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2014年11月24日

ブルー・ジャスミン(2013)

Gravier

- 嘘はばれるもの -

富豪の妻としてセレブ生活を送っていたヒロインは、夫が逮捕されて破産し、妹の所に転がり込む。そこで新しい生活を始め、代議士志望の男と結婚するため、ちょいと嘘をつくが・・・

・・・監督のウッディ・アレンは何歳になったのだろうか?おそらく彼は自宅のプライベートシアターで、「欲望という名の電車」を鑑賞したに違いない。そして、セリフを自分なりにいじって新しい映画を作ろうという妄想に走った。それに製作者達が騙されて、こんな作品ができましたと、そのような流れだったに違いない。間違いないのだ。

でも、よく出来た映画だった。ヒロインの存在感が抜群に良かった。大きく目をむいて激しい演技をすることは控え、リアルな程度に病的な存在をうまいこと演じていた。その加減の具合が素晴らしい。アレン監督の演出も悪くなく、セリフの洪水で困るようなシーンもなかった。音楽もさりげなく使われていて、静かで優雅な感じが切ないブルーな雰囲気作りに役立っていた。

ヒロインが独語を言うシーンが何度かあったが、いずれも際立って激しい表情を出していたわけではない。普通の映画では「あの野郎、殺してやる、イヒヒ。」のように、物騒で明らかに病的な人物が演じられることが多い。でも、この作品のヒロインはわりとボンヤリして、真面目な顔で妄想を言っており、どちらかと言えば笑えるくらいの印象。しかも、ちゃんと過去の出来事との連絡がつくような場面展開だったから、判りやすい。

もしかして、監督自身は独語癖がないだろうか?自分がそうだったら、演出も上手いかも。あるいは実際の知り合いにモデルとなった人物がいる?根拠はないが、そんな気がした。あまりにヒロインがリアルだったから。

この作品は家族で楽しむ内容ではないと思う。狂人を描いたこと、不幸に満ちていること、希望につながる要素がないことなどから、子供に見せると悪影響が心配。恋人と観ていても、なんだか辛くなりそうだ。基本は映画好きの同性の友人と観るべきもの。

ケイト・ブランシェットが主人公で、アカデミー賞を取った。ビビアン・リーとはかなり個性の違う役柄だった。主人公は大柄で、まだ美貌が保たれている。結婚話に現実味があるように、あまり老けた格好はしていない。ビビアン嬢は厚化粧で、シワも目立っていた。

家でうるさくしている男達に文句を言う際にも、ケイト嬢はキンキン怒鳴ったりはしていない。嫌味なことを言うが、ハイソな女性が威厳を保ちつつ文句をいい、最低限のマナーは保っている。ビビアン嬢は、直ぐにキレて泣いたりしていた。泣くまでの感情の閾値に違いがあったようだ。女性が数十年で強くなったせいか?

犯罪的な手段によってセレブ生活をおくっていた人間は、はたして非難されるべきだろうか?資産を失っても、家族を失っても許さないことがいいのか悪いのか?犯罪が証明されない段階では良く、証明されたら非難すべきか。あるいは立場を失墜したら、全て許すべきか、そのへんは考え方による。この作品のヒロインの境遇は気の毒に感じたが、彼女自身の問題点も感じざるをえなかった。

夫が逮捕されるきっかけが最後の方で説明されるが、あれも分かりやすいシーンで感心した。ヒロインの心境が理解できる。夫は自分の逮捕を理解できない様子で描かれていたが、あれはしらばっくれていたわけではなく、本当にそうだったかもしれない。逮捕されるか微妙な程度の犯罪はあったかもしれないが、路上でいきなりは予測していなかった、つまり過剰な情報がもたらされた・・・ということはありうる。

アレック・ボールドウィンの夫役も素晴らしかった。いかにも悪いことやってそうな雰囲気がよく出ていて、彼のこれまでの出演作の中で一番好感を持った。今の時代、あんな悪役というと、自然と投資家が思い当たってしまう。それがアメリカでもそうなった点が、時代を表し手いるかもしれない。富裕層と貧民との対決を描いた映画が多い気もする。

資本主義の今後を分析した書物で最近受けるのも、行き過ぎた自由主義に対する規制の必要性を訴えたものが多い。過剰に金が富裕層に集まる傾向、中間層が脱落して極端な格差が生まれてしまうことへの危機感が、経済学者達にも重視されるようになっているはず。自由主義万歳の書物は流行らない。

作品中登場していた中南米系の男は、ヒロインからは敗残者呼ばわりされていたが、手に汗流して仕事をしているまともな人物である。ヘアスタイルはアホっぽかったが、家庭的ではある。監督は彼を敗残者とは考えていなかった。他人の金を巻き上げることで成り立っている富裕層に、自由の国の住民も、さすがに嫌悪感を抱くようになっているということだろう。

ひるがえって日本。日銀は予想を上回る緩和を発表し、数日後にはGNPがマイナスであることが分かり、急に株が上がったり下がったりした。アベノミクスの雲行きが怪しいことは間違いない。株屋たちも様子を見たい気持ちでは?何か大きな事件でも起これば、不安に尾ひれがついて大きな経済変動が起こってもおかしくない。期待が大きい分だけ、裏切られたら反動も大きいはず。

筆者は首相を期待できないと思いつつ、他に良い人が思いつかないという理由で支持せざるを得ないように思っている。少なくとも一時的な金融緩和は必要だったし有効だったと思う。その他の手がないのは確かだが、本来なら官僚が経済政策を立案し、政治家が選ぶべき。責めるべきは官僚。そして、今の民主党で信頼できる人はいない。だから、急いで内閣を改造したり、解散したりする必要は感じていなかった。

でも結局11月18日の晩に、首相が衆議院解散を発表していた。解散する理由は、少しでも有利な結果を得ようという目論みだけしか見えない。党首としては当然の判断だが、首相としてはもっと襟を正した対応をとって欲しかった。今後明らかな経済の失敗が明らかとなれば、選挙で厳しいからか?・・・多くの人がそう感じたとすると、首相が嘘つきキャラとして認識されたことになる。

首相は上手に言葉を選びながら、内心を隠そう、政策の停滞を認めない、問題のすり替えに徹しよう、そして敵に言質を与えないようにといった配慮に満ちた演説をこなしていたように見えた。よくトレーニングされた話の能力を感じたが、さすがに信頼しようという気にはなれない。彼が心から国のことを考えているようには見えなかった。

外遊中に「自分は解散のことを口に出したことはない」と、繰り返し話していたのも逆効果だった。自民党が選挙の準備をしていることは明らかだから、嘘をついていること、嘘のつき方、その時の自分の表情まで公表したことになる。上手く嘘をつけば、その分だけ信頼を失う。

選挙の勝敗を数値で言ってしまった点も解せない。この選挙は、おそらく有権者がシラケて投票率が下がり、与党には有利とは思うものの、地盤がしっかりしていない新人議員の中には落選する人が増えて、票が伸び悩んでもおかしくない。選挙後に混乱が起こりうる。

首相自身が政策に危機感を感じているとすれば、何かヤバイ情報を得ているのかもしれない。我々もアベノミクスが崩壊した場合を考えて行動しておいたほうが良い。まあ、私はセレブ生活などやっていないから、なんとか生きていけるだろうとは思うけど。

 

 

 

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