映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« グース(1996) | トップページ | 主人公は僕だった(2006) »

2015年3月 2日

21世紀の資本論(みすず書房)

- 欲に耐えるべし -

トマ・ピケティ教授著の「21世紀の資本」が評判なので、買ってみた。5940円もしたので、ちょっと高すぎる。その内容だが、経済学用語についてはさっぱり分からない。そのため特に前半部分は理解不充分。また、理論的にも感服できない。高額資産に課税すべきという結論が文章の随所で述べられているので、論理性には欠けていて、最初から結論ありきに過ぎる印象も受けた。1回では用語が分かりにくい。

時間を作って二回読んだら、少し理解できた。すると、どうも日本語の訳がおかしいことに気づいた。学者が翻訳しているのだろうか?日本語になっていない文が多い。言っちゃいけないが、日本の経済学者にロクなのがいないことが証明されたのかも。

結論に真新しさはなく常識的なもので、ピケティ以前から新聞等にも繰り返し述べられてきた内容。格差是正、海外のタックスヘイブンへの対策の必要性は、既に指摘されて久しい。そういった内容に対しては米国流の反撃があって、なかなか世論の大きな潮流になれていなかった。評論家達はメディアお抱えの人たちばかりだろうから、自由貿易しかないという意見がほとんど。

安倍政権の方針は、米国のシカゴ学派などの潮流から発生していると思う。米国の意志に従った勢力だろう。そもそも首相誕生の流れは不自然で、米国の意志が関与していたように見えた。日本政府への米国からの要求は、おそらくはビジネスマン種族の要請に準じる形で、米国政府の要求として求めているものだろう。それに沿った政策は、基本的にはピケティ氏のとは反する方向にある。

これだけピケティ氏が人気になると、今後予想されることは以下の通り。

①反ピケティ運動・・・シカゴ学派に準拠する勢力が、何か仕組んで反発してくる可能性はある。特に米国でピケティ派が大きな活動を始めた場合、論拠となるピケティ氏の評判を下げる必要がある。何かのスキャンダルが発生しないだろうか?美人局的にインタビューさせるワナなどありうる。米国のインタビュアーにはモデル並みの人が多いから、色気でピケティ氏を陥落させないとも限らない。肉欲に耐えるんだ!ピケちゃん。

②米国の選挙に影響が生じるか?米国の選挙は、ウルトラ右翼で人類のことなどおかまいなし、自分の利益以外は考えない連中が激しく活躍するという。連日の祭り騒ぎがほっとして、我に帰った有権者が「いやいや格差の是正も必要よ。世界ではそれが主流だもん。」と気づいた場合、一気にその票を取り込もうといった動きが出てくる可能性もある。アカだ!と攻撃する連中と、格差打破を叫ぶ連中が激しく戦うだろう。米国のマスメディアで、日本ほどピケティ本が報じられているか、圧力がかかって報道が控えられているか、その辺に興味がある。

③欧州対米国企業との諍いが生じる可能性。欧州はピケティ派が主流を成すかも知れない。政府もそれを無視できず、多国籍企業への風当たりが強くなり、課税の動きが出るだろう。すると米国との関係に変化が生じるはず。米国政府はもろに企業体の人間が補佐官に陣取っているはずだから、意見の調整ができるか予想は難しい。米国だけ企業体が優勢のままか、欧州の流れに押されるか?その時にロシアやイスラム諸国との関係に何か重大なことがあったら、壮大な妥協が生じる可能性もある。

④本当に多国籍企業に何かの課税があるかもしれない。そうなると、企業は対抗策として中国やロシアへの逃避を考えないだろうか?ピケティ理論は、企業にとれば脱出の理由になりうる。欧州や米国が強制できない地域に逃げる、それが最も単純な対策。中国なら欧州のルールなど気にしないから喜んで受け入れ、結局は課税が難しいといった情況もありうる。そうなると、理論も絵に描いた餅。あんまり効果を期待できないことになる。

⑤日本がどうすべきかだが、日本人は学習意欲旺盛だから、学会の中ではアベノミクスだめ、ピケティ派万歳という大きな潮流が発生するかもしれない。すると日本の巨大企業や資産家たちは、やはり海外逃げ出しを考え、産業空洞化と税収不足が起こって、またまた景気財政が悪化し、それ見たことかとシカゴ学派が復権・・・そんな二転三転のシナリオも成立しうる。

⑥日本の政府もマスメディアも、米国の意志の下にある。だから、ピケティ派は大きな潮流にはならないかもしれない。ピケティ派の学者は教授になれず、テレビにも新聞にも登場させないという大きな方針がトップダウンで来るかも。シカゴ派の学者達が揃って論陣を張って宣伝に走るか?ピケティ氏の資料によれば、既に長年の黒字分は内部留保か海外投資されているらしい。それが、そのまま国外に逃げるだけだろうか?

