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2015年5月10日

小さな恋のメロディ(1971)

Herald

- 少女の運命 -

公立学校に通うダニエル君とメロディ嬢は恋仲になり、大人達の反対を押し切って結婚しようとするが・・・

・・・4月5日、衛星放送で鑑賞。とても懐かしい作品。筆者(劇場主)は、公開時の小学生時代は観れなかった。18歳頃、リバイバルで始めて鑑賞したはず。

この作品は日本では猛烈なヒットになったが、なぜかイギリスでは受けなかったという。セリフに問題があったか、演技力のせいで本国の人にはリアルな感じが出なかったのかもしれない。日本人に外人の演技力はあまり関係ないから、可愛らしさと設定、音楽が良ければ受ける。この作品は、それらが抜群に優れていた。

そう言えば、ビージーズの人気が出たのは日本のほうが早い傾向があったらしい。ビートルズよりメロディアスで優しい雰囲気にこだわった部分が、叙情的な曲を好む日本人には受けたのだろう。この作品の音楽は本当に優しい。

曲調や声と映画のテーマが一致していて、それだけで雰囲気が良い作品になることは確実。加えての部分は色々あったが、普通のドラマのレベルで充分だったと思う。例えば学校の先生達の仕草や口調。気どった雰囲気、その保守性がユーモラスに出ればシニカルな笑いが期待できる。やりすぎると嫌悪感が出るからテレビドラマ的なレベルで留めるべき。そのへんは充分に心得ていたようだ。

ダニエル君の母親役、メロディ嬢の家族達の演技も単純明快、完全にテレビドラマのよう。日本人としては分かりやすくて好感を持てる。舞台俳優のような演技をされたら、親達にも同情してしまって、観ていて楽しめなくなる可能性がある。彼らは全て違う世代の人間、もしくは違う動物のようなものとして描かれるべきだった。

ダニエル君役のマーク・レスターは可愛らしい少年。見た目が大事だった。彼の出演が作品の成否を決めるほどの存在感だった。寂しそうな表情が素晴らしいし、根性が悪そうなイメージが全く湧かない稀有のキャラクター。大人になってからは全くのように魅力がなくなったそうだが、やはり子役の多くの運命通り。

メロディ嬢役のトレイシー・ハイドには色気を感じる。少女でも妙に色っぽい娘がいるが、この役には確かに色気が必要だったかもしれない。仮に優等生的なイメージのエマ・ワトソン嬢がもし演じていても、リアルなイメージにはつながらなかったのでは?優等生で賢いエマ嬢が結婚に同意するとは考えにくい。もちろん、ブサイクな少女でも無理。一目ぼれが当然と思える色気が必要。

大人になってからのトレイシー嬢は、美人ではあっても、かなりの肥満体だったと記憶する。30年前くらいまでは映画雑誌で見かけていた。彼女も、子役専門の俳優だったようだ。

悪友役のジャック・ワイルドの顔は素晴らしかった。いかにもイタズラしそうで、先生には常に怒られそうで、観るだけで笑ってしまう。筆者の育った田舎にも、あんな子はいた。

ストーリーは非常に簡単で、途中は学校生活の描写、友人達との遊び、遊園地や海岸でのデートなどのシーンが雰囲気を出していた。学校生活の様子は日本とそれほど変わらないが、多少野蛮な印象も受ける。

もしかすると、ストーリーはもっといじったほうが良かったのかも知れない。先生達との攻防での形勢の変化があったほうが、少年達の結びつきを強調したのではないか? 説教されてダニエル君がへこたれたり、反撃するために友人達と計画を練るなど、戦いのシーンを長くすると盛り上がりが違ったかもしれない。

メロドラマにする手もあったと思う。より心に残る結末が生まれたかも。二人がいろいろ工夫し、努力もしたが、結局は引越しなどで別れることになるようだと、ラストは涙なしでは見られなくなる。営業面を考えると、そうすべきだったかもしれない。

そもそも結婚しようという話だけで、どう盛り上がるのか?普通に考えると、企画としてはインパクトに欠ける。ただの幼稚なお伽噺、テレビドラマ的な企画に過ぎないと考えるのが正しい。作品のレベルを上げ、劇場公開に耐えうる設定にしたいなら、本来はもっと工夫が必要だった。たまたまヒットしただけでは?

この作品を我が家の子供たちに見せてみたが、意外に反応に乏しかった。筆者が見た時とは時代が違って、子供の感覚にも変化があったようだ。それとも単に子供たちの個性の違いかも知れない。あるいは音楽の違いか?今の子供にすれば、懐メロをBGMにした映画に魅力を感じるのは難しいかも。

当時は過度の競争、紛争にしらけた、‘優しい時代’だった。古い観念への疑問も吹き出ていて、ナンセンスな規定に反発することに意義があった時代。今はかなり復古調で教育された子がおおかろうから、世相が違う。したがって、見かたも違うのか?

70年代、まだ学生同士の男女交際は派手にはできなかった。ほんのわずか前のことだが、戦前の‘席を同じうせず’の世代が親だった当時のこと、おおっぴらに歩くのは勇気が必要だった。戦後育ちの世代が親になるのは80年代以降。そこに大きな違いがある。親が許さないと、子供も遠慮する。

「自分も異性と交際したい。それが当然の時代だ。そうなるだろう。」70年代の日本人の小学生は、おそらく誰でもそう感じていたのでは?だからこそ、切実な夢を描いた作品に喝采を送ったのでは?わずかな時代の違いが、自由な交際に対する認識に大きな違いを生んでいて、それで筆者と子供達との感覚にも違いがあるのかも。

先日、同級生だった女性が自殺してしまった。亡くなるまで知らなかったが、ウツ病を長く患っていたらしい。

学生時代は部活などでも目立ち、ボーイッシュで颯爽とした美少女だった。うつ病を発症しそうなイメージとは正反対の存在。冗談も通じるし、経済的に苦しむ状況でもなく、家族にも恵まれていたはず。うつ病は生活状況に関係なく発症するものだろうが、それにしても彼女が発症とは予想外。

彼女の若い頃の目の輝きや肌の張りを思い出す。何かで暴れていて服が大きくはだけ、筆者の目の前でオッパイが出そうになったことがある。彼女は目をひんむいて、あわてて胸を隠したが、すべすべしてそうな肌、大きな目、その後の恥ずかしそうな表情を覚えている。

その後、一度だけデートしたが特別な関係にはならなかった。あんな生命力に満ちた少女が、最近はどんな姿だったのか、全く知らない。知らないほうがいいと思っていた。おそらく、彼女のほうもそうだったのでは?

‘若葉の頃’の女学生は、できればそのままのイメージでいて欲しい。同性のクラスメートなら、互いの齢の取り具合をからかいあうこともできるが、女性にはできない。

 

 

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