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2015年2月 3日

チョコレートドーナッツ(2012)

Bittersend

- 弱者への視線 -

ゲイのカップルが、ダウン症の少年を引き取って暮らそうとする。しかし周囲は認めず、法廷闘争となる。カップルは厳しい世間の目と戦うが・・・

・・・DVDで鑑賞。原題はAny day now・・・日本語のほうが断然良い。   

見ごたえのあるドラマだった。ダウン症の俳優が素晴らしい演技をしていると雑誌で読んでいて知っていたが、確かに稀有な存在だったと思う。彼が見せる笑顔は実に素晴らしいものだった。

主役はアラン・カミングで、筆者には怪人を演じた個性派俳優の印象が強いが、最近はドラマで法律家役としても何度か見た。日本だと市村正親に似た役者向きの眼力のある俳優で、どうやら実際にも映画と同じような活動をしているらしいから、役柄と個性が一致して、存在感には凄いものがあった。

カミングは、歌唱力も素晴らしかった。曲の選択もセンスが良い。この作品自体をミュージカルにすることだって出来たかもしれないが、実話に基づく脚本があったらしいので、あんまり大きく変更することはできなかったかも。

ゲイであることを理由に職業上の不利益を被るなど、権利を侵害されることは、道義的には許されない。でも、よほど珍しい一部の地域を除き、おそらく現実には暴力的な扱いも含めて、激しい排斥を受けるに違いない。命さえ保障できないだろう。

日本でも、白眼視は覚悟しないといけない。‘良識’ある態度をとる一般の人間の多くも、おそらく無視、非協力を基本とした態度をとる。積極的に助ける行動はとられない。ゲイに優しいことは、自分もゲイではないかと疑われる危険性がある。そもそも道義的であることにこだわることは自分の立場を弱く見せ、場合によっては排斥される側に回されることを意味する。それが怖い人は、無視するしかない。

宗教面で格段の重しがかかる米国でも、その点は同じと思う。法や宗教のルールに則って障害者を援助するなら許されるが、同情して何か独特の行動をとる場合は、犯罪と同じようになることが、この作品でよく分かった。実話に基づくらしいから、この作品の流れは本当にあったことなのかもしれない。そして、当然の帰結を迎えたわけだろう。

作品の中で法律家が見せた判断が正しかったのか、そのへんが問題。法律に基づいて判断し、結果はともかく適正であろうと努めた・・・そんな言い訳がなされるだろうが、空しい。引き取り手に関しては、ゲイであるなしよりも、虐待者になりうる性格の持ち主か、その人格が問題。親が過剰に厳しいだけでも、子供は白雪姫のような境遇になってしまう。性的趣味より人格と育て方が大事。

世間にゲイのカップルは多いと思うのだが、彼らが障害者の子供を本当によく管理できるのか、何か妙な教育上良くないことを躾けないか、自分達の性的嗜好をおしつけないか、気になるのは確か。彼らの家庭での教育振りを、彼らが話す言葉や態度だけで評価することは難しいから、判断の責任を問われるのが怖い。

警察や司法関係者として危惧すべきは、引き取り手に隠された意図があって、少年が後に被害者にならないかと言う点。そこを重視すると、よほどな確信がない限り、ゲイのカップルを信頼することは難しい。後で責任を問われるのは怖いので、公的な施設に丸投げしたいのが本音だろう。

精薄者施設ではいけないのか?施設は、それほどまで少年にとって良くないのかと考えることもできる。拘禁されたり虐待されることがあるのか?実態によっては、施設だけは避けたいと願う心情も理解できることになる。でも、そんな事実がなさそうなら、やはり施設が順当と考え(逃げ)てしまうだろう。

子供が高度の障害者であるなら、引き取り手の多少の性的な異常は問題にならないだろうという意見があるかもしれないが、それも差別的見解。例えば、可愛らしい男児がゲイのカップルに養育されたら、幼児への性的虐待を生まないかと想像すべきではある。よく障害者施設でレイプ事件があるというから、弱者の引き取り先に関しては十分な確認は必要だろう。

それらの点を考え、筆者は子供がよほど嫌がらない限り、一般的には施設への入所が原則と考える。ただし、子供が希望している場合は、たとえゲイカップルであっても、その人格面に問題がない限り、情状を考慮すべき。もちろん後のフォローは必須になるだろう。虐待や妙な性的行為が疑われたら、直ちに離さないといけない。

特に今回のように母親が養育の適正を欠く場合は、過去の判例に従うのは安易すぎる。母親の権利を不適切なレベルまで重視するのは危険で、母性を過剰に高く評価してよいとは限らない。麻薬は母性を凌駕する支配力を持つから麻薬なのである。司法の最後の判断は、結局は間違いだった。

筆者には気味悪く思えるゲイの世界だが、脳のちょっとした違いから起こってくる感覚の違いがあるだけだろう。人格には関係ないはず。幼児への性的な固執があるなら、ゲイか否かに関係なく養育者には不適だが、ゲイにその傾向が強いのだろうか?よく分からない。

米国では色々な法律面の規定が進んでいるらしいが、日本の場合はよほど大きな問題が起こらない限り、法的に規定することはなさそう。例えば養子縁組に関してどうなっているのか、何か古い規定にすがって判例を重ねているだけではという危惧を覚える。日本のゲイの情況については、どうもよく分からない。

 

 

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