ピケティ派の第一の問題は、実際の政策や税制に影響しうるかどうかということ。敵は根深い所でメディアや政府、議会を握っているから、なかなか正面からは戦えない。

海外と多少は事情が違っても、日本にも一種の氏族意識が強い人は多い。平等よりも、自分の家族の豊かさが圧倒的に大事。資産課税には拒否反応、自分の資産に影響する税制は許さない。格差が是正されようと興味はなく、心情的に反対のはず。まあ当然だろう。誰でも金を取られるのは嫌だ。彼らが態度を変えるのは命令に対してだけ。そんな心情は利用され、反ピケティ運動に利用されかねない。理論がいかに正しかろうと、ピケティは悪魔の手先と言われるだろう。

最近の税制改正で、生前贈与に関してはかなり緩和されたらしい。政府も資産を流動化させる必要性は充分に理解しているはず。なんといっても予算が足りないのは明らか。予算の元がどこにあるか考えたのだろう。ただ、本当に有効な手段である企業や資産への課税には強硬な反対が予想されるので、手をすくめている状態かも。

筆者が思うに、仮に資産税を強化するとしても、個人資産には今のままが基本であるべき。中間層を保護するのが目標なんで、中間層の上部に位置する小資産家には影響を少なくすべき。せいぜい相続税の調整による、緩やかなものが望ましい。本当の敵はグローバル企業や、桁外れの資産家だけであることを強調しないといけない。小資産家は保護しないと大反対を生じる。どうしたって、ファッショだ!アカだ!といった批判は必ず浴びるだろうけど。

何かの理由で格差問題がもっと大きな政治的ウェイトを占めれば、合法的に有効な対策がとられる可能性もあるが、ふつう高齢の人たちは孫がどう懇願しても、感情的に資産税には反対だろう。孫自身も、資産がある子は当然反対する。頭では考えきれない。大半の人が無資産に近づくほど事態が進めば、さすがに皆も正気になるかもしれないが、そこまで待つべきではないだろう。

事態が悪化する前に対処できるとしたら、外圧か強制しかない。強制が働かない場合は、ズルズルと破綻に向かうはず。効率の良い投資が出来る集団が資産を集め、その究極の姿はSFチックになる。少数の支配層と大多数の貧乏人の世界だ。バカバカしい話。中間層が保たれるようにしないと、若者は結婚や出産を控え、共同体全体が沈没する。そんな政策を皆が支持するなんて・・・・でも現実、支持されてきたのだ。理解は難しいのだろう。

筆者なんだが、筆者には資産がないので、大儲けは諦めている。若い頃に相当考えたことで、もう30年以上前に筆者はデータなしでピケティ理論にたどり着いてたから、元祖ピケちゃんと呼んで欲しい。 氏との違いはデータの裏付けがなかったことと、諸悪の根源を企業におく事。企業の中枢であるビジネスマンや投資家も確かに凶悪だろうが、個人より企業体として考えるべきでは?あちらのビジネスマンは、一人では行動しないと思う。

今は、成功を夢見る時代ではない。学問がなくても、普通に考えれば分かるはずだ。よほどな幸運、経済成長の勢いがないと、無資産の人間にできることは少ない。能力だけでは、自然の成り行き(資産の集中)には抗えない。壮大な神話の時代は去って、新参者には厳しい時代。そして穏やかな人間は、自分の精神衛生を考えても、商売に徹する生き方は選べない。感謝や協調を基本としたい。

もともと税率というのは、機会均等を維持できるように様々な調節をすべきだろう。古来、そうされてきたはず。どこかに資産が集まるなら、普通に考えても課税強化が望ましい。タックスヘイブン対策も必要と思う。G8などで策を練るべき第一の議題だと思う。成長に直結する問題なのだから・・・・筆者はピケティより前から、21世紀資本論をぶっていたのじゃ・・・・結果、世間から浮いちゃってる。

浮いてしまう理由は色々あるが、「俺は努力して今の自分がある。それを否定するな。」という意識がある人は、感情面で筆者の意見に同調できない。それが理由のひとつになる。成功神話に取り付かれている人にとっては努力=財力=成功=評価が当然で、努力が通用する時代だからそうだったとは考えたくない。努力の及ばない富の集中や、経済の膨張縮小が人の生き方に関わることを、どうにも理解できない人が多い。

筆者の態度に問題があることも確か。日常で30年も格差問題を考えている人間は、普通いない。気味が悪かろう。しかも人の努力を評価しない、敬意を示してこないとなると、ロクな人間とは思えないはず。最悪の評価とあいなる。

とにかく筆者は資産家になれない。教育資金を捻出し、ローンを返すのに汲々。でも、それが結構楽しい。変態だろうか?・・・ピケちゃんがどうなろうと巨大企業が海外に逃げようとも、筆者には変わりがない気がする。ピケティの本を完璧に理解できても、それで何かできるとは感じない。格差是正は必要だが、世間は未だ違う風潮が主流で、ことの意味を違ってとらえている。

当面は何も変わらないだろう。でも、どこかの国がいち早く格差是正に成功し、経済成長したら、急に変わるかも知れない。手本があれば、問題点は明瞭になる。どこか、そんな国があるか、だが・・・・

 

« グース(1996) | トップページ | 主人公は僕だった(2006) »

無料ブログはココログ