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2015年3月11日

幸せの黄色いハンカチ(1977)

Shochiku_2

- 更生について -

刑務所を出たばかりの中年男と、旅で知り合った若い男女が北海道を旅する話。男は事件の責任を取り、離婚していたが妻に未練たっぷり・・・・

・・・3月3日、衛星放送で鑑賞。部分的にはかって観たことがあった。今回、全体を初めて鑑賞したのは当然ながら、高倉健が亡くなったからだ。個人的には、この作品が高倉健の代表作と思う。彼のヤクザ映画はあまり観ていない。間違いなく転機になった作品。当時の意外な印象を記憶している。

芝居が全体にくさ過ぎたと思う。当時もそう思ったし、今回もそう思う。武田鉄也が特にそうで、転ぶ場面が何度もあったが、回数が多すぎた。あわて者、ドジ、ひょうきんな人物像を端的に表現していたといえばそうだが、ギャグは肝心なところに限定してこそ有効。実在感のある人物にするために、映画なりの制限は必要だったと思う。意見が分かれるところかも知れないが。

いまだに思うが、この役は他の本職の俳優のほうが良かったと思う。影があって内気すぎる印象の役者か、やせっぽちが良い。強がりが上手いと、さらに良い。オーバにならないことは大事と思う。観客が可哀そうに感じ、しっかりアタックせいよ!と言いたくなってくれる個性が望ましい。

桃井かおりが随分とふっくらした顔だったことに気づいた。彼女は長いこと化粧品の宣伝に出続けているから非常に美しい人なんだろうが、この当時はけだるそうな話っぷりの独特な女優としか感じていなかった。雰囲気として自由人で、美容に努力してそうには思っていなかった。健康と美容を管理しないと、仕事は続かないものだ。

細かい演技、演出が随所にあった。

主人公が妻の妊娠の知らせに喜んで、嬉しさを顔に浮かべながら家を出るシーン。自然と笑顔になってしまうニヤケた表情が上手い。大きく顔を写し過ぎててあざとくならないように、チラと写すなど、節度をわきまえている。同じように、倍賞千恵子や桃井もほのかに嬉しそうな笑顔を浮かべて、さりげなく顔の向きを変えるシーンがある。芸が細かい。

黄色いハンカチがカメラの隅に小さくチラと見える。あれも上手い演出だった。観客が先に気づく意図だったに違いない。意味が直ぐに分かる観客が7-8割、2-3割は後で指を差されてはっきり分かるかもしれない。ハッとさせる効果が確実。

さらに言うなら、他の表現もありえる。なんとなくカメラの視界から通り過ぎさせて、あたかもカメラマンが気づいて目線を変えたかのように急にカメラを戻してアップする、人の目と同じような感覚を再現する手法もあったかも。

あるいは武田鉄也が一人先に行って様子を見ると、何かあって急に笑い出すか、泣き出す。どうしたのかと桃井が寄っていくと黄色いハンカチが見える、そんな方法も古典的かと思う。そんな手法でもクライマックスが強調されて、さらに良かったのでは?

タイトルは好きになれない。当時もそうだった。「黄色いリボン」の猿真似のようで、せめて色を変えることは考えないのかと、不快に思った。今でも、他のタイトルにでもしてたら、もっと味わいが出たんじゃないかとさえ思う。二人にしか分からないエピソードを作れば、どんな目印でもできたはず。

ただし、この作品は大スターの高倉健が主演する映画だから、観客はある程度のお約束のパターンでストーリーが進行してくれることを好むはず。全く新しいキャラクターではなく、ヤクザ者の新たな展開が欲しいわけで、そうなると筋書きも最初からどんな結末か予測できたほうが良い。お約束のパターンが必要。

黄色いハンカチが最後に出てくることは確実でないといけない。そうなると、あまり自由に作品をいじれない。タイトルだってそう。「夕張物語」「君よ網走の塀をくぐれ」「ああ大雪山」などとやらかしたら、舞台に空き缶が飛んでくるかもしれない。誰もが理解できること、絵になること、それらを考えると、あまり冒険できなかったのかも。

この作品は、仮に今日上映されるとしたら、人気が出る企画だろうか?今の若い観客に、高倉健は古すぎる印象しかわかないかも知れない。お勧めはできない。もはや家族で楽しむ映画とも思えない。

でも、韓流が好きな人なら、濃厚な芝居に反感を持たないかも。この作品の作風が非常に気に入ってしまう可能性もある。子供でも好む子はいるだろう。

ビデオ業界を除き、ヤクザ映画が流行らないので、もう高倉健のようなイメージの俳優はいない。Vシネマの俳優や哀川翔などが同じ役をやっても、失笑を買ってしまうかも知れない。あの当時の世相、業界の状況、俳優たちが揃ってできた企画のように思う。

犯罪を起こしてしまった人間の復帰について、美しい話はそう多いものではないと思う。最近、改めて考えざるをえない事件があった。川崎市の中学生殺害事件。

容疑者は現時点ではまだ取り調べ中だが、現行法ではおそらく少年院か病院などに送られ、数年後には社会に復帰してくることになるようだ。更生と処罰、温情と再発予防の視点によって、いろいろ考えられる。筆者は、再発予防を重視したい。

今回の容疑者は自首していないし、犯行を隠そうとした様子が明らかと報道されている。携帯電話や衣服を処理し、事件後に口裏合わせの対策もやったという。報道の通りなら、少年法の対象の根拠とすべき更生の可能性は、全く感じられない。

感じないから少年法の対象でないという理屈は成り立たない。筆者以外の人間は、それでも法改正には慎重かも知れない。実際に意外と更生できるかもしれない。彼の生き方が今後、大きく変る可能性は確かにある。でも、そういった考え方が甘すぎて、犯罪者を増長させてしまうなら、それはまずい。

悪質度に応じて対応を変えることも考えるべきでは?一律に年齢で対応を決める根拠は希薄だろう。更生する率、再犯率などは統計があるはず。適切な年齢制限は、本当に20歳なのだろうか?古すぎる規定ではないか?根拠はどうか?

窃盗などとは質が違う事件。ただの喧嘩とも違う。今回は集団リンチで、しかも最も弱い立場のメンバーを選んでいる。自首の有無、隠匿工作の有無などから過失でないことが明らかな場合は、何らかの違った対応が必要と思う。

少なくとも、再犯がないようにすべき。できるだろうか?

 

 

 

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