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2014年12月 3日

あなたへ(2012)

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- 感謝すべきだった -

富山の刑務所に勤務する主人公は妻を亡くした。彼に、亡き妻からの遺言が届くが、それは自分の遺骨を故郷の海に散骨して欲しいという内容。理由が判らない主人公は、妻の故郷へと旅に出る・・・

・・・11月23日のBS放送で鑑賞。観た理由は当然ながら、主演の高倉健の死去による。様々な映画が再放送されているようだが、鑑賞できたものの最初がこれ。残念ながら公開の当時、これを劇場で鑑賞しようとは思わなかった。

まず驚いたのが、画像の美しさ。富山の山を眺めた景色、移動途中の海や橋、峠の光景や漁港の佇まいに至るまで、非常に美しく、画になるシーンの連続で、しかも画質が素晴らしかった。日本映画の多くに使われているぼやけた画質ではなく、ハイビジョンカメラのような詳細さだった。

天空の城として近年有名になった竹田城の雲海の像も撮影してあった。この映画のせいかは知らないが、最近は観光客や役所が遺跡を荒らしているそうだ。それはともかく、日本の観光地宣伝目的で作られたかのような、絶景紹介の映画だったとも言える。散骨のシーンで海に骨が沈んでいくシーンも印象的。徐々に海の暗い背景の中に写る白い骨は、絵画のように美しかった。

監督の降旗氏は他に「ぽっぽや」も撮っているそうだが、もともとはヤクザ映画を手掛けていて、今まで意識して観た事はなかった。この作品ではカメラワークの素晴らしさに驚いたが、作品としての説得力、感動させる力に関しては、正直やや期待を裏切った印象も受けた。筆者のほうの感性の問題かも知れない。

主演の高倉健は、80歳くらいだったはず。さすがに役柄と比べて老いすぎた印象を受けた。でも表情や動作は年齢よりもずっと若々しく、充分に演じきっていた。節制していたのだろう。

高倉健の私生活には秘密が多いと聞くが、食事をどうやっていたのか気になる。若い頃のインタビューでは完全に外食だと述べておられたのを記憶している。でも、ずっと外食で健康を維持するのは難しい。かなり金をかけて、塩分や脂分が少ない健康食を選び続けるなら可能かも知れないが、誰かが世話をやってくれたのではとも思う。

個人的には、誰か他のもう少し若い俳優が演じた方が適任だったとは思った。健さんほどのネームバリューがある俳優はいないから、興行的にはマイナスだろうが、渋くて男っぽさと一徹さを出せる俳優は、きっと他にもいたと思う。60歳くらいの人が良かった。・・・と言って、具体的には誰が良いっと思いつかないけど。

若い頃の彼の映画はほとんど見ていない。ヤクザ映画の時代は映画館に行くことができなかったので、父親役や老刑事役などをやりだした渋い路線になって知ったような状況。若い頃にハリウッド映画の何かに出て酷評された時期もあったのは印象深い。ずっと成功していたわけではない。

「幸せの黄色いハンカチ」は、「黄色いリボン」の二番煎じで劇場に行って観るような作品ではないと勝手に思ってしまい、とうとう今日まで全体を見ていないが、どうやらあれが転機になっていたようだ。今度ちゃんと観てみたい。武田鉄也の芝居は絶対にオーバーすぎて耐え難いと思うんだが、そこは覚悟して観よう。

この作品の中で一番の疑問は、主人公が妻の幼少期を写したと思える写真を見て決意するシーン。何か他に分かりやすい演出方法があったのではないかと感じた。誰かの言葉が欲しい。村を出て歌手になった人がいたら、普通は皆が知っているだろう。誰かが直ぐ気づかないとおかしい。知っていないとすると、何か隠したい過去があったということになり、それがドラマにならないとおかしい。

この作品の表現のままだと、観客の多くは察しがつくだろうが、もしかして写真の少女は主人公の妻とは別な人物かも知れない。それに現実的に写真は色あせてないと変だ。妻は自分の写真があることを告げていたのだろうか?筆者が聞き逃しただけか?ただ眺めるだけで主人公の考えが固まるより、誰か知人によって言葉で妻の心を知るほうが圧倒的に説得力はあるはず。そこいらが不思議な印象を受けた。カットされたシーンがあったのか?

田中裕子は若い頃はテレビドラマにも多数出演していたが、最近は家庭を優先しているのか、映画でしか活動していないのだろうか?高倉健との相性は年齢的には良くないが、演技力の面では申し分なく、奥さん役としての実在感は充分に感じられた。

この役に色気は必要なかったと思う。美人女優を連れてくる必要はない。でも、笑顔や姿形、声や話し方で、多くの観客に好感を持ってもらう必要があった。そうしないと、残された主人公の憐れさが引き出せないから。一発で好感を持たせる田中裕子の笑顔は素晴らしいと思う。あんな笑顔は、筆者の奥様からは発せられないようだ。

ビートたけしが出演していた。外人の観客ならば最高の脇役と思ったかも知れない。表情が読みにくく、人生を達観したような姿が役柄に合っていたから。でも、日本人の筆者としてはセリフの言い方の抑揚がなく、棒読みに近い印象をぬぐいきれない。昔よりずっと上手くなっているとは思うが、本職の役者がたくさんいるので、そちらに任せるべきだったと思う。

それにしても本年はよく人が亡くなった。9月の父の死去は覚悟していたが、春に友人が一人、思いもかけない急な死を迎えていた。また今月も小学校時代の級友が亡くなった。親戚が三人、そのうち二人は急死だった。そう言えば、この映画の妻の病気は悪性リンパ腫だったと思うが、高倉健の死因もリンパ腫と報道されていた。因縁めいたものがある。

小学校時代の級友は、故郷の同級生たちも行方を知らなかった。喪主がお父様だったようだから、独身か子供がいなくて離婚したかだろう。小学校時代はいじめられていた可哀相な子だった。自分は積極的に彼を守ろうとか、いじめっ子と対決しようといった勇気は全く持っていなかった。そんな自分を情けなく思い、それで自分の自信を育てることが出来なかったのかもしれない。

また思うに、人の死を多く経験しないと、自分のわがままや至らなさ、感情面の欠点に考えが回ることは少ない気がする。筆者の場合、亡くなった彼らに対して充分なことをやってこなかったことを思うと、反省するばかり。やはり亡くなって始めて自分の対応の意味を知るのだろう。感謝の意を伝え、励まし、助けるべき時には助けるべきだった。

 

 

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