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2015年1月13日

ボラット(2006)

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- 女神降臨 -

カザフスタンの架空の報道員がアメリカを旅し、住民達とトラブルを起こしながらカリフォルニアでパメラ・アンダーソン嬢と結婚を目指す物語。DVDで鑑賞。

この作品は撮影の際、ほとんどの住民達には何も知らせず、勝手に撮影して映画として公開してしまったらしい。当然怒る人たちも出るわけで、作品の公開の後にはいろいろと訴訟沙汰があったらしい。賠償がどうなったのかは知らないが、迷惑な企画をやらかしたものだと思う。

アイディアが素晴らしかったかどうかも疑問。日本のバラエティ番組のほうがまだマシだったかもしれない。架空の国を考えて、能天気な住人が騒ぎを起こすなら問題ないが、実際に存在するカザフスタンをバカにするような表現は、笑って済ませられるのかと思う。一定の配慮は必要だろう。

いっぽうで、アメリカ社会の問題点、住民の本音の部分の表現に関しては非常に優れたルポだとも思った。突撃インタビュー形式でないと、なかなか本音は出てこない。人種差別意識に関しても、例えば日本人の記者が質問しても構えられてしまって本音は出てこない。こんな形で乗り込めば、彼らの本性が表現できる。その点は優れた企画。

ちょうどマイケル・ムーア監督の作品と似ている。あちらのほうがずっと高尚な路線だが、突撃インタビューの手法は同じ。後で笑われる出演者達には気の毒だが、第三者にとっては面白いし、本性の点は興味深い。この作品、日本人なら許容できる。ただし、正直に言って好感を持てる作品ではなかった。

子供には向かない作品。恋人と観ることも、ちょっと想像できない。でも、若い学生などがドヤドヤ騒ぎながら観て笑って過ごすには最高かも。毒のある笑いは、学生時代には必要な面もあると思うから。

この作品のアイディアは、イギリスのテレビで人気を博していたらしい。確かにイギリスや日本のテレビ限定なら人気は出ると思う。しかし映画の場合は観客が英国人や日本人とは限らないことが一番の問題。カザフスタン人が見るかも知れない。

この作品の場合はテレビの企画を知らない人たちを写して、笑いの対象にしている。テレビだって外国で放送されることがあろうが、元来テレビはスタジオ限定という意味合いから考えると、テレビはOK、映画は疑問という企画。やってしまったものは仕方ないが、製作者達は訴訟を受けないといけないだろう。作り方を考えるべきだった。テレビ向きの企画と思う。

1月10日頃、フランスの新聞社でテロが発生した。それに対して、昨日はパリで大規模な抗議デモがあって、160-200万人も集まったらしい。表現の自由と宗教や人種の問題は、根が深くて簡単には解決できそうにない。

事件の根底には基本、フランスの植民地支配の後遺症はあると感じる。今回もアルジェリア出身者の子孫が犯人の一人だったらしいが、おそらく仏国国内で仕事のことなどで不満を抱えているアフリカ出身者は多いだろう。失業率が日本とは違うから、それだけで誇りを傷つけられて育っているに違いない。かって彼らの祖国を支配したこと、労働者を呼んだことのツケは払わないといけない。

自由が大事なものであることくらい、誰でも知ってはいると思うが、現実に虐げられて育った住人には、差別や反目がないことのほうが重要で、口先だけで自由と言われても偽善としか思えないだろう。その認識の不一致を解決する方法は、基本は経済的に好調を維持し、職を提供するしかない。職があれば誇りはかなり保てるが、職が保障できないと理念だけで納得させることは絶対に無理。オレの祖国がフランスだと思ってもらわないといけない。

おそらく、今後は警察の捜査が一段と強まるだろう。もともとフランスの警察は非常に暴力的で執拗だと聞くが、さらに強硬になってアフリカ系住民とのトラブルは増えてしまうだろう。でも、テロ防止のために管理は必要と思う。融和政策の進展も必要。もともと西欧諸国は人種の融和に努力をしているはずだが、もっと計画的で大がかりなものになるのでは?

工夫はされると思う。それでもテロは頻発するだろう。武器は出回っているし、EUの経済が不安定で、雇用が満足されるとは到底思えないし、イスラム国が続こうと破綻しようと、戦闘員達が多数残ることは間違いないので、残党が絶えず攻撃を仕掛けてくるに違いない。不安が一掃されることはないだろう。それでも最小限の被害に留めるべく、努力するしかない。

日本は、あせって外国の労働力を安易に受け入れないことや、人口が減らないように資金を投入すること、宗教や人種への偏見を生まないような教育を継続することなど、昨今やっと見えてきた政策を続けて行くしかないと思う。ただし、充分に教育されてきたはずの日本人が、激しいヘイトスピーチをやらかしてるそうだから、ある程度の数の人には融和の努力も意味を成さないかもしれない。

対立、暴力、戦争がいかに不幸で悲惨なものか、それに対する恐怖をどの程度実感できるか、その認識の程度が高ければ最後の砦となってくれるだろう。それらよりも今日の反感、誇り、収入が大事と感じるようになったら、なるようになるしかない。全ての対立を消すことは難しい。せめて反感を煽るような内容は、いかに優れたジョークとしても使えないと思う。

 

 

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