中流から中上流階級の人は減らないと思う。資本主義と言えない社会でも、おそらくは銀行を介した投資借款関係は続くから、何も事業が生まれないはずはない。

そんな世界も悪くないと、個人的には思う。もちろん、そんな穏やかな社会が巨大資本主義国家から攻められて来た歴史があり、支配を避けるためには巨額の資産が動かせる体制は必要だ。でも、頑張って殖産に努めた資本主義社会も、世界大戦のような激烈な戦闘が避けられなかった。穏やかでも活発でも、諍いはなくならないし、どうせ敵は攻めてくる。それなら、普段は穏やかでも良いかも知れない。

劇場主の周囲には、新自由主義に近い考えの人は少ないと思う。でも、株で大きく儲けたい、資産を巨額に増やしたい、そのために人を出し抜くことも厭わないという人間は多い。彼らは現行の体制を維持しようと、変化には激しく抵抗する。おそらく現政権の支持者の中枢は、そんな人達だ。

かってモルガン銀行は、国家を上回りそうな権勢を誇ったという。そんな資産の集中が民主主義によって解消されたかと言えば、結局はできなかった。おそらく政治家も司法も、丸め込まれたのでは?今後も、人間に欲得があるかぎり、資産の集中を解消する法案は通りにくいだろう。

彼らを説得することは難しい。現行の政策が破綻に向かわせると解説しても、方針を変えるのは無理。「いや、君は経済というものが分かってないね。」と、一顧だにしないだろう。国の危機と企業、資産家の危機は一体ではない。資本主義と民主主義も、もちろん一体ではない。そのことの無理解の蔓延こそが、現代の危機要因である。

 

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