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2015年11月 6日

セッション(2014)

Sony

- 疑問あり  -

音楽学院に入学した主人公は、厳しい指導で有名な教授の下でジャズドラムの練習に励むが、理不尽な指導により、精神的に追い詰められて行く・・・DVDで鑑賞。

・・・・指導かイジメか、サディスティックなサイコか熱血教官か。主人公を指導する教授役をどう評価すべきか、おそらく観た人によって答えは違ってくると思う。

まず感じたのが、ドラムの演奏の迫力、音の良さ。演奏の迫力が素晴らしいこと。ラストで主人公が演じる長い演奏シーンは、特にドラムに興味がなかった劇場主も感動するほどの迫力だった。おそらく主役の俳優は、実際にも大変な練習をやったに違いない。元々演奏の経験があったはずとも思う。

迫真の演奏ができないと、このような作品の場合はリアルでなくなる。例えば野球選手の物語で下手くそな実技を見せられるとシラケてしまうが、動きが美しいと現実の選手を見ているかのような感覚が味わえる。巧さは絶対に必要な条件だった。そして、それは充分に満たされていた。

J.K.シモンズが実質的な主人公だった。彼は、この作品で助演男優賞を取ったそうだが、主演といったほうが良かったかも知れない。鬼教官の雰囲気は元々のキャラクターで、鬼編集長として「スパイダーマン」に出ていた頃は笑える個性、そして今回は全く笑えない悪役として、存在感が抜群だった。

彼がただイジワルばかりやっていたら、魅力がなくなってしまう。話全体のレベルが下がってしまう。真実かどうかはともかく、ちゃんと彼なりに考え、限界の能力を引き出すために厳しい指導をやり、生徒を過剰に支配していると語られるので、一概に彼の行動を否定できない、そのギリギリの悪役ぶりが上手く演出できていた。

主人公役は、「21オーバー、最初の二日酔い」にも出演していた俳優で、表情などを考えると、日本人には分かりにくい個性のように思う。悪役には向いていると思うが、この役にも、ドラム演奏が下手だったら、向いていなかったのではないか?ドラムにうちこむために、恋人や家族にイヤミなことを言う時にはリアルだったが、本当なら神経質そうな外見をしていて、無理して努力している雰囲気が出る俳優のほうが良かったと思う。

この作品は大人向き。子供には全く面白みがないだろう。恋人と観る映画としては、インパクトがある点で良い映画。楽しくない点では最悪の映画。でも、くだらないコメディよりはずっと高級感を味わえるはず。

いくつか疑問が浮かんだ。

教授は、どこまで本当に生徒の成長のために行動していたのか?もし言葉通りだとすると、既に学校を去った後で指導する資格を失った時期に、その行動を続けて良いのかという疑問が生じる。指導する立場にはないなら、普通に考えれば感情のままに行動していただけで、生徒の成長を願うといった話は茶番にすぎなかったことになる。ラストの表情も、微妙なものになる。

日本の社会の場合も、上層部につく人間が、必ず部下の成長を願って行動するとは限らない。支配欲や、自分の達成感を重んじるあまり、まるで荒ぶる神のごとく、部下を犠牲に自分の業績を追求する人間が多い。甲子園の監督と生徒にも、似たような関係はある。生徒を故障させる先生は少なくない。下の成長を願うといった言葉は、言うだけなら簡単だが、信用できない場合もある。

支配欲、自己実現欲というか、思い通りにすることを強く願い、そのために犠牲となる人物に対しては、「自分は彼の成功を願って行動したのだ」と、子供の言い訳のような理屈で肯定する人物は多い。自己暗示のなせる業か、意図的な言い訳かは分からないが、たぶん両方を兼ねた言葉ではないか?そんな言動は、部活動などではごく普通にあるパターン。珍しくない。

だが、ああいった人物が、会社を破滅させる例も少なくないと思う。社員が萎縮して斬新なアイディアを産みにくくするし、精神的に破綻させられる人間も多数出る。基本的にはモラルがないので、ひどい不正行為を働いたりもする。人事を管理する部門は、そのような鬼軍曹型人間にも対応を考えないといけない。業績が優れていても、排除したほうが企業のためになる人物は多い。

音楽院では、本当に教授の権限が絶対なのだろうか?進級できるかどうかに権限があって当然だが、一人の教官だけで全ての評価が決まるようでは、おそらく学院のレベルを維持できない。元々ミュージシャンは自由な発想を好む傾向があるはずで、しかも音楽は才能でほとんどが決まる分野。子供でも教授より上のレベルの人間はいるはず。そこで鬼教官のような行為は無理では?

ジャズの場合、学院の楽団にいるかどうかで全てが決まるものだろうか?今どき、ビッグバンドは流行らないと思う。それに名の知れた演奏家は、むしろ独力でのし上がった人のほうが多いように思う。学院に所属するとチャンスは増えるだろうが、精神的に無理するまで必要なものではないはず。

ドラマーなら、活動の場はジャズより他のジャンルのほうが展開が開けると思う。だから楽団をクビになっても、狂気の教官から離れる選択をする人間が多いのでは?つまり設定自体、少々無理な面があるのでは?奨学金が絡んで、どうしても脱落できないといった解説が欲しかった。

そのほかにも疑問がある。しばらくブランクのある人間を、いきなり演奏会の本番に呼ぶだろうか?それで他の楽団員達が納得するとは思えない。彼らだって生活がかかっているのだから、足を引っ張る同僚がいたら困る。そんな人物を呼んだ指揮者は、おそらく楽団員から排除されるはず。団員達は音合わせ、練習を要求すると思う。

また、新しい団員が勝手にリードを始めた場合、自分こそ目立ちたいだろう他の団員が、文句を言わないのもおかしい。ビッグネームの共演なら、その場でグルーヴも可能だろうが、普通は指揮者が促さない限り、合奏に加わることはできない。よほど図抜けた演奏なら別だが、この作品の展開には無理を感じた。

劇場主の耳では、しごかれている場面の音のズレは分からなかった。おそらく、この作品は本職の人達も鑑賞するはずだから、実際にも音をずらしたり、テンポを0.1秒程度遅らせたりしていたかと思う。今はデジタル化されているから、優れた耳の持ち主レベルの調整は簡単だと思う。でも、微妙に分かるようにしないと、映画にとっては損。演奏の場面の表現は、ズレを明白にする点での工夫が足りなかったかも知れない。

そしてラストに関しては、あれで良かったのだろうか?主人公が惨めに去って行く、そのままではどうだろうか?米国の観客は納得しないかも知れないが、呆然として去って行く主人公の姿で終わっても良くなかったろうか?よりリアルに描くなら、そうだったはず。

心理描写は素晴らしかったが、これらの細かい点まで疑問を生じさせない検討がないと、この種の作品は真の名作にはなれないと思う。

 

 

 

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