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2015年3月14日

ルーシー(2014)

Europauniversal

- 方向間違い -

ヒロインは騙されて犯罪者組織の運び屋になるが、事故で大量の薬物を吸収してしまう。その結果、異常な能力が惹起されたヒロインは、犯罪組織と戦う・・・

・・・DVDで鑑賞。劇場で観なくて良かったと思った。演技やCGは素晴らしかったが、細かい点で満足に至れない気がした。方向性が狂って、アイディア倒れの印象。

主人公はスカーレット・ヨハンソンで、冒頭のいいかげんそうな女の演技が素晴らしく、いかにもいそうな遊び人の雰囲気が充分に感じられた。その彼女が突然手錠をはめられると本気で怒るのが当然の変化なんだが、その時の態度も素晴らしかった。

あの男女のやりとりは最高。もしかして、あれが作品のハイライトで、あのシーンで半分くらいは終わっていたのかも。そうだったら、せっかくなら男のほうも最後までストーリーに絡んでよくなかったろうか?もったいない話。

ヒロインのキャラクターについても根本的な疑問がある。普通に考えると、自分が何か不幸な情況になったら、自分の運命を呪ったり悲しんだりするのでは?それは能力が高い人間の場合は違うかもしれないが、能力が上がってもクールになるだけとは考えにくい。逆に精神的に不安定になるだろう。そして悲しみを表現することは大事だった。

筆者が考える理想のヒロイン像は、激しい能力を発揮して敵を皆殺しにするが、その後は敵を哀れみ、自分の運命を呪い、その能力を破棄したいと願う、そんなキャラクター。それなら観客も同情してくれるのでは?クールに自分の生き残りばかり考える路線もありうるが、この作品のシチュエーションを考えると、それでは支持を得るのは難しい。

能力の極限をどのように考えるか、その哲学的なレベルが、作品のレベルに直結していたのかも。ただのICチップの形成が究極の能力では、味気ないというもの。

そのヒロイン像の関係で、この作品は子供が楽しめるとは思えない。また、残虐なシーンもあるので、基本的に家族がいっしょに鑑賞するタイプの映画ではないはず。恋人と観るべき映画とも思えない。恋人が登場していたら、随分と印象が変わっていたろうに。万事、味気ない印象を受けた。

銃を取り上げたりする超能力ではなく、騙し操るズルイ能力や身体能力が発揮されるほうが面白かったかもしれない。銃で撃たれても素早く避けて、もっぱらアクションで立ち向かうなら、観客には好印象だったと思う。筋力や素早さ、賢さや計算能力、そんな生身の能力のほうが大事だった。

でも撮影技術的には素晴らしかった。カーチェイスが凄い技術。敵方の韓国~中国系犯罪者達の風体、演技も良かった。超能力に関しても、「アキラ」で表現されたような能力がCGで丁寧に描かれていたら、もっと良かったかもしれない。

ラスト近くでコンピュータが形成された。あれがラストに相応しいのか、疑問に思った。彼女の肉体が消滅するのが良いことか?製作者達は、人の能力の究極の形がデータチップと考えているのか?違和感を感じる。

筆者の感覚では、仮に肉体が消えたら神秘的、霊的な存在として存続するのが理想というイメージがある。肉体が消えることをヒロインが悲しむと、客も同情するだろう。その代わり、神のような存在になるわけである。携帯端末の中に現れるのも良いだろうが、そんなものを介しないで存在してくれたほうが、より至高の存在と感じる。

それに、能力が残っていなくてもいいから、できれば普通に戻って肉体が残ったほうが良かった気もする。ハッピーエンドになる。

ヒロインが元に戻ってアーパーな女になっていたら、科学者達も観ている観客も苦笑したろうが、それも良い後味になるのでは?

 

 

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