映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« ローン・サバイバー(2013) | トップページ | キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー(2014) »

2015年1月 1日

日本海軍400時間の証言(2011)

Sinchousya

-軍令部・参謀たちが語った敗戦 -  NHKスペシャル取材班

NHKスペシャルで同じタイトルであろう、3回にわたって放映されたシリーズがあったそうだが、この本はシリーズの企画を解説した本。シリーズ自体は知らなかったので観ていない。Nスペは力が入っていることを感じる番組で、特に終戦記念日近くは必ずのように戦争ものがあり、いつも重厚感に満ちた印象を受ける。鑑賞する時間と、観るぞという覚悟が必要な番組。

この本の結論は、「沈黙をするな」、「責任回避するな」、「悪しき伝統は今も生きている」といったことだが、問題意識に関しては明確に書かれているものの、解決方法や今後の改善を具体的にどうするかといった内容は書かれていない。言い方は悪いが、せっかく大掛かりな調査をして資料を集めたものの、一般的問題意識のレベルを超えていない。

でも、仕方ない。問題意識を広く持ってもらい、改善する必要があると皆に考えてもらわない限り、改善策は必ず葬られる運命にある。いかに皆が認識できるかが大事で、認識の形成に尽力するのは報道関係者の務めであり、方向性は間違っていない。大上段に構えて解決策を述べたところで、無視されるのがおちだから。

また、この本の内容はかなり偏っている印象も受ける。そもそもOBの証言というのは、現役世代の証言とは違い、都合の良い部分だけ覚えていたり、美化したりといった修飾はあるはず。証言が正確という保障はない。また、OB会に出て来れる人間と、参加も嫌という人間では、証言内容も違うだろう。この本の著者らが出会えた人間は、もともと非常に偏った個性の持ち主かもしれない。

考えてみれば、責任感の強い人間なら8月15日に死んでないとおかしい。無責任だからこそ生きていられたとも言える。軍の上層部、特に参謀は、たとえどれだけ優秀だろうと、また主導的立場かどうかに関係なく、責任は必ずあったのだから。

出世を目指していた時期とOBとなった時期でも、違いは相当あるだろう。立身出世が第一の時期には、国の将来より自分の出世が第一、アメリカより陸軍との戦いが第一、退職してしまえば考えが正反対、証言内容も全く違う、自分が強硬路線だったことなどきれいに忘れている、そんなことも当然あるだろう。証言は正確ではないはず。

戦前、選ばれて高い地位にいたはずの参謀達、自ずと自覚を持って勝利や生き残りを目指していたはずと思っていたが、違うことに懸命だったのかもしれない。組織の一員、社会の一員としてのモラルより、権力や出世への意欲が第一となった弊害を筆者は疑うのだが、この本では特にその方面に関しての検討はなかった。その点でも、この本には偏りがある。

軍関係者に見られる「やましき沈黙」は良い表現だ。沈黙は確かに今日でもある。常にあったと言うべき。そこらじゅうに蔓延し、良き方向性をゆがめているように感じる。沈黙をするのは筆者も例外ではない。かってのボスに都合の悪いデータを外し、結論に都合のよいデータのみを使うように指示されたことがあるが、沈黙してしまった。はっきり拒否することはできなかった。

沈黙する際には嫌悪感、形勢が好転するのを待つ意図、自分を守るために意志表示しないという狙いなど、様々な感情が働くと思う。動物的な保身の反射のようなもので、やり過ごすことによって自分に攻撃の矛先が回ってくるのを避けようという、情動から発する経験則が働く。おそらく人間だけじゃなく、群れで暮らす生き物には共通している。

やましき沈黙を減らす方法があるのだろうか?難しいが、ないわけではないと思う。

批判した人物に危害が加わった場合の罰則を強力にすることが、やましき沈黙を減らす方策の基本と思う。でも、実際に厳罰を儲けるのは難しい。誰でも自分を守ることばかり考えてしまい、自分が罰されて困る規則は作りたくない。そこを真摯に検討して適切に定める、そこが多くの国で後手になる。その点を見据えた視点がないかぎり、また必ず間違う。その認識が不足している。危機を未然に防ぐ管理ができていない。

