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2014年12月12日

プリズナーズ(2013)

Warner

- 祈りの効用 -

幼児の誘拐事件が発生。容疑者が逮捕されたが証拠がないため釈放される。子供の父親は暴走し、容疑者だった男を監禁し勝手に拷問をかけて口を割らせようとする・・・

・・・気味の悪いサイコスリラーだった。ストーリーが特に優れていたとは言えないと思う。テレビドラマでも繰り返し観たことがあるような、珍しくない流れだったはず。でも、描き方のせいか謎解きの面、演技者達の苦悩が伝わってくる迫力が素晴らしく、よく出来た映画だと思った。

静かにカメラの焦点が動いて、何か怪しい気配が漂うシーン。ヒチコックやブライアン・デ・パルマ監督の場合は心臓に悪いシーンが直ぐ来るぞと予想が働くが、この作品は少しだけ趣きが違って、残虐なシーンではなさそうだが何か不気味なことが起こっていると分かる。そんな微妙な流派~趣向の違いが感じられた。でも、よく撮られていた。

監督はカナダの方らしい。スリラー専門になるかどうかは知らないが、映画ファンはきっとそれを期待していることだろう。ギャグ映画を撮ったら、観客は怒るかも知れない。

スリラー映画の場合、繰り返し鑑賞したいと感じる作品は非常に少ないと思う。謎があるからこそ面白いわけで、結末を知ってしまった後で、もう一度観てみたいと思えるような作品は、それだけで相当に凄い作品と言えるだろう。この作品は、時間があればもう一度観てもよいかも。

この作品は大人限定だと思う。残虐性を肯定している面が強いから。また、恋人と選んでみるべき作品とも思えない。観るに耐えられないシーンもあるはず。基本は個人で鑑賞すべき作品と思う。反対意見も多いかも知れないが。

障害者役を演じていた二人の俳優は、いずれも素晴らしかった。ポール・ダノは、以前にも「ナイト&デイ」で天才型の発明家を演じていたが、あれに近い個性を今回もやっていた。言葉の話し方、表情など実に上手いし、演出もメイクも素晴らしかった。もうひとりの迷路オタクのほうも不気味さがよく出ていた。

ただし思ったが、こんな映画を作ると障害者に対して気味が悪い=何か犯罪を起こすのでは?というイメージにつながらないだろうか?ほとんどの障害者は自分の方が怖くて外に出られない場合が多いと思う。積極的に出て行って、自分の意志でキャンピングカーを運転したりできるのは、おそらくとても稀では?

本当に怖いのは、一見すると普通だが、感性の部分、情緒の部分だけが欠落した異常者。車も普通に運転し、一見すると良い人そうで実社会で活動もできるが、相手の感情、人権が理解できない人物。筆者も人の感情は理解できないほうだから、あまり文句は言えないが。

また、気になったのだが、例えば車の下に板があった場合、誘拐事件を追っている警察が見逃すことがあるのだろうか?幼児の誘拐事件が起こったら、容疑者の住む家はもちろん、周辺の家屋、洞窟などに隠し部屋がないか、機械や想像力を駆使して調べるものと思う。車が不自然に動いた形跡がないかも、入念にチェックすると思う。細かい点で、納得いかない部分もあった。

主役のヒュー・ジャックマンは、頑固そうで信心深いけど直ぐに暴力に走りそうな、ある意味で典型的なアメリカ人の親のイメージを上手く演じていた。本物の田舎のオヤジの場合は、もっと太っていて見栄えの面で主役に向かないだろうと思うが、彼の場合はそのギリギリで実在感がある田舎オヤジになりきれていたと思う。ただ、米国人から見てもそうだったろうかは分からないけど。

また、イメージとしてはだが、そんなオヤジの多数派は、黒人の家庭と親密でない傾向はあるのではないか?この作品の設定は例外とはいけないまでも、かなり変っていたのかもしれない。もちろん、幼少時から親しんで育って、家族同然の関係も多いとは思うが。人種差別の要素を排除しようという意図があったのかもしれない。

例えばの話だが、容疑者が黒人だった場合は、話がもっと陰惨なものになる。犯罪者集団に近い人間が疑わしい場合、警察の側も根深い疑いを持って執拗な取調べが行われ、場合によっては違法な追求が警察官によって繰り返されることも考えられる。こと幼児の誘拐の場合は、世論の要求も強いものになるから、少々の行き過ぎも許されてしまい、憐れな黒人が犠牲になるかも。日本ではどうだろうか?

おそらく今の日本では、こんなリンチは滅多に起こらない。戦前の場合はあったかも知れないが、今の時代は法治精神が行き渡っているから、一般の人達が容疑者に手を出すことは考えにくい。独特なキャラクターの親と、特殊な障害を持つ容疑者、そんな偶然が重なったら、もしかするとありえない話ではないかもしれないけど。

私自身が親でも、やはりリンチには走れない。良心にとがめる行為は、まずできない。それにそんな場所、道具、周囲の目から隠れるだけの条件が全くないから、直ぐに行動がばれてしまうということも確か。よほど広大な場所を持っているか、凄い田舎でない限り、この種の行動は難しい。でも、日本でも弱者の誘拐、殺人事件は少なくはないので、今後は実際に映画のような事例が出てこないとも限らない。

この作品では、リンチをしながら懸命に祈るシーンがあった。

リンチをしながら神に祈る・・・それがある意味では信者の怖いところ。神に祈れば、どんな悪行も許されるという思想は、あまりにも都合が良すぎる。キリスト教に限らず、イスラム教も仏教でさえも、念仏を唱えながら人を殺す場合があると聞く。どう言い逃れても、それは宗教の悪用、神を冒涜し自分の感情のために利用したに過ぎない。ただ、自分の子供が犠牲の場合に、そう言い切って諦めきる自信は筆者にも全くない。

告戒は、個人の精神を救済する上で有効な手法。罪を告白したら、心の重荷がかるくなるから。これがあったことでキリスト教が広まった面はあると思う。長期間で考えれば、やがて罪を行わなくなる傾向につながると思う。でも、犯罪がまさに発生する際には、逆に幇助している面もないだろうか?後で謝れば、今は何でもやれるという考えにつながるような、そんな気もする。

教会関係者は、その点をどのように納得しているのだろうか?本来なら仕方ないでは済まない問題かも知れないのだが。

 

 

 

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