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2015年3月17日

南極物語(1983)

Touhoukadokawa

- 情操教育映画 -

昭和基地の隊員達に、退去命令が下る。犬達は鎖につながれたまま置き去りとなる。それが許せなかった主人公らは、再び基地を目指す。その間犬達は・・・

・・・DVDで鑑賞。宣伝が懐かしい。雑誌などのメディアを総動員して、大がかりな宣伝をやっていた。薬師丸ひろ子と間違いそうな顔の荻野目慶子が同じような役目を果たしていた。おそらく偶然ではなく、薬師丸をイメージしていたに違いない。宣伝のスタイルも角川映画とそっくりだった。

実話が元になっているらしい。犬達を連れて行けないと分かった時点でクサリを外さなかった理由がよく判らない。普通の感覚の人間なら、エサをばら撒き、鎖は外し、幸運にかけて解き放とうと考えるように思うのだが、何か規則に縛られたか、もしくは冷酷な隊員がたまたま命じたのか?

何かの手続上の問題、意思疎通の問題が生じていたのかも知れない。基地側は当然犬も連れて帰るはずと思っており、船側は犬のことなど意識にない、直ぐに出発しないと人間が漂流することになるという心配と、犬への処置をどのタイミングでやるかの連携など、指揮系統にチグハグな点があったのかも。

犬に限らず、人間に対しても‘取り残し’的な酷い仕打ちはよくある。問題点は充分に分かっていても、自分がババをひくのが嫌で口に出せない、または無視したりする場合も多い。基地問題や原発問題の根底には、きっと意識に目隠しするかのような反応が関係している。古くは満州引揚の例でもそうだろう。勇ましい軍人達も、撤退する時は自分が大事になる。

犬達はアザラシの糞を食べていたようだと、研究者が語っていた。魚が元なんで、最も効率の良い食材だったに違いない。アザラシは滅多に陸上に上がって来ないだろうから、襲って食べるのは無理。少なくとも主食にはなりえない。糞や死骸をもっぱら狙うのが正解だろう。ただし、それでは映画にならない。

この作品は、今でも子供といっしょに鑑賞できると思う。情操教育的にも良さそうな作品。恋人と観るのも悪くはないと思う。

渡瀬恒彦が意外なほど存在感たっぷり。彼の目が全く笑っていない点が、この映画の役柄に合致していたように感じた。高倉健も笑顔は少なかったが、怒ったような目をする渡瀬のほうが迫力があったと思う。声も素晴らしい。本当の人物にしか思えないほどの好演だった。最近はドラマでボンヤリした刑事役などをやっているらしいが、勿体ない。

考えてみると、この役は悪役俳優が演じると良かった。主人公と対立しながら、でも犬のことは誰より考える。そんなキャラクターなら最高だった。

高倉健は、本来のキャラクターとは少し違う役だったように感じる。極端に言えば、彼の役は必要ない。渡瀬だけで充分で、高倉の良さがあまり感じられなかった。渡瀬に喰われていた印象。この作品はかなりフィクションで作られているから、いっそ全くフィクションの高倉健的人物を設けて、そんな役を演じさせたら良かったかも。

懐かしい夏目雅子。この作品では添え物的な役割だった。役柄に合っていたかも疑問。若すぎるし、可愛らしすぎると思う。もっと年配の落ち着いた印象の女優が、傷ついた夫を慰めようとするほうが良くなかったろうか?若くて可愛らしい夏目の風貌では、渡瀬の苦しみの深刻さを表現する際には良くないように思う。

夏目は渡瀬を祭りに誘っていたが、自分が行きたい様子ではなく、明らかに慰めるために誘っているのが分かるほうが良かった。そのへんの心情が分かりやすいのは、もっと可愛くない女優だろう。

音楽はとても素晴らしい。「炎のランナー」よりも出来が良いかもしれないとさえ思う。ヴァンゲリスは当時人気絶頂だった。その後どうしているのだろうか?

最近はシンセサイザーをメインにした音楽家は流行らない。‘イマージュ’シリーズなどを聞いていると、ちゃんと活動している音楽家は多いはずなんだが、映画では普通のオーケストラの曲が多用されるように戻ってしまった印象。流行り廃り、慣れと飽きの問題か?

ラストシーン。遠くに犬が見えて、人間達のほうに向かってくる場面。もっと工夫した撮影、編集法があったのではと思った。盛り上げ方が足りない。もっと叙情的にできたはず。

それに現実の場合、犬達が野生化していないか不安に感じないとおかしい。犬達も、現れた人間が元の人間か、凶暴な敵か判断したいと思うのでは?犬達が襲ってこないか?といったセリフが欲しかった。それが杞憂と分かって抱き合うなら、もっと喜びが大きいと思う。

例えば事前に話し合っておく。「犬達が生き残っていたとして、野生化してないかな?」「我々に襲いかかってくるかもしれないね。」そして犬を発見して、不安げに眺める。緊張が走る。やがて声に反応して走ってくる。自分達を覚えてくれていた!そうなると絶対に嬉しい。不安の後の喜びだから。

 

 

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