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2015年1月 7日

ふたりの男とひとりの女(2000)

20fox

- 人格の評価 - 

街の人々に蔑まれた主人公は、突然人格が分裂し、無礼で大胆な男と大人しい性格の二重人格になる。そんな彼に女性の容疑者を送る仕事が来るが・・・

・・・ブラックで下品なギャグ満載のコメディ。主役は独特の表情で一世を風靡したジム・キャリー(今では知らない人が多いかも)。顔の変化だけでも凄いものだったが、気味が悪く、明らかにオーバーで演出過剰な動きのアクションもあった。そしてセリフの内容が凄かった。

色素異常症などの社会的弱者に向かって、あからさまに喧嘩をふっかけるような言葉を吐き、相手を不快にさせて楽しんでいる。社会常識、思いやりの面では最悪のセリフのオンパレード。劇場で公開できたのか疑問に思える。ただし、影でそれをやらない点は悪くない。相手の見ていないところで陰湿な態度をとるのが、弱者には一番こたえるだろう。

この人格の時に能力を発揮して強いなら面白かったろうが、肉体的には全く弱い点が変だった。個性を際立たせるためには、強い~弱いの間逆にしたほうが良い。度胸満点、狡賢く立ち回って、腕力を要さずとも強い立場に立つほうが嫌味があって良かったと思う。

もう一人の人格のほうも際立って個性的。別れた女房が置いて行った息子達を育てるのは偉いが、子供達は明らかに不倫の産物でもあり、理不尽さに腹を立てないのはおかしい。それに人種の問題が加わるから、余計にややこしい。

ヒロインのレネー・ゼルウィガーは良い味を出していた。目立つ役柄ではなかったはずだが、庶民的というか、雰囲気の良い女性を演じきれていたと思う。こんな役柄に関して言えば、彼女は今後も非常に生きてくる女優だと思う。既にお婆ちゃんの役が回ってきそうな年齢になってきたが、充分な存在感を出せるはず。

ギャグ満載の映画だったが、この作品の性格から考えると、子供にはマズイことばかり。絶対に見せるべきではない。また、恋人と観る作品でもない。下品すぎると思う。同性の友人同士か結婚したての夫婦ならいいかもしれないが、その他の相手と鑑賞するのは何かと関係悪化の危険をともないそう。冗談が通じる間柄でないといけない。

この作品で爆笑とまでいかなかったのは、ジム・キャリーに飽きてしまった関係もあるかも。「マスク」の頃は最高だった。オーバーな芸風は、漫才の場合でも人気が長く続くのは難しい。飽きが必ず来るから、新たなパターンを作り出して行かない限り、人気が尻つぼみになることは避けられない。顔の芸は見事であっても、他の路線、何か別な魅力を考え出す必要はあった。

おそらく、「トゥルーマン・ショー」の時の路線に徹していくべきだったのかも。気の毒な人というイメージを観客に持ってもらえる役に徹し、嫌われそうな酷いギャグは避け、悪役の場合でさえ同情を得られる何かの事情が必ずある、そんな点に気をつけないと、ただの異色俳優で終わってしまう。

・・・酷いほうの人格は、本当にひどかった。でも人格や人としての評価に関しては、難しい面もある。筆者は、人の評価に関して何か言える立場にない。筆者自身が多くの人から嫌われているからだ。好かれるよりも真摯でありたいと考えていたら、筆者のような人間になっていくと思うのだが、独善的にそう思い込んでいるだけかも知れない。客観的なことは言えない。

ひとつの考え方として、医師会を例にとる。筆者は医師会を脱会した。個人の内科系開業医としては珍しい。辞めた理由は、医師会内部の人間関係に嫌気がさしたことや、カルテルを結んで利益を確保しようという利権追求の姿勢、排他的な性格、派閥的な活動など、精神面が医師本来の活動とは異質のものと思えたからだ。組織に入ると自動的に必要になる性格のものだろうから、嫌なら入らないという選択しかない。

