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2015年6月27日

新撰組(1969)

- テーマが・・・ -

新撰組の近藤勇が夢を抱いて京都に行き、信じる道を貫こうとする。しかし仲間との対決、尊王勢力との殺し合いが続く・・・・

・・・・5月31日、衛星放送で鑑賞。三船敏郎主演の時代劇。三船プロが製作したらしい。頑固で真面目なキャラクターを、三船が迫力たっぷりに演じていた。切り合いのシーンも相当な凄さで、特に芹沢を暗殺するシーンは、本当もああだったのではないかと思わせるほど。

いっぽうで、吹きだす血の勢いなどはややオーバー過ぎる印象。刀で鮮やかに切れば一瞬は飛ぶだろうと思うが、敵も防御しながらの切り合いの場合、かすり傷が中心になるはずだから、あちこちで血が噴き出すのは妙。子供に見せるのも宜しくないと思う。つまり、家族で楽しめる映画ではない。

最近は時代劇を観ないので、業界がどんな状況になっているのか知らないが、たぶん何か新しい技法が流行しているということは考えにくい。るろうに剣心などは、ワイヤーアクションやCGが主流では?この映画の頃には、肉を切る音や血が吹きだす演出が流行だったのだろう。椿三十郎の演出の流れだ。

新撰組をテーマにしようというアイディアは、どこから出たのだろうか?筆者がスタッフだったら、あんまり好ましくない狙いのように感じたのではないかと思う。幕末の志士は格好良いが、新撰組の場合は、絵になるのが沖田総司と土方歳三くらい。近藤は、イメージ的にヒットにつながりそうに思えない。主人公を変えるべき。

北大路欣也が沖田総司役で出演していた。イメージ的には優等生で、おぼっちゃんの北大路も変ではないが、もっと痩せて不幸そうな印象のある俳優のほうが似合う気がする。そんな彼が、最近は介護施設に入っているとは驚き。でも、70歳越えたら世話をしてもらったほうが安心だろう。高級な老人マンションかも。

愛人の役で池内淳子が出演していた。今となっては懐かしい女優。子供の頃のTVドラマでは常に中心になる女優だった。お色気と知性、意志の強さと弱さなどが同居しそうな、高級コールガール的な雰囲気が役柄に合っていた。声が抜群に素晴らしい。

三船プロは大きな勝負を随分やって、結局は整理縮小されて現在に至るらしい。映画が最大の娯楽だった時代は、たぶんハリウッドスターを真似て個人の会社組織にしようという発想があったのだろう。今も所得の多いタレントは独立しているが、自前の撮影所まで持つような豪快な話は聞かない。今後、そんな大スターが登場する時代が来るだろうか?

中国やインドのような巨大市場のスターなら、きっとありうると思う。日本ではもう無理だろう。

近藤勇という人物は、およそ100年くらい前に活躍しているのだから、大昔の人物とは違って詳細な記録がありそうなものと思うが、意外に諸説入り乱れる部分があるようで、映画のように真面目一本の人物だったのか、ヤクザもので豪放な力自慢だったのか、分からない。歴史的事実というのは、伝える人物の感情が入るから、実に簡単に変わるもののようだ。事実だ!と強調された嘘も多いと考えないといけない。

愛人を囲う費用捻出のために、隊員を殺したのが本当だとしたら、とんでもない極悪な上役ということになる。実際にも愛人が複数いたらしいが、一介の剣士に過ぎない彼が女を囲うのは、立場に不相応な考え方を意味するのでは?剣の腕だけが優れ、有無をも言わさぬ迫力、胆力の持ち主だっただけかも。

剣の腕はおそらく本当に凄かったのだろう。でも、戦場で剣を使えるのは、条件が限られている。当時でも、普通は大砲や銃の戦いが主流のはず。それが分からないはずはない。かといって、生き方や戦い方を変えると、自分の存在意義がなくなる。きっと迷うことは多かったのでは?

もしかすると、自分が滅び行く運命はしっかりと認識しつつ、幕府の中での出世に賭けようという強い意志を持っていたのかも知れない。律儀な奉公は、根底に将来の出世を願う意識がないと続かない。きっと何かに賭けていたはず。新政府が政権を得られなかったり転覆でもしたら、自分らが政府の主流になるという思惑も、きっとあったはず。

幕府内での出世競争が当時どのような形態だったのか知らないのだが、勝海舟のような例もあるから、のし上がる道もあったはず。若い頃の剣の腕で成果を出せば、実績として評価の対象になったはず。その他にも、大勢を指導した管理能力、腕に覚えがあることによる説得力などが、出世に有利に働くことは考えていたのでは?

実際、そんな事態になっていた可能性がないわけではない。新政府には金がなかったはずだし、外国のどこかが征服しようと思ったら、少なくとも日本の一部は強奪できたはず。政府が対応を誤れば、政権は転覆したっておかしくなかったと思う。

近藤にとって残念なことに、そんな大逆転はなかった。でも、あっても不思議ではなかった。賭けが失敗しただけで、彼が無能だったとは言えない。

スポーツ選手や学者、役人でも、出世=自己実現に強烈なこだわりを持つ人は多い。筆者も若い頃は自分中心の考え方で、自分が活躍することが第一。その過程で患者さんが助かるだろうくらいの考え方だった。さすがに自分のために患者を犠牲にして良いとは思わなかったが、実は犠牲を強いる医者も多い印象は受けた。

おそらく教授などを目指す人間の多くは、高い評価を目指して努力しているから、独特の競争意識や突っ張った態度の人が多い。人道を無視した人間も結構いた。会社社長や政治家、高級役人なども、上を目指す場合は強い意欲が必要で、それが大きな成果につながることもある。

気迫が感じられる人間は、努力も並大抵ではないことが多い。努力したことの自負が、自信につながる。成果を誇りたがる。その究極の形は、江戸時代の末期の場合、おそらく維新の志士と、新撰組、佐幕派の兵士達には多数出現していたと思う。

国を案ずる想いを口にしながら、おそらく自己表現、実現、出世を強く求めていたはず。近藤がどうかは分からないが、志士の多くが無欲で出世欲のない人物だったとは考えにくい。金銭欲はそうでもなくても、その他に関する欲だらけだったはず。

 

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