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2015年8月 2日

栄光への脱出(1960)

Ua

- 長すぎ -

ポール・ニューマン主演。6月21、28日の二晩、衛星放送で放映されたものを鑑賞。ひどく長い作品。時間を短縮して欲しかった。

叙事詩的な映画。出エジプトをイメージした‘エクソダス’が船の名前になっていたくらいだから、元々の話が叙事詩的。映画も自然と力が入って大作にならざるをえなかったのかもしれないが、観る側の都合も考えてもらいたい。

叙事詩的な映画は嫌いじゃない。古代のローマや聖書がらみのハリウッド映画は、子供の頃に豊かな気分を味わえる‘大作’だった。自分が人類の一員として誇らしいような、妙な高揚感が味わえた。まさか日本人がキリストに水をあげたりするチャンスはなかったはずで、全くの異郷の話なんだが、なぜか‘人類’をイメージさせる迫力があった。

今の子供が、この作品を観ることは止めるべき。日本人には全く向かない。ユダヤ系の人なら、もっと長くても全然気にならないだろうが、日本人なら退屈してしまう。恋人と観るのも絶対に止めたほうが良い。何を考えているの?と、思われるだけ。

キブツの一種らしき、制服姿の子供達が集団生活している集落が面白かった。ボーイスカウトの流れだろうか?半ズボン姿で踊りやらやってるのは、社会主義国かサマーキャンプのような、ちょっと異様な光景で、観てるこちらが気恥ずかしくなる。

あんな形態が必要だったのは、おそらく様々な地域から、言葉の違う連中が集まったので、内部の対立を避け、意思疎通を図るためだったのでは?それに、バラバラに住んでいたら、アラブ人に殺されるからだろう。

傍観者として現地にやってきた米国の婦人役をエヴァ・マリー・セイントが演じていた。主人公の父親役がリー・J・コップだから、この作品は「波止場」一派の息がかかった作品と思われる。東欧移民の重大関心事を、どうしても映画化したかったのだ。ユダヤ人が大勢参加しているのは当然だし、資金もスタッフも、宣伝も配役も何もかもユダヤ系、視点も当然そうなのだろう。

視点に非常な偏りがあると思う。アラブ側の見地は皆無に等しい。もちろんアラブ側からの残虐行為はあったはずだが、イスラエル側の過剰な攻撃も必ずあったはず。どこから過剰で、どこまで正当かは分からない。

エヴァ嬢の演じた役は、実在したモデルがいるのだろうか?この作品を観た印象では、彼女の役は本来は必要のない役で、米国人の感心を得るための添え物的なキャラクターに過ぎない。彼女の役は必要なかったかも知れない。最終的に彼女は銃を構えて兵士の格好をしていた。いくらなんでも無茶だ。

キプロスの仲介者の役は、「ベン・ハー」でアラブの部族長を演じていた役者ではないかと思う。独特の目つきが怖い。キプロスの現地人達がどう行動したかには興味がある。商売を考えると、イギリスよりもイスラエルの将来のほうが重要と考えたのか、単に支配者イギリスに対する反感が強すぎて、敵の敵であるユダヤ人に力を貸しただけなのか?または、ユダヤに対しても必ずしも好意的ではなかったのか?

劇場主の若い頃に長く続いたキプロス紛争は、今は戦闘は収まっているようだ。でも島の分断は続いているはずだから、再燃する危険性はあるはず。ギリシア経済が凄い状態だから、ギリシヤ系が多いキプロスの経済にも大きな変動が来るだろう。また紛争が再燃し、気がついたらロシア領になったりしないだろうか?

この作品を観ていたら、イギリス軍が気の毒に思えてきた。紛争の原因を作ったのはイギリス政府だから当然の報いなんだが、先鋭化した対立の中で、双方から攻撃される兵士は可哀そう。石油や運河の利権を失わないように、かなりの期間粘ったようなので、その間の兵士達の犠牲も凄かったようだ。

ポール・ニューマンもユダヤ系だったとは知らなかった。ラテン系の顔つきだと思うが、移民同士が複雑に混血しているから、外見で知るのは日本人には難しい。ギャグで、自分の顔をいじらせながらユダヤ人を皮肉るシーンがあっておかしかった。

この作品でのニューマンは非常にクールでタフ。腕力に訴えるタフネスではなく、度胸と頭脳で勝負するタイプのクールさを前面に出している。ヒーローとしては典型的だが、今日のヒーローは一度権威を失墜してから這い上がるタイプが多い。もっとヒネリがないと受けない。

この作品、今日のアラブ諸国の人達にはどう写るのだろうか?あるいは、欧米で貧困層にあたる人々にはどうか?アラブ人にとっては、いかにユダヤ人が酷い目にあって逃れてきたといえど、住民を圧迫して入植されるのは許しがたいだろう。それを栄光ととらえる映画は、最初から言語道断では?

いっぽうで強制収容所を経験した人間が、鉄格子に囲まれない暮らしを望むのは当然。差別を経験した人間でないと分からない感情があるだろう。反発があろうと、犠牲が凄かろうと、後に引かない強い意志がイスラエルにはある。古代のように簡単に制圧して連れ去ることはできない。核兵器を持って来ても、簡単には領土を譲らないと思う。

主人公が埋葬に先立って述べる弔辞の内容が、この映画の特徴かも知れない。不屈の闘志、被害者意識、現状分析、敵意などを実に上手くまとめていた。埋葬のシーンは当然アクションなどはないのだが、あれは作り手にとってはクライマックスシーンだったに違いない。

トラックで兵士達が出撃していくシーンで、この作品は終わっている。なんとも勇ましく、娯楽映画では考えにくい終わり方。軍国主義の時代の映画か、もしくは共産圏の映画並み。

パレスチナにどのような決着がやってくるのか、想像もできない。核戦争は充分に考えられる。米国の状態が鍵になる。滅多に考えにくいが、何かの理由で米軍が壊滅的な状態になれば、イスラエルには核兵器が降って来るかも。過去の中東戦争時代より武器の性能が進んだ今日、そうなるとイスラエル単独で対抗できるとは限らない。

イスラエルの軍事力を考えると、ISがイスラエルまで進出してくるのは現時点では難しいと思う。でも長い期間のうちには、思いがけない勢力が武力侵攻を仕掛けてくるかも知れない。パレスチナにISが浸透していない理由はよく分からないが、酷い状況が続けば必ず武装勢力の主体は替わるだろう。

イスラエルの軍隊は非常に進んでいると聞くが、ゲリラ戦、テロを中心に粘り強く攻撃されると、近代兵器の裏をかかれる可能性はある。昨今のISのテロは、イスラエル建国当時のテロより巧妙で破壊力もありそうだ。いつまで国防が成功するか、分からない。

でも、仮に現在のイスラエルが壊滅したとしても、必ず彼らは再興を目指してくるだろう。世界中に拡がったユダヤ人の中から、祖国の復興を賭けて軍事行動を起こす連中が必ず出てくる。この作品で、それを確信した。

 

 

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