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2015年5月25日

アデル、ブルーは熱い色(2013)

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- カンヌウ -

高校生アデルは、美術学生のノアに一目ぼれ。やがて社会人になった彼らは同棲生活を送る。しかし、互いの仕事の都合ですれ違いが生じると・・・・

・・・・カンヌ映画祭でパルム・ドールを取ったらしい。筆者には同性愛を描いた小品という印象しか浮かばなかった。何が評価されたのか、よく理解できなかった。

セックスシーンの描写は確かに凄く工夫されていた。汚くならないように、かといって過剰に扇動する営業的な方向には至らずに、リアルで美しい描写を目指したように感じた。でも、それを第一に考えたら、要するにロマンティックポルノを評価したことになる。

カンヌ→カンヌウ→カンノウ→官能って、変換が成立?

恋愛ドラマとしては非常によく出来ていた。男女の普通のドラマよりも、心の機微を上手く表現できていたかも知れない。恋愛映画が賞を取ってもいい。政治的なテーマが常に求められると、映画祭として面白くない。自由な恋愛関係をテーマにした作品を正等に評価しようというのは、芸術家として正しい姿勢。

芸術に関する会話が素晴らしかった。芸術家だったら、こう話しそうだと思える雰囲気がよく出ていた。会話のシーンがいずれも非常にリアルで、目線や仕草に至るまで、細かい点を皆が上手く演じていた。

虫が顔に留まるシーン、目線を他の客に移すシーン、リアルに再現するよう、かなり練習を重ねたのでは?直接会話している人物以外の、周りの会話までが自然な印象。なかなかできないこと。何をテーマに話すか、事前にちゃんと設定し、皆の話すタイミングや目線などを総て統括しないと、撮影の時に違和感が生じる。

印象的だったのは、いろんな人種が混在したパーティーのシーン。監督がそもそもアラブ系のアブデラティフ・ケシシュという方で、純粋培養のフランス映画とは感性の点で違う作り方を出来る点が影響したのかも。なんだか妖しい国際都市の魅力が感じられた。

主演の若い女優さんアデルは、ギリシア系らしい。体型がモデル風でないのが良かった。どこの国の映画でも、アイドル風のスタイルの良い女優が抜擢される傾向があるが、肉欲の世界を描く場合は、ある程度グラマラスなほうが良い。ガリガリのモデルでは艶かしい印象が出にくい。

いっぽう、レア・セドゥのキャスティングには疑問を持った。彼女がレズビアンの雰囲気に相応しいのだろうか?

筆者のイメージでは、フランス映画での女性同士の友人の場合、片方が黒髪なら片方が金髪で、片方がふくよかなら片方は痩せぎす、片方がジーンズなら片方はスカートの組み合わせが多かった。個性を際立たせる意図があったのかもしれない。今回の二人は、ちょっと妙な組み合わせ。

彼女が微笑む顔は、この作品には相応しくない印象を思った。むしろ、全く笑わずにじっと見つめるほうが実際のカップルでは多いのでは?ただし、これは勝手な想像。筆者(劇場主)の固定観念のほうが正しくないのかも。

レア・セドゥ以外で知名度の高い若い女優を知らないので、興行面の思惑があったのかもしれない。マリオン・コティアールでは年齢的な問題がある?仮にフランスのテレビで有名な女優に演じてもらっても、外国ではそれほど興味を引かないだろう。

フランスのような国でも同性愛には偏見があるのだろうか?少し意外な印象。自由と博愛の国だから、他の人に悪影響を与えない限り、迫害を受けたりはしないような気がしていたが、作品のセリフを聞いていると就業に何か影響があるようだ。職場が幼稚園だったから特別か?

タバコやアルコールに対する感覚にも違和感。むこうは、確か18歳くらいで成人として扱われると聞いたような気がするのだが、禁煙ばやりの昨今でも、フランスでは周囲を気にせず未だにポイ捨てしているのか?女学生が喫煙してても、誰も嫌な顔をしないのか?映画だからの話か?

同性愛者の感覚は、やはり理解できない。それを主なテーマに描くことも、意味がよく解らない。同性愛は二の次で、ただ恋人の出会いと別れを描いた作品とすると、確かによく描けていたとは思うものの、そんなテーマに賞を与えるべきか、やはり解らない。

また、子供が楽しめる映画ではないと思う。R指定が相応しい。少女にこんな作品を見せて、何か強い影響を与えてしまわないか、やはり気になってしまう。自分の娘でも他人の娘でもそうだ。著しい男好きにならなくてもいいが、異性のほうに興味があったほうが動物的にはノーマルと思える。

あらためて考えてみるが、異性への興味は本当に自然発生のものだろうか?

例えば全くの孤立社会で、周囲がレズばかりの世界で育った子供は、異性に興味を持つものか?そんな研究は読んだことがない。おそらく、かなりの割合で異性のほうに惹かれるほうが多く、教育がレズを推奨しても限界があるのではと想像するが、固定観念によるものかもしれない。実際は解らない。

恋人と観る映画としても、何かマズイように思う。もし自分の恋人にこの作品を勧めたら、相手は「まさか3Pを企画してるの?」と勘ぐるだろう。それはマズイ。マズイと感じるのも、ただの固定観念だろうとは思うが、生殖の面を考えると、異性を交際相手にしてもらう必要はある。

文化的な理由か何かで、同性愛を基本とする社会ができたら、何の疑問もなく同性に興味を生じてしまうのかも知れない。筆者の今の感覚だと気持ち悪いと思うが、教育次第でベッカムやキムタクに憧れるようになるのかも。

研修医の頃、3Pに引きこまれそうになったことがあるが、女性が著しく魅力のない酔っ払いだったので、道を誤らずに済んだ。でも、もしアデル嬢が相手だったら、筆者の理性は役に立たなかったと思う。

 

 

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