映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主

  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« クレヨンしんちゃん オラの引越し物語 ~サボテン大襲撃~(2015) | トップページ | はじまりのみち(2013) »

2015年5月 4日

ピアノ・レッスン(1993)

Miramax

- 迷惑だわ -

発語障害の女性が、娘を連れてニュージーランドの開拓者に嫁ぐ。嫁ぎ先とは馴染めない女性だったが、ピアノのレッスンをきっかけに、近隣の男と知り合う・・・

・・・女性監督のジェーン・カンピオンの構想、脚本によるらしい。筆者(劇場主)は事前の知識なしにDVDで鑑賞。娘にレッスンする話かなと思っていたら、レッスン相手は現地の開拓者だった。この作品は子供には全く向かない内容だった。

ヒロインは発語障害。ラストで発声はできていたから、構語、発語の段階での問題。言語の理解は充分できているから、言語的な情報処理は可能で、どんな病態か分からないが、もっと発音があったほうが自然だったかも知れない。

あえて話さない設定にしたのは、ヒロインの感情が態度以外では分からないようにしたかったからかも。例えば少し好意を持っている段階でも、「あんたなんかと付き合うつもりはない。」と、言葉で言うことはある。態度だけで表現させたほうが、心理的な変化を表現する場合には都合が良い。

吃逆が高度になると、もしかしてこのような病状になりうるのかもしれないが、話そうという意志があれば、声は出そうな気がする。声を出さないという意志が働いた状態・・・つまり、頑固さがある・・・やはり映画用の特殊な病態ではないか?

ピアノが自分の表現手段になっている点が、映画のストーリーでは重要なことだった。話せない分だけ、ピアノに対する執着、依存度が高く、ピアノを平気で捨てる人間を許さないこだわりにつながっている。そこを強調するための、映画用の病態かも。

女性に限らず、誰でもこだわりはあると思う。こだわりがないと疲れる。慣れたものと同じであることで、我々は安心する。いちいち判断する場面が多くなると、時間的にも精神的にも無理がかかる。慣れた一定の行動パターンは必要。毎日すべてが違ったら、精神の安定を欠いてしまう。ピアノに触れることが大事な障害者の設定は、それを際立たせる意味があった。

女性を演じていたのはホリー・ハンターで、筆者はよく知らない女優。この役は自分から売り込んで主演したらしい。存在感、実在感が充分に感じられ、適役だったと思う。演出も良かったのかも知れないが、傷ついても声を出さずに歩き出し倒れる姿など、迫力満点だった。

神経質そうな顔、筋肉質で小柄な体は、役柄を考えると最適だったと思う。ふくよかな女性が、あんな個性だとは考えにくい。演技力以前の段階で、この役はスリムな女性しか演じられない。

体型と性格は関係すると思う。神経質な人は、筆者のイメージのせいかもしれないが、傾向として体が細いように思う。中には太った神経質人間も、特に躁鬱の傾向がある人の場合はあるかもしれないが、神経質に何か考えて、しかも大量に物を食べれるのは、この役とは違う精神病態では?

娘役のアンナ・パキンが気になっていた。「グース」の頃よりも少し前の出演のようだ。それでも充分に演じている。子供の頃からこんな役を演じていたら、精神発育に良いかどうか分からない。今後の彼女の行動を見守るしかない。

ヒロインの行動、考え方の是非はともかく、彼女の影響を受けた娘がどのように成長するか、ヒロインがそこまで責任を問われるべきか、そこらは結果次第と思う。どのような結果になっても、甘んじて受け入れる覚悟は必要。ヒロインに共感できる面は多いが、結果も気になる。子供の成長や、そもそも子供が安全に生きていけるかも大事と思う。

この映画には色々なテーマがあったと思うが、第一は女性による選択の自由、感情面の重要度が挙げられる。ヒロインには、当時の時代のことだから配偶者を選ぶ権利がなかったはずだが、自分の好きにしたいと願い続けていた。それを肯定的に描いていた。選択の自由はあるべきだ。

女流監督だったからこそ描けた面はあるはず。不倫映画と言えばそうなので、このような展開は許せないと考える人は多いはずだが、この作品では気の毒な境遇の障害者がヒロインだったことと、ピアノに対する執着が絡んだことで、評価は変わってくる。

ヒロインは許されるべきか否か。賞賛されるべきか否か。糾弾されるべきか否か。それとも、そんな評価自体がそぐわない存在なのか?筆者には分からない。

嫁ぎ先の一家が生死の境をさまよっている、または経済的に極めて厳しい状況なら、命より大事なピアノであっても捨てるべきと思う。ただし、その後の人間関係は諦めるしかない。一生口をきかなくても当然。でも、この家族のシチュエーションは、そこまで逼迫してなかった。

ピアノを取りに行くというのは約束。それを破っているのに、彼女の気持ちに気づかないのは、夫婦の仲を考えると非常に考えの足りないことは間違いない。ただし、それが不倫の理由になるかと言えば、やはり別問題だろう。

したがって、ヒロインは賞賛されるべきとは思えない。気持ちは分かるし、糾弾されるには気の毒な境遇で、できれば好きな人と暮らさせてあげたいと思うが、ヒロイン側にも問題はある。旦那も可哀そうではないのか?

もともと男女関係について、この種の評価をすべきではない。良い悪いの評価をしても仕方ない面はある。ただ、子供や家族の生活に影響したりしなければと個人的には思うが、あんまり家族を気にしすぎると、女性の人権を抑圧するのも確かだし・・・

では、この作品でハーヴェイ・カイテルが演じていた人物。彼は、賞賛されるべき人間であろうか、糾弾されるべきか?もしくは、良し悪しは関係ない存在か?

