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2015年2月 9日

眠狂四郎炎情剣(1965)

Daiei

- ヒーロー像 -

浮世と離れた素浪人の狂四郎は、あだ討ちの女を助けた縁で、悪徳商人やワルの家老と知り合う。彼らは海賊の財宝をめぐって巨万の富を得て、しかも互いに相手を破滅させようと企んでいた・・・

・・・2月1日、衛星放送で鑑賞。50年も前の作品とは!実に面白い設定で、ニヒルでノンポリの主人公が人を助けるかと思いきや見殺しにする。かと思えば通りすがりの人物を助けるために命を張るという、一貫性に問題のある態度、それでいて多少は考えに一本通った感じもする、当時として理想であったろうヒーロー像が描かれていた。

おそらく作者シバレンには、当時の世相を評して、こんな主人公が最も格好良く写るに違いないという確信があったのでは?実際に筆者の子供時代、ひねてアウトロー的な人物がヒーローであることが多かった。安保闘争か労働運動のなれの果てか何かは知らないが、モーレツ社員達が、自分の代わりに世間から超越したヒーローに望みを果たして欲しかったのでは?

あんなヒーローは、三船敏郎の用心棒や、マカロニウエスタンのスター達もそうだったが、颯爽としておらず、決まって出世も考えず、身なりも汚らしいし、言葉も汚いことが多い。狂四郎は汚くは見えなかったが、それでも羽織袴を着たりは絶対にしそうにない。どことなく上品なのは歌舞伎の世界の名残りなんだろうが、そこらが少し味となって独特の格好良さを生んでいた。あれを勝新太郎体型の俳優が演じたら、たぶんリアルにはなっても品が下がっていただろう。

あんなヒーロー像、筆者も子供の頃は真似をしていた。手をポケットに突っ込んでスネたような上目使いの目線で人を見たりしていた。同級生たちも似たようなもので、ラッパズボンをはいたり、大人になってもタバコを退屈そうな顔をして吸ったり、要するにツッパリであったのだろう。ツッパリは、おそらく自分を守ろうという反応の一種だろうと思う。

演じていた市川雷蔵は強そうに見えない。体つきから考えて、切り合いでは押されたら倒されて一巻の終わりにならないとおかしい。迫力に欠ける彼が主役を張れたのは不思議な感じがする。いっぽうで、どこか洒落た感じ、ギョーカイ人の雰囲気は、歌舞伎出身者であった彼の特徴で、役柄に合っていた。迫力だけでは演じられない役柄だった。

中村玉緒、阿部徹、西村晃らが共演。中村玉緒は悪女の役だったが、非常に見事に演じていた。それなりに美しく、目線がきつく、野心家らしいが可愛げもある女を感じさせていた。声色が今のバラエティ番組の声とは全く違う。相当作った声で演じていたか、もしくはホルモンの欠乏により男性化したのか、そのへんは定かではない。

西村晃のアップの場面が多かった。嫌らしい人物だが、他の映画との若干の違いは、この人物もリアルな生き残りのための工夫をしていて、自分の後ろの黒幕と運命を共にしようとは思っていなかったこと。悪人同士の裏切りはよくあることだが、この作品では自分の考え方を自分で丁寧に説明することなどが違っていた。アップの際の顔の影などの表現も、とても悪役を写したものとは思えなかった。

そもそもテレビを観ていて思ったのは、画像が非常にきれいだったこと。リマスタリングをやっていたのだろう。おかげで、アップの画面の顔の陰影が緻密に表現され、密室の心理劇の際に感じられるような臨場感、彼らの心情が窺えそうな表現の力強さが感じられた。カメラワークに関して、相当練ったに違いない。

殺陣のシーンも工夫が感じられた。円月殺法は笑ってしまいそうなものだったが、写す角度を色々変えて、飽きが来ないようにと考えたのでは?でも別な考え方もあったと思う。例えば、普通の切り合いでは円月を出さす、敵の最も強い相手と戦う時だけ見せたほうが、観客の注目度が変わる。出し急がないという方針はなかったのだろうか?

また、もっと奇想天外な流派を、カメラワークで見せる手もあったと思う。スローモーションや月の映像などを合成して、謎めいた剣術を演出することは考えても良かったのでは?やりすぎると子供映画になってしまうから敬遠したのだろうか?あんまり奇抜すぎる演舞もできない。演じていた雷蔵が吹き出してしまったりしたら困る。

さて、この作品、今の子供にはどう写るのだろうか?、まさか単なるレイプ犯の記録?・・・少なくとも倫理的に問題がないはずはない。道徳の授業の代わりに鑑賞させるタイプの映画ではない。やはり大人限定の映画だし、もはや時代的に賞味期限は切れていると感じざるを得ない。せっかく演出やカメラワークを工夫しても、黒澤映画とは方向性が違うから、長持ちはしなかったようだ。

 

 

 

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