基本のひとつは発言者が誰か分からないようにすること。でも、これは裏取引を助長するだけという弊害もあるだろう。もうひとつは、反対意見の人物に仕返しをする上司に対し、より上位の人間を配置すること。人間がいないなら規則か裁判所が代替することになるが、規則作りが難しい。特に軍隊の場合、上司の命令は絶対というルールがあると、方針の修正意見は命令違反として処分されること確実。

自分が反対意見を述べたことへの腹いせで命令が下ったという訴えがあったら、命令違反と同等の要件として扱う。いざとなれば、差し違えて上司を葬ることも可能。疑いだけでも昇進にひびく規定・・・そんな規定をバランスよく作れば、組織としての力を維持しつつ、大きな間違いが修正できる。バランス感覚が必要だろうが、全く無理とは思えない。強い軍隊は、規則も強いはず。

「責任回避」の具体的なやり方については、この本を読んでかなり理解できた。東京裁判について何度か読んだことがあったが、海軍が組織的に責任回避を果たした手法はよく知らなかった。ただし思うのだが、どこの国でも証拠隠滅はやるはずなんで、日本独特の方法ではなかったのではないか?そのように想像する。天皇の存在がドイツとの違いを生んだだけで、基本はそう違わないのでは?

責任回避させない規則は必要と思う。でも、これにも反対意見が多いだろう。記録の管理には、モラルが必要。自分に害が及ぶ危険性を知りつつ、証拠を残すには勇気が必要。モラルだけに頼った管理はできないから、あらゆる権力から独立した存在が記録を管理する規則が必要。

ところが、権力から独立させる意識が足りないのが現実。権力者が暴走しないルールがしっかりあれば、安心して行動できるのだが、それを作りきれていない。市民勢力が権力を奪ってきた歴史がないせいか、権力を制限する意義に賛同する人が少ない。命令の元にスムーズに事が進むと満足するが、命令を出す側が暴走しても、やましき沈黙でやり過ごせば問題なしのように思ってしまう。暴走を許しては、組織全体に害が及ぶという危機意識が足りない。

これから危機意識が育つかどうか、予測できない。一般的に偉いと目される人、何か素晴らしい成果を挙げた人でも、この種のモラルに関してはサルなみの印象を受ける。当然かも知れない。集団の利益を自分の利益より優先すれば、自分の立場を悪くする傾向はあるだろうから。モラルを優先する人が偉くなりにくい傾向がある。

何かの偶然、たとえば外圧、学問的に系統立てた上手い解説、他国の成功、そんなものが重なれば、明確な問題意識が生まれ、権力暴走への危機意識、やましき沈黙を嫌悪する風潮などが一気に発展するかも知れない。黒船や不平等通商条約のような圧倒的な外圧があれば、さすがにお上に任せてはおけないと判る。政府や官僚にとことん幻滅することになれば、認識を変えるチャンスが生まれるかも。ただ、まだ可能性は低い。

意外だったのは、原発事故の際に、実はその原因である自分達の沈黙を反省しなかったこと。なんだか菅総理や民主党が悪くて、原発の管理者や業界関係者は頑張ったみたいな風潮になっている。あのような原発を作ったこと、作り方や管理方法が問題との認識は忘れてしまう。自分も間違ってた?ま、とにかく専門家に任せよう・・・って、専門家こそ被告席に座るべき連中なのに、認識が見当違いの方向に行ってしまう伝統は、あんな大事故の後でも変わってない。

通産省や電力業界内部に、海軍と同じようなプロジェクトチームが形成されたのか?その方針により、原発自体(=天皇)に害が及ばず、自民党や官僚OB(=軍の幹部)の責任は回避し、現場の隊長(=民主党)に責任を押し付ける。その方向で、マスコミや有識者を動員せよ。反対派工作として、反原発勢力のスキャンダル暴きを徹底・・・手法は見えている。責任回避の伝統は、しっかり受け継がれた。

 

 

« ローン・サバイバー(2013) | トップページ | キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー(2014) »

無料ブログはココログ