日本に限らないだろうが、一般社会の人間関係は、医業に求められる精神とは全く反対の方向性を持っている。社会で高く評価を受けるためには、倫理に反することも遂行せざるを得ない。それは一般の会社なら良くても、医師の場合はそうとも言えない。これは程度の差こそあれ、誰でも解っていること。倫理が必要な人は、組織活動をやりすぎないようにすべき。

もちろん、現実的なことを考えると、医師会べったりで活動したほうが良い。下働きをこなして医師会内部で優位な立場に立てば・・・といった立場状の都合や、融資の便宜、自分が病気の際の協力、市との契約などにも万事都合が良い。ただ、それらは古い体質から発生するもので、逆を言えば権益確保、排他性、構造的欠陥につながるもの。

あまり考えず、ただ大きく儲けたいと思うなら、医師会加入は必須。よく言えば、経営に真摯なら加入すべき。紹介などの形の助力を得てスムーズに商売する必要がある。企業体の基本として経営が成り立つように運営すべきだから、その方針に従って加入すべき。端的に言えば、そこが加入するメインの理由であり、大儲けを最初から諦めているなら、好きにすれば良い。

一般の人々が、医師会の存続を願っているか?・・・それは考えにくい。かってのような圧力団体ではなく、かなり弱体化したとは感じているだろうし、おそらく国民の多くは、何も意義を感じていない。自分らには関係のない存在で、強欲や利権のイメージは残るというのが一般か?倫理感あふるる団体と感じる人は少ないだろう。

医師会内部の評価は、だから外の世界では大きな意味を有さない。医師会の利益と社会の利益、医師会内外での人の評価は、多少(または大きく)違っている。

もうひとつの例。高く評価された人達が、破滅的な事故を起こすこともある。近々の例だと、原発事故がそう。もともと優秀な人達が集まっているはずの電力会社だから、上層部は人格や能力において凄く高い評価を受けていたはず。管理する側の役人も、さらに凄いエリート揃い。そんな連中が揃って間違いを犯していた。会社や役所の論理を優先するから、ああなったと断言してよいだろう。その意味で人の評価は、たいして役に立たないと思う。

基本、上層部に立つためには能力とともに、競争心や隙のなさ、つっぱりと同様の虚栄心のようなものが必要。なめられないことに徹していないと、やり込められてしまう。そして上手に立ち回る必要がある。倫理などが通用しない構造の中で生き延びるために、結果的に倫理を捨てることが多い。社長や次官だから人格も含め、何にでも優れているとは限らない。暴走族のヘッドと似たようなものであっても、不思議ではない。

東電は営利企業だから、医者のような倫理感は必要ない。役人とつるんで権利を確保するのは、営業上必要で当然。でも事故だけは起こしてはならない。特に原発の場合は後遺症が酷いことが確実だから、テロや隕石にも対応できる準備が必要。地震や津波ごときで事故を起こしてはならない。でも、そう考えている人は多くなかったようだ。人の評価は、危機管理には役立たない。

国民の多くは、原発を推進することに満足していないだろうが、実質は賛成している。自分の地域に影響しなければ賛成という姿勢と言える。今の与党が安定多数の議席を与えられたということは、そういうことを意味する。福島のことは他人事なんだろう。そうなら当然のことだが、福島にこだわれば社会的評価は下がると思ってよい。こだわって欲しくないことにこだわると、好きになれるはずがないのだから。

たかが評価に関して、こんなことを考えている筆者は、日本人一般の感覚から言うと完全に適応障害状況。人類全体で見ると、どうか知らないが・・・。思うに、皆が上手に立ち回ることばかり優先し、人との関係を気にしすぎていたら、その結果は当然のごとく出るものと思う。欧米には、組織の論理を上手く制御していると感じる地域がある。英仏はもちろん、ドイツや、その近くの国は、ナチス時代の反省からか、評価において視点を変える冷静な手法がなされているような、そんな気配のようなものを感じる。

 

 

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