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2015年2月12日

かぐや姫の物語(2014)

Touhou

- 自由と管理  -

かぐや姫の物語を、スタジオジブリがアニメ化。DVDで鑑賞。姫が屋敷を飛び出していくシーンが劇場宣伝で使われて、作品のことは知っていた。最近流行のCGめいたアニメではなく、手書きでしかも荒っぽい作図のスタイルが独特。

ストーリーのほとんどはオリジナルのかぐや姫と同じ。ただし、かぐや姫の物語は地域によって時代によってもバリエーションがあるそうだから、これもオリジナルのひとつなのかも。途中で村の幼馴染との再会がある点、月から迎えに来るのが仏の姿をしている点は多少の意外感。筆者が見た絵本では極楽のイメージより、王様女王様が座っていたような印象がある。

天にどのような存在が鎮座しているのか、その点を誰か民俗学者が研究しているのを読んだ記憶がある。少なくともジブリの頭の中では仏教の菩薩や仏が、天の最高に位置する存在だろう。中国の王様のような格好の絵も見たことがあるから、絵描きによっても違うのだろう。

ヒロインのキャラクターは、映画用に多少の脚色があったようだ。オリジナルでは自意識に目覚めるような話は聞いていない。性格がよく分からないが絶世の美女であり、自分の運命はかなり前から知っている。だから求婚されても無理難題をふっかけるという風に、辻褄が合っていた。でも、この作品ではなぜ無理な要求をしたのかが、やや不可解な印象を受ける。

オリジナルを知っている我々なら構わないが、かぐや姫のことを知らない人間には、物語がチャチに見えてしまうという欠陥につながる。不可解な点は、海外向けに極力排除した方が良いと思う。単純に、天からある日知らせが来て、姫は自分の運命を知ってしまうという設定のほうが分かりやすい。

この映画のテーマは何だろうか?筆者は残念ながら感じ取ることができなかった。この作品をあえて企画した意図、狙い、成果、それらが分からない。だが、駄作だなんて全く思わなかった。適度なユーモア、友情や愛情、人生訓になりそうな物語の展開は、ちゃんと描かれていて、きっと家族で楽しめる映画だと思う。

恋人とはどうか?恋の話が出てくるので、観ても悪くないかも知れないが、恋はこの作品の最大のテーマとは言えないようだ。成就しない幼い恋心は大きな要素だったようだが、時間的には小さめのテーマだった。二人が手をとって空を飛ぶシーン。「ハハハ。」と、爽やかに笑っていたが、演出の流れを考えると、少女のほうは泣いていたほうが良い。それにハハハは、今の時代は流行らない。「青い山脈」の時代まで。

画風を変えて、親子の断絶と理解、別離、介護問題や教育問題を連想させる極めて真面目で、暗めのリアルなマンガにする手があったかも。簡単に人が死んでいく時代、京都の町にも疫病や災害が押し寄せる時代だったはずなので、リアル路線は歴史的にもおかしくはないはず。笑いを排除するのも良い一手だったかも。

幼馴染の声援の青年のキャラクターに違和感。簡単に家族を裏切って、新しい恋愛に逃げ込むなんて、随分とうらやましい・・・じゃなくて、酷い話。彼らの思い切りを尊敬する・・・じゃなくて、道義的にまずいと思う。

芸能界ニュースで知ったが、高橋ジョージ氏と三船夫人が離婚調停中らしい。ロック好きの私も実は高橋氏の曲はよく知らないのだが、彼ら夫婦のコマーシャルは知っている。仲の良い夫婦だとばかり思っていたが、意外に分からないものだ。浮気があったかどうかなどは知らない。興味もない。でも、離婚は思い切りが要るだろうとは思う。子供のことを思うと、やはり我慢するのが普通だろう。

筆者は我慢を知っている。今週の日曜日、筆者の奥様は「銀行に金が振り込まれていないから何も買えない!」と怒って、料理をサボタージュしていた。筆者が買ってきたパンなどを子供達は食べたから、飢え死にはしないのだが、筆者としては金は既に振込み済みで家内の勘違いと思った。それに、先月分の数十万円はどうしたの?まさか、もう使った?

日曜に言われても、家内がキャッシュコーナーに行かない限り確認しようがない。筆者が料理する時間もない。その場で解決できない時に糾弾するのは破壊工作者の常套手段だ。でも、筆者は我慢を知っている。

たぶん、ただのサボタージュの都合のこじつけに違いないと思い、高橋三船夫妻のように性急に判断は下さなかった。賢い筆者は何も答えず・・・まあ無視させていただいたわけだが、翌日に銀行で振込み済みを確認し、家内の策略と挑発には乗らなかった。挑発に乗るようでは、結婚生活は続かない。

挑発と言えば、安倍政権はイスラエルや中東諸国に経済的援助や、商取引ガラミの交流をやっている。これがイスラム国には挑発と写ったようで、先日の不幸な事件へとつながったようだ。確かに刺激してもおかしくはない動きではあった。でも、どっちみち敵は機会を狙っていたに違いない。

イスラム国が挑発するから周辺諸国に援助したとも言えるので、双方が対立をエスカレートさせる方向に行っている。困ったことだが、イスラム国は既に宗教の教理を外れた性格が強く、周辺の宗教家の仲介も考えにくい。米軍に頼っても、事態を悪化させる可能性が高い。この種の事件の解決策が、今後見つかるだろうか?

仮にイスラム国が壊滅しても、彼らの残党は必ず他の地域に行って、そこで復活する。次々と新しい兵士が育ち、人質事件やテロを繰り返すに決まっている。住民がいる限り、テロは必ず続く。欧米に被害が及ばないようにするためには、フセインのような圧制者を誕生させて、民衆を抑えつけるしかないのか。

かの地に民主主義は向いていないと思う。意見を自由に言わせたら、それは結果的にテロや拉致を正当化させてしまうだけで、穏便な意思決定にはつながらない。それは歴史が物語っている。略奪やテロは紀元前からの伝統。部族単位の地域があるかぎり、民主主義の浸透にはよほどな幸運が必要。

対策のひとつとしては、根本的なことではないのだが、再発予防のために邦人の独断行動は、いかなる理由をもっても許さないのは大事。ジャーナリストにとっては明らかな邪魔になっても構わないので、誘拐のチャンスを減らすことは必要。イスラム国はジャーナリストだろうと何だろうと気にせず、ただの人質にしか考えていない様子。自由意志で行っても、身代金要求の道具にされたら、国の責任。自由にさせておくことは許されない。

報道の規制は、本来ならやるべきではない。例えば政府内部の情報をスパイしようとしても、よほど歴史的な機密を除き許容すべき。情報保護法でジャーナリストの自由を奪うと、為政者の都合によって何時か来た道に進む原因になる。国内か国外か、政府の管轄範囲か外か、常識が通用するか無理か、そのへんで対応を決めるべき。

残念なことだが、紛争地域やイスラム国のような特殊な地域の人の場合、自由な移動を許すのは後々の災いを生む。逃れてきた個人には気の毒だが、その人の子供が過激派に変わるのが現実なので、人道主義の意味は一世代のその人だけで考えることはできない。ただし、このような考え方は現行の法律からすれば違反になることが多いだろう。

 

 

 

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