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2015年10月28日

リトル・フォレスト 夏/秋(2014)

Syochiku

- 文句引っ込めます -

東北の寒村でひとり暮らす娘が主人公。彼女の日々の仕事、作る料理を中心とした映像の中に、母親との生活、周辺住民との会話などが織り込まれる。

鑑賞したのは夏と秋の編。そのほかに、冬と春の編があるらしい。

珍しい構成に驚いたが、原作の漫画がこのような作り方らしい。独特の雰囲気が出るから、作品の芸術的な価値は期待できそう。観客がどのように興味を持ってくれるかが大事だが、ドラマの部分が上手く展開すれば、それも期待できると思う。

今は田舎暮らしに対する認識が変わっている。都会で頑張っても、派遣社員のまま見込みがない人生になりそうと感じる人が増え、それくらいなら新天地の田舎で頑張ろうかと感じるようだ。自然な考え方だ。休耕地と空き家があれば、巨額の元手なしでもトライできるかな?という発想は生まれる。

期待は高かったようで、いろんな会社が企画に参加していた。意欲的な製作現場の雰囲気が想像される。良い企画にしようぜ!というノリを感じる。原作が漫画と言っても、なんだか欧州映画のような文化の匂いを感じる。ウィー!これはフランス風だ。

この作品は子供には向かないように思う。やや単調すぎて、子供は興味を保てないだろうと思う。若い人の場合は、恋人と観るのは悪くない趣味のように思う。料理に興味を持ったり、田舎暮らしに共感を持つ若者がいるかもしれない。自分達の人生について考えてみる材料にもなりうる。

感動する人も結構いるような気がする。生き方を考えるチャンスにもなりうる。

非常に静かな語り口で、ヒロインの橋本愛嬢がナレーションをこなしていく。セリフのほうが少なめで、ほとんどはナレーション。それが単調さを生んでいる。もっとセリフを増やす手があったかもしれない。あるいは、外人女性に客観的なナレーションをやってもらう手もあったかも。作風が劇的に変化したろう。

アップになった橋本愛は、失礼ながら男性っぽい顔をしていると思う。今後太ってドスが効くようになってきたら、ヤクザ映画の女将さん役が務まるだろう。熊本県には多い顔立ちで、クマソか隼人族の血が入っているかも。田舎っぽいとも言えるから、適役だった。

流行のアイドル女優達の多くは、チャラチャラした雰囲気を出す娘が多い。畑や田んぼで黙々と働き、何か哲学的な思考にふける女史は、橋本愛の独壇場かもしれない。もしくは井上晴美嬢か?

その他の出演者は、極端に登場時間が少ない。母親や、近所の若者、お婆ちゃん達がたまに出てくるくらい。それでは、よほど印象的な登場のさせ方をしないかぎり、ドラマで盛り上がることは難しい。原作がそうだったかもしれないが、映画用の演出があればと思った。

料理のメニューは実際に作られたものを、そのまま使っていたのではないかと思う。手が込んでいて、あらためて思うに、昔の主婦は壮大な時間をかけて作業し、ほとんど一日中働いてやっと料理をこなしていたのだろう。敬意を覚える。

いつも思うのだが、田舎を描く作品で登場人物が着ている服が綺麗過ぎないだろうか?我が家で自分達が着ていた作業服は、見事に汚れていた。破れていることも多かった。くたびれた服を準備することくらい、映画作りの基本ではないか?

日本人の食事について再考。

縄文期の時代まで、おそらく主食となりうるのはイモか栗だったのではないかと思う。栗の場合は遺跡から栽培されていた形跡が発見されているから、間違いない。シブさえ取れれば、作品に出ていたような料理ができるし、おそらく昔は湯がいて乾かして、保存していたのだろう。

イモもそうだろう。ジャガイモ、サツマイモはなかったはずだから、ヤマイモなどをすりつぶしたり焼いたり餅のようにしたり、試行錯誤で調理法を編み出していたに違いない。ワラビやゼンマイ、ウドは今でもかなりメジャーな材料だが、当時も使われなかったはずはない。柔らかい植物は必ず試したはず。

セリや水草の類を子供の頃に近所のお婆ちゃん達から勧められると、苦痛でしかなかった。牛か馬でないかぎり、こんなものは美味しいと感じないはずと思った。ところが不思議なもので、最近シソの実やサンショウ、フキを食べると実に美味しく感じる。

苦味や渋みは、感情に影響するような気がする。ただ甘いだけ辛いだけとは違う、精神安定作用のような沈静、消炎作用のようなものが含まれているのかもしれない。漢方薬と同じように、サポニン作用のような効果がある気がしてならない。

山菜は、もしかすると性格に関わったかも知れない。攻撃的で理詰めの態度が沈静化され、静かでワビサビを好む趣向に向かった可能性はないだろうか?カロリーのせいか、含まれる蛋白や脂質の影響か、はてまたサポニン作用か何か分からないが、日常の食事内容で自分の気持ちが変化するのは確かに感じる。

川魚を獲って川で食べることは、子供の頃の大事な行事。半日もあれば、数十匹は獲れた。最近は許可制になっているそうだ。故郷の場合は川の魚が減ったことや、漁協の権利をめぐる意識が高まって、勝手な魚とりは許されないらしい。魚は古代の貴重な蛋白源で、獣よりも管理が簡単だったはず。

生けすを作る知恵くらいはあったろう。夏場に獲ってきて池で飼い、冬場に食料としたはず。海の魚の場合は、獲るのが大変だったろう。網はいつ頃から使われたのだろうか?かなり高度な技術がないと、魚網は製作できない。麻などを使って器用な人達が作り、そのアイディアに触発されて他の人が作るといった風に広まったに違いない。

網のあるなしは、収穫量に大きく影響したはず。数十倍の収量があれば、村が生き残るかどうかにかかってくる。良い網を作った人は、自分のイノベーションで得意になったことだろう。漁業の神の化身、エビス様の生まれ変わりと讃えられたかも。釣り針も同様だろう。高性能の釣り針を作った人は、海幸彦と讃えられたのでは?

地を這い、木に登り、長時間の作業で体を壊しながら、動ける間は作業をこなして命をつないでくれたからこそ、今日の自分達がある。野菜の値段が上がっただけで「チッ。」と舌打ちするような不敬な劇場主は、反省しないといけない。文句があるなら、自分で作ればいいのだから。 

 

 

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