彼がレッスンを受け始める段階で、どのような意図があったのか?最初から完全な企みがあったかは判らないが、野望や妄想めいたものはあったように想像する。よほどのバカでない限り、純粋にヒロインを気の毒に思ってピアノを運んだとは思えない。

たぶん同情の意味など全くなく、彼には欲だけしかなかった。単にひと目で好きになっただけかもしれないが、ピアノの話を持ちかけた時点で、ある程度は騙し、ヒロインの気持ちを利用し裏切る意図で計画的に企んだと考える。そんな人物が得する流れを、推奨していいのか?

だが、彼の気持ちも分かる。ただ糾弾されるべきとは思えない。彼の計画で不幸な人間が出ることは明らかだが、結果的にヒロインが救われるのなら、許されるべき面もあると思う。ただし、これはかなり稀な成功例だったかも。もしヒロインが殺されたら、彼は最悪の人間だったとなる。

彼は事を急いてはいなかった。それが成功理由のひとつだろう。触ったりから、徐々に関係を深め、慎重に相手の変化を待った。途中は騙す場面も多かったが、最終的には完全に相手の判断に任せるという、ギリギリ正当な態度は守っていた。その点は褒めても良いかも。

もし最後まで強引な取引の関係のままだったら、もう明らかに彼を許せる点はなくなる。ただヒロインを苦しめ、友人を裏切っただけになる。ヒロインは話せないから気持ちは判断しにくい。感情を理解しにくくて、この映画のようにならないことが多いと思う。単純に評価できない。

彼を正当化したら、ストーカーも許されかねない。関係の初期段階では、ストーカーと彼に区別のつけようがない。ヒロインがピアノにこだわっていなかったら、絶対に関係はストップしていたろう。嫌がるヒロインに付きまとうストーカーの成功例を描いた作品、少なくともそれと厳密に区別しがたい作品・・・それを評価して良いのか?

現実の交際も、客観的に見れば似たようなもの。男女の関係は、かなりの場合ゆっくり静かにレイプしているようなもの。段階を追って納得したり、諦めたり契約を交わしたりしても、他人から見ればただくっついたかどうかの点で変わりはない。互いに一目ぼれし、無条件に愛し合う関係でない場合、打算や諦めの要素が多いはず。

さて旦那さんだが、彼には落ち度があった。せめてピアノの位置を変えて、波にさらわれない工夫、日をおいて約束を果たす努力くらいはして欲しい。はるばる持ってきた品。大事でないはずがない。

理解力の足りない旦那さんだったのは確かだが、結構気を使う人間で、悪いヤツではなかったようだ。ヒロインの気持ちで勝手に不倫三昧をされたら、彼の気持ちの方は無視されて可哀そうに思う。理解力がないからと、罰を受けても当然だろうか?

彼はヒロインに謝罪し続ける必要があった。許されることがないとしても、事あるごとに事情を説明し、陳謝の態度は続ける必要がある。ただし彼はかなり紳士的な態度を保ち、ヒロインの気持ちが変わるのを待っていたようには見えた。自分の努力と我慢で関係が好転するのを待つ姿勢は、ひどい態度とまでは言えない。

開拓という事業の中で、無駄な金を使ってピアノを運び、事業の方に支障を来たしでもしたら、そっちのほうが許されない。経営状態によるだろうが、事業優先、そして花嫁に一家の一員として状況を理解し、一定の協力をするよう自覚を持ってもらう必要性、そこらを考えると、ヒロインの気持ちを重視するのに限界があったかも。

基本、開拓地では仕事と育児以外のことは考えないのが正しい。それがルールと言える。そもそもヒロインはルール違反で、彼女の気持ちがどうかは大事に考えてはいけないのかも。意思に反した結婚で夫は無理解だとしても、新参者は土地の伝統や習慣に従うべき。

韓流ドラマのような非現実的な世界なら、ヒロインの気持ち優先がよい。現実社会、ジャングルでの開拓地なら現実優先、そこいらを開拓者の妻は自覚すべきと考えても当然。もちろん、従うのが嫌でもいい。とことん嫌で従う意志がないなら、最初から来ないなら良い。

ラスト近くで、ピアノを船に積むかどうか、ピアノといっしょに心中するかどうかが問題になる。ピアノを諦めるということは、ヒロインの生き方を変えること、皆の命を優先すること、新しい生き方に賭けることなどを象徴している。過去の彼女の選択の根拠を捨てることにもなる。さて、彼女はどう判断するだろうか?

フランス映画なら、船が転覆して皆が死ぬかも。あるいは、ヒロインの娘だけが犠牲になるといった最悪のラストも考えられる。アメリカ映画なら、なぜか皆が金持ちになって終わるかも。さて、ニュージーランドではどうか?

周囲の人々は、ヒロインを理解できていなかった。病的と評価していたようだ。原始的な社会では気持ちを慮る余裕などないから、彼らが粗野で酷い連中だとは言えない。マトモだったとも言える。彼らが豊かになり、暇になって、恋愛のことだけ考えても良くなれば、ヒロインの気持ちは大事に扱われると良い。格差社会で皆がヒーヒー言っていたり、テロリストに銃を突きつけられた村なら、ヒロインのことは忘れるべき。無視したほうが利口。

現実は厳しい、もっと大事なこともあるのでは?と感じてしまう筆者は、一生もてることがないだろうが諦めましょう。こんなヒロインに振り回されたら、仕事などできない。迷惑だわ。

尚、この文章は、特定の人物、例えば筆者の奥様などを念頭に書いたものではなく、怒りや憤りの感情をいっさい含んでいないことを断わっておく。

 

« クレヨンしんちゃん オラの引越し物語 ~サボテン大襲撃~(2015) | トップページ | はじまりのみち(2013) »