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2015年7月 3日

パリは燃えているか(1966)

- レジスタンスのやり方 -

第二次大戦末期、ドイツ軍の占領から脱しようとパリ市民が活躍した時代のドラマ。ドゴール派と自由フランス軍の二派が対立しながら、工作を進めていくが・・・

・・・オールスター映画。米仏のスター達が大勢出演している。DVDで鑑賞。

元々の原作はあるらしい。それをコッポラらが映画用に脚本化したそうだ。ドラマがスピーディーに展開して、多くの人間が悲劇喜劇を順番に演じ、混乱が生じないように展開するのは手際のよさによるものだろう。

特定の主人公はいない。大活躍する中心人物よりも、反目しながら結果的に目的に向かって協力する多くの人物を、短時間のスポットライトを浴びせる形で強調し、また直ぐ別の人物に焦点を当て、といった繰り返しで描いている。戦争の場合は、実際にもそうだと思う。

ドイツ軍の将軍は真っ先に出てくるが、考えようによっては彼の個性が一番大きな決め手で、彼が主役かも知れない。現実的な対応をしようと務めていたから、爆薬を実際に使わずに済んだのかも。ただし、これは描き様によってどうともなるので、使った場合の自分達の被害や、戦後の責任追及が怖かっただけかも知れない。

ノルマンディー作戦の後、フランスに駐留している独軍の将兵は、どんな認識だったのだろうか?逆転勝利や、膠着状態のままの停戦に期待できたのだろうか?米軍の物量や、ソ連軍の圧力に関して理解は進んでいたはずだから、上手く本国に撤収できるか不安に思いながら、職務をこなす努力をしていたのではと、想像。

パリ市の独軍将軍の場合、撤退したら銃殺が待っていると思われるので、町中が大混乱して市街戦で味方に死傷者が出ないように、撤収に失敗して多数の犠牲者が出ないように、かといって武装した市民のテロにはやられず上手く敵の本隊に会えるように、かなりの工夫を要したと思う。

もし市民兵が充分な武器を持っていたら、米軍が来る前に決着をつけようとしていたに違いない。そうなると独軍兵士は裁判など期待できないから、必死の抵抗をせざるをえず、結果的には町を破壊し、互いに殺せるだけ殺す戦いになっていただろう。市民兵の武器が足りなくて良かった。

あの大きな町で、意外に独軍の兵力が少なかった様子に驚いた。直ぐに武装蜂起を鎮圧できるように、地区ごとに大勢の兵士をそろえた部隊が展開していると思っていたが、意外に非力だったような描き方。

市民達は皆静かにしていたのだろう。おそらく、最初の降伏の段階で取り決めをするから、それに忠実に外見上は騒ぎを起こさないようにしていたと思う。抵抗活動は地下にもぐり、表面上は協定を守っているようにしないと、独軍が多数市内をうろつくことになって互いに都合が悪い・・・そんな思惑が双方にあったのでは?

米軍はパリ市に進駐する予定があったかなかったか、そのへんの真相は判らない。米軍のイメージから考えると、フランスを開放した立役者として強いイメージをフランス人に残すことは、戦後の政治を考えると非常に好都合と思うのだが、フランス人のこと、おそらく直ぐに実利を優先するだろうから、見殺しにしなかった程度の最小限の行動でやり過ごしたいのが本音だったのでは?

結果的にソ連の侵攻が東ドイツを席捲してしまい、戦後の冷戦に相当な予算を要しているのだから、なるべくパリはフランス軍に処理してもらい、自国の有利な立場の確保に向かうべきだった。勝っている米軍であっても、戦いの進め方は難しい。

沖縄あたりの侵攻は、沖縄の人には侵略行為以外の何物でもない酷いもの。今も良い場所は占領したままだから、フランスは幸運を得ただけかも。もし仮にソ連軍がドイツ全土やフランドル地方まで総て占領していたら、米軍だって対抗上、フランスに基地を多数作る必要が出ていたかもしれない。嫌がるフランス人を追い出して、基地にした可能性だってある。

沖縄に基地が集中している理由は、劇場主(筆者)にはよく解らない。米軍にとっては集中していたほうが作戦をやりやすいからだろうか?例えば、仮に鹿児島の本土に巨大な基地を作って、沖縄は出張所レベルに縮小するのは、米軍にとっては現実的ではないのか?

軍事上の都合というのは素人には解らない。高速の戦闘機にとって、鹿児島と沖縄の距離は大したことないような気がするが、そのわずかな違いが雌雄を決する場合があるから沖縄駐留にこだわるのかも知れない。

でも第二次大戦の頃と今とでは、機器の性能が全く違うと思う。戦いの最初の段階では巡航ミサイルの応酬が起こり、あるいは無人機やレーダー誘導のミサイルが上空を飛びまわり、たぶん沖縄の基地はその標的になる。分散していた方が良くないかというのは、素人考えだろうか?

あるいは、テロリストとの戦いが戦争の主流になるかもしれない。避難民の格好をして入国し、20年後にテロをいっせいに起こすように既に計画されている可能性だってある。20年間、全く互いに連絡を取らなければ、その避難民がテロリストかどうか見分けることは無理。そんな敵を相手に、沖縄を米軍が確保しても、あまり意味がない。

筆者がイスラム国の人間だったら、欧米と正面きっての戦いは避けたい。武器が違うから、砂漠の中にいたら駆逐されてしまう。潜伏し、敵国の市民となり、内部から破壊することをまず考えるだろう。

地中海からイタリアにいったん渡り、そこから世界中に拡散し、現地と同化して信用を築き、やがてのテロに備える。妊婦時代に米国に渡り、米国で出産して米国籍を得る。その子を20年後、一斉に蜂起させる。瞬時にクーデターが成功するかも知れない。そんな戦い方に対しては、基地はあんまり役に立たないかも。

 

 

 

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