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2015年6月12日

ゴーン・ガール(2014)

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- メディア利用について -

結婚記念日に妻が失踪した。夫は経済的に苦しく、夫婦の愛情は冷めており、夫には愛人がいることも解った。探索が続く中、夫への嫌疑が深まる・・・

・・・出来の良いサスペンス映画。DVDで鑑賞。アカデミー賞前の受賞予想で紹介されていて、期待して観たが、確かに話としての完成度の高さ、怖い雰囲気、リアルな演出に感心した。でも、やはりアカデミー賞には向かない印象。テーマ性には問題があるから。

ロザムンド・パイクの奥さん役が素晴らしかった。彼女の過去の作品での雰囲気は、主に喜劇の中で登場し、美しいのだが世間離れした奇妙な表情で場違いな印象を受ける役柄が多かったように思う。その点は、この作品の奥さん役にも通じる。何を考えているのか解らない点で、役柄に合致していた。

しかも、美しい女性でないといけない。主人公が一目惚れしたことが納得いくような外見の良さが必要。さらに知的な雰囲気が必要。また、あんまりスタイルが良過ぎると、一定の年齢に達しているはずの奥さん役にはちょっとイメージが合わない。

年齢的に考えても、イメージから考えても、例えば過去にニコール・キッドマンやシャーリーズ・セロンなどが演じたがった役柄と思うが、既に悪女役を演じて一世を風靡した感のある彼女らでは、主役が喰われてしまうという予想もできる。

ベン・アフレックは有能な映画人らしいが、ジョニー・デップやトム・クルーズのように強い個性があるわけではない。見た感じは普通の二枚目。今回の役を的確に演じていたとは思うものの、どちらかと言えば妻の引き立て役に過ぎなかった。そんな役に向いているとも言える。

ストーリー展開で面白かったのは、妻の日記が上手く使われ、夫役が実は本当の犯人ではないかという疑いが徐々に高まり、やがて違う方向に話が移り、本当に怖ろしい全体像が見えてくる点。虚々実々、メディアを利用して自分に有利な展開を目指す双方の戦いぶりに興味を持てた。上手い手法だった。

気色悪い映画専門のデビッド・フィンチャーが監督をしていた。きっと血まみれのシーンがあるに違いない、おかしいなあと思っていたら、やはりあった。だから、この作品は子供には見せないほうが良いと思う。恋人と観るのに良い映画とも思えない。なんだか互いに不安にならないとも限らない。誰と観れば良いか正直解らないが、でも出来栄えだけは良いスリラー。

20cfox_4  ・・・何を考えてる?

容疑者がテレビ出演するのは、あちらでは当然のことなんだろうか?出演して、自分に有利な社会的雰囲気、世論を作っておかないと陪審員達の心象がよくない=有罪判決に直結するという事情があるからだろうか?そうなると、今の日本の裁判員裁判に対して、容疑者達の対応も変わってくる可能性がある。

もしかするとだが、演技指導を受けることが必須になってくるかも。涙を流せるまで訓練し、同情を買うようにする。セリフを覚える、想定問答を練習など、専門の指導員が必要になってくるかもしれない。裁判員制度の問題点のひとつだ。感情面に訴えると、判断が狂いやすい。

捜査のあり方も変わってくるかもしれない。テレビが「どうして逮捕しないんだ!」と騒ぎ、あせって無実の罪の人間を捕まえることは今でも結構あるが、その焦りが今後はさらに酷くなるかも。ネット上で警察の無能ぶりをたたかれると、上司から怒りを喰らって担当を替えられる恐怖が生まれ、焦りが加速することも起こりうる。

川崎市の中学生の殺人事件の際は、ネット上で容疑者を想定し、逮捕が遅いことへの不満がさかんに取り沙汰された時期があった。大きな事件だと、必ずのように同様の騒ぎが起こると思う。

ネットの使い方に習熟する必要がある。海外のサーバを通じて、多数の情報を発信し、自分に有利なようにコメントを誘導する、そんな仕事人の価値が上がると予想される。専門の弁護士、専門のネット集団と契約して無罪を勝ち取ることが、法廷闘争の常道となるかも知れない。

したがって、事件報道や事件に係るサイトには、なんらかの規制が望ましいように思う。実際に内容によって裁判審理が影響されたら、公正な裁判制度が維持できないことになる。それらを規制できないなら、裁判員や裁判官は完全に社会から隔離した環境に置き、事件報道をいっさい見れない状態に保つ必要が本当は生じる。でも、そっちのほうが現実的ではない。

総て警察か裁判所が管理するサイト上に限局させるというのはどうか?違法なコメントの削除は簡単になる。それ以外のサイト上で捜査が進行中の事件に関する投稿をすることは、違法とする・・・自由は損なわれるが、捜査や裁判に関することには、真摯に考えた方が良くないだろうか?

ネットに関しては無責任で良い場合と、無自覚のまま重大な責任が生じてしまう場合があると思うが、そのへんが分かりにくい。捜査や裁判に影響するなら、なんらかの管理は必要だろう。そうでないと、悪用する人が必ずいるはずだから。ネチケットなどで対処できる問題ではなく、万国共通の法が規定すべき管理方法が必要。

視聴者が知りたい情報を伝えて何が悪い!情報の隠匿が間違った判決につながる!その点も確か。管理者の権限や義務に関して厳しい法律は必要で、過剰な情報隠匿が罪になるように規定する必要はある。

真実を知り、嫌疑を裏付け、妙な世論に影響されずに裁判できるようにするのが理想。今の時代は犯罪偽装の知識も簡単に入手できるから、完璧に冤罪を仕組むことは可能と思う。自分が仕組まれた時、それでも婉曲された自由な報道が望ましいと言える人はいないだろう。事実を報道してくれと願うに違いない。でも、それは難しいこと。

 

 

 

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