映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« メンフィス・ベル(1990) | トップページ | アメリカはいかにして日本を追い詰めたか(ジェフリー・レコード著、草思社、2013) »

2015年8月11日

アメリカン・スナイパー(2014)

Warner

- 隊員の運命 -

射撃の才能がある主人公は、テロへの怒りに燃えて入隊し、スナイパーとしてイラクに派兵された。やがて英雄となった主人公だったが、心は傷ついていく・・・

・・・・実在の兵士の自伝を元に作られた作品。製作途中で主人公のモデルとなった元兵士は殺されてしまい、ストーリーも変わってしまったという。DVDで鑑賞。

この作品は非常にヒットしたらしい。でもアカデミー作品賞はとれなかった。万人が高く評価できる作品ではないから仕方なかったかも知れない。それでも、兵士の境遇を描いた作品の中で、この作品はレベル的には非常に高かったと思う。他は、大仰過ぎたり英雄視が酷すぎたりするものが多い。

まず、作り手が立ち位置に優れている印象。主人公は米国にとっては大ヒーローで、実際の埋葬のシーンでは大勢の住民が旗を振って別れを惜しむほどだが、本人は自分の生き方や行動に疑問を感じている点で、ただの殺し屋ではない。単細胞で悩みのない人物では、主役になりえない。

いっぽうで、大悲劇の主人公だと、米国民の感情からはセンチすぎて共感できない。勇敢で仲間想い、愛国者、宗教心も厚い人物が好まれるはず。ただし、いかに敵国人とはいっても子供を安易に殺すことは躊躇しないと、人間的に共感できない人が多いだろう。悩む主人公の描き方は、一般的な理解を得やすいように、上手く調整されていた。

でも、この描き方でも納得できない人は多かろう。子供であっても、武器を持っていたら殺すのが原則で、迷いは友軍の犠牲を生むから許されないと考える人も多いだろう。特に米国人の場合、伝統的にそう考えるのが普通だと思う。クールな殺し屋は、彼らの理想のひとつの形だ。逆に、石油の権益を狙ってアラブ人を殺しまくる兵士に、何の道理もないと考える人も多かろう。いろいろな考え方の人がいるはず。

そして実際のところ、米軍のスナイパーは多くの少年少女を狙撃していると思う。この作品は一面を描いただけで、実は殺した人間の数割を子供が占めていても不思議ではない。そういう仕事なのだから。

ブラッドリー・クーパーは、いまや最も人気の高いスター俳優。非常に演技力があるとは感じないのだが、的確に役割を果たし、大事な作品で好印象を残していると思う。元々はコメディで有名になったが、作品選びやキャラクターの設定に関して、非常にクレバーな判断をしているように思う。本人が優れているのか、エージェントが凄いのか分からないが、失敗作が少ないので、出演は即ちヒットを予感させる。

スナイパーを英雄視するのは、日本人の感覚では分かりにくい。自分も銃を扱う米国人にとっては、優れた技能者、味方への貢献度が高いヒーローとして素直に評価されるべき対象だろうが、日本人にとれば英雄とは少し違う、一種のテロリスト、殺し屋のようなイメージが湧く。

英雄とは、勇敢に攻撃する人物のイメージがある。映画で言えば、突撃する海兵隊員のほうが勇ましく、屋根の上で寝そべっている狙撃手は、英雄を補助するスタッフに過ぎない感覚。さらに言えば、ライフルより刀を持っていたほうが、より勇ましいような、そんな原始的感覚があるのだが、これは今日の戦闘では非現実的だろう。

日本人にはヒロイズムに酔う感情があるのかも。韓国人はテロリストでも英雄視する傾向があると聞く。日本の大物を殺した人物を英雄と感じる感情も理解はできる。でも、例えばマッカーサーやトルーマンを暗殺した人物がいるとして、我々が手放しでほめる気になるかと考えると、暗殺は暗殺として低い評価を受けそうな、そんな気がする。基本は正々堂々の対等な戦いが好きだから。

今の法案が通れば、中東地域で自衛隊員が戦闘するハメになることも充分考えられる。入り組んだ路地を進みながら、テロリストが隠れた家を探索するのは怖い。現地の人の犠牲を考えると、隊員達は自分らの軍事行動に万全の自信、誇りは持てないだろう。道義的な面で、納得するのは難しい。

米国と同じく、PTSDに苦しむ隊員が出てくると思う。欧米の権益を守るために、自分が傭兵のように人を殺すことには、たぶん多くの人が耐えられない。特に子供や若者を殺すことなど、いかに任務とは言え許せないだろう。だが、それがきっと必要になる。

今後の自衛隊の戦い方は、どうなるのだろう。スナイパーも必要と思う。自分が突撃隊員なら、この作品よりもっと多く、多くの建物の屋上に味方がいてくれる状況が欲しい。狙撃要員が少なすぎると思う。数が重要では?スナイパーだけじゃなく、攻撃ヘリの同行も必ず欲しい。

1000mの距離があっても油断できないなら、基本は敵スナイパーがいない状態でないと危ない。監視のために無人機が複数飛び交い、通信手段も味方が独占している状況なら、敵の活動は限られてくる。少なくとも屋上から攻撃される危険性は低いから、注意する方向を減らせる。

敵が携帯電話を使える状態は好ましくない。民間人が監視して、こちらの居場所を連絡するのが当然。だから通信衛星の運営に圧力をかけ、通信施設を占拠し細工して、自国の軍隊しか通信できない状態を作るべきと思う。SIMカードを頻繁に交換し、敵が端末を奪っても無効にするなど、できそうな気がする。

理想としては、無人機の映像を参考に、敵の狙撃手に照準を合わせる機能を持つドローンで狙撃兵を殺して安全性を高め、突撃というより静かに進む作戦が良い。そして遠くから爆撃できたほうが良い。「お前らは包囲された。一人ずつ出て来い。建物は爆破するぞ。」と、ドローンのスピーカーで語るのである。

敵は地下に閉じこもるしかなくなり、攻撃が単調になるはず。それで安全とは言えないが、隊員が全滅する危険性は下がる。

ただし、ドローン型兵器は、どこかの軍需企業が大量生産する可能性が高い。安い製品がテロリスト達にも行きわたると、とてもやっかいで悲惨なことになる。ドローンが自衛隊の装備を認識して攻撃してくるかも。もはや生身の兵士が戦場で生き残るのは難しい時代が来るかもしれない。

 

 

 

« メンフィス・ベル(1990) | トップページ | アメリカはいかにして日本を追い詰めたか(ジェフリー・レコード著、草思社、2013) »

無料ブログはココログ