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2015年1月22日

her/世界でひとつの彼女(2013)

Herwarner

- 精神リハビリの話 -

妻と離婚調停中の主人公。コンピュータの恋人キャラを体験してみる。`彼女'サマンサには人格が設定され、主人公は彼女に癒されて生活に張り合いが出てくるが・・・

・・・DVDで鑑賞。コンピューターと人間との関係については、随分と昔から様々な物語が考えられ、なかには非常に感動的なものもあった。手塚治虫の漫画「火の鳥」にはロビタとかいうキャラクターが登場し、人間と深い愛情で結ばれていた。「A・I」も素晴らしいセンスに基づいていた。この作品も非常に出来が良かった。

画像としての機械やロボットが登場しない点で、この作品は変っている。シカゴだろうか?非常に美しいビルの光景は出てくるが、肝心の彼女のビジュアルは最後まで現れない。もっぱら言葉に徹することが良かったのかどうかは、もしかすると意見が分かれるかも。

ビジュアルで登場してしまうと、観客なりのイメージを発展させにくいという欠点はある。また、イメージと合致する女優が必ずキャスティングできるかという問題もあるだろう。スカーレット・ヨハンソンが出演すると最初から分かっていたら彼女のCGを登場させていいかもしれないが、あんな美女でも肉がタプンと動いただけで夢が失われる可能性もある。かって「シモーヌ」という映画でも絶世の美女が登場していたが、やや好みの分かれる美女だった。それなら、表わさないほうが良い。

言葉だけで表現する場合の問題は、やはりインパクトに欠ける点。テレフォン・セックスみたいな濡れ場だけでは、さすがに興ざめしてしまう。ビジュル面の工夫はもっと必要と思う。筆者の感覚では、主人公のイメージの中だけででも、ヒロインを登場させて欲しかった。

この作品は家族で楽しむ性格の映画ではないと思う。基本は大人限定、できれば静かな芸術作品でも観るような感覚で、時間を確保してから観るべき。MTVで使われる表現の技術が嵩じると、一種の芸術的実験のような映像になりうるのだと感心しながら観れる。MTVやYouTube時代の映像感覚が、この作品には満ちている。

主人公のキャラクターは良かった。米国に手紙の代書屋が本当にいるのか知らないのだが、そんなサービスがあっても不思議ではない。知的だが、マイナーでオタクっぽいイメージがする仕事と思う。そんな仕事の人は、おそらくは小説家を目指して静かに暮らしているだろうというイメージも浮かぶ。彼らが恋愛をしたら、おそらくは繊細すぎてはかないものに終わる確率が高いだろうと、これも想像できる。映画的には良きキャラ。

ただし演じる役者が、ややイメージとは違っていた。ホアキン・フェニックスは、どちらかと言えば狂気の混じった激しい攻撃性、敵愾心や悪意をイメージする役柄が多い。静かに文章を練り上げるような繊細な人物に合う個性だろうか?体型やイメージが、主人公に求められるものとは少し違っていたかもしれない。でも、上手い演技だった。

エイミー・アダムスは現実面でのヒロインだったが、こちらは他の作品よりも若々しいメイクをしていて印象的。もしかすると、少し前の映画だったら、こんな役にはガサツそうで元気が良い、ボーイッシュな女性が出てくることが多かったように思う。女友達として望ましい、色気があまり出てこないタイプの良き女友達、そんなキャラクターでは飽きられていると思ったのだろうか?

先程も述べたが、街中のディスプレイ、ビル群の映像が素晴らしかった。音楽もよく考えてあった。監督は元々ミュージック・ビデオの製作からスタートしているようだ。当然、印象的なバックの映像作りには実績充分といいうわけ。

陳腐なテーマとは言える。だが、普遍的な性格もある問題。技術と人間の精神との関係は、現れる技術によって想像を絶する変化が起こりうるだろう。人工知能と人間は恋愛感情を発展させることができるだろうか?そこが、まさに作品の元となるアイディアでの元となる問題。技術がどんどん進めば、かっては考えられなかった関係が作れるかも知れない。

今朝のテレビでやっていたのは、少女の目の動きを再現した技術者の話。ロボット工学を学んだ方らしいが、上目使いや微妙に視線を外す少女独特の恥じらいを示す動きと、人間を検知するセンサーとを連動させると、相手に応じて微妙に視線を動かすことが可能なようで、妙に恥らうロボットが出来上がるということ。パターンさえ増やせば、様々な感情を表現切る出来ると思える。

人間が感情を通じて恥らうのと、ロボットの恥じらいに、どれくらいの違いがあるのか、つきつめて考えていくと難しい。人の感情も神経ネットワークや脳内伝達物質の状況などに調整された統御機構の表現系にすぎず、システム次第では再現が可能かもと思える。コンピュータ相手では味気ないと思うが、慣れの問題かも。

この作品でのOS(AI~ソフトというべきかも)の話は、筆者の奥さんの口調とは全く全然、完全に違う。相手への配慮と敬意、友情、愛情を感じるものであり、その意味で会話に限れば、サマンサ嬢は奥様より人間的。奥さま側がどのように感じているかは、この際、度外視しているけど。配慮ウンネンは筆者の主観の問題である可能性も高い。

せっかく会話するなら、いちいち毒を持つ口調で話さなくても良いのではないか?良い関係を維持する努力はすべきでは?といった不満を感じながら会話するのは精神上、良くない。それくらいなら、AIと会話して日常を過ごし、子供を作る時だけ人間と向き合うのはどうか?そんな考え方も生じうる。家事や子育て、特に子供の監視、養育に関する管理技術が高くなれば、人間より子供の養育の力があるロボットが生まれるかも。そうなったら、いよいよ夫婦は必要ない。

険悪な口調の会話からも、学ぶことはある。何でも良いことを見出したがる筆者は、そのように考える。厳しい関係に耐えても、家族を守る責任を果たすため努力するうち、筆者は鍛えられていると思う。AI相手だと、おそらくこうはいかない。無茶や非道な言語表現に触れることがなくなれば、いざ外の世界でそれらに遭った時が貧弱になってしまうかも。家で鍛えられているから、外で耐えられることはありうる。これは屁理屈だろうか?

そもそも、人間に近いレベルのAIを目指す意義がよく分からない。人の代わりを作って、人を何かから解放することを目指すなら、例えば受付の役割なら価値はありうるが、多額の費用をかける重要事項とは思えない。危険な業務、例えば原発内部で働く作業員役を作るなら意義は高い。転用すれば軍事関係にも使えるだろう。非常に怖い話。

失われた恋人の代わりを作る目的での研究は、確かに意味がありうる。癒しの効果が期待でき、精神的に参ってしまう多くの人々を回復させる可能性はある。精神科医や相談員の管理の下で、そんなAIを使う治療法には現実味を感じる。よほど高度な、それこそサマンサ嬢のような手慣れた能力がないと回復に失敗してしまうかなとは思うけど。

失恋した若者には無駄な治療は止めてもらい、高性能のAIと高度な性的刺激能力のあるアンドロイドをあてがって、悩む暇もない状態にしてしまうのも良い。そして、徐々に特定の女性に雰囲気を似させ、気がついたら「あの娘、やたら可愛いな。」と感じるように仕向けるってのはどうか?

この作品の主人公は、未来の精神科リハビリを受けたと集約できる。もっと簡略化して、質問と応答に限った精神療法用ソフトを作る研究者が、現実にいるかも。

 

 

 

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