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2014年11月18日

ダラス・バイヤーズクラブ(2013)

- 問題継続 -

エイズに罹患したカウボーイ。薬を入手するために密輸組織を設立するが、FDAなどの政府組織と衝突することになる。彼の戦いを描いた作品。DVDで鑑賞。主演のマシュー・マコノヒーや助演のホモ役ジャレッド・レトがアカデミー賞を取っている。確かにアカデミー賞もんの演技だった。

実在の人物をモデルにした話だそうだ。おそらく主人公に相当する人は純粋に商売になるから薬を扱っただけで、それで多数の人を救うといった高尚な考えはなかったように想像した。この作品でも高い理想を掲げて事業を始めたような描き方はしていない。ただのヤクの仲介人だったというのが真実だろう。でも、それが映画の題材になるとは・・・

聖人君子でない主人公を描いたことにより、この作品の迫力は凄くなった。ひねたアンチヒーローの主人公で犯罪者であっても、筆者は同情を禁じえなかったし、活動に喝采を送りたい気持ちになった。皆がそう感じたなら、映画としては最高の出来栄えだったことを証明したことになる。

でも、この作品は子供には向かない。人道的な面で優れた映画と思うが、犯罪者を英雄視するのは大人になってからで良いと思う。この作品は本当に上手く描いているから、子供に強いインプレッションを与えてしまうだろう。また、恋人と選ぶべきテーマの作品とも思えない。基本は一人、もしくは同性の人と鑑賞すべきでは?

役のために著しく体重を減らした俳優達の根性に驚く。専門家がついて栄養管理をやったに違いない。日本でマリファナの業者がヒーローとして描かれる日が来るだろうか?危険ドラッグを扱い続けた人物が英雄?いかに有能な人物であろうとも、中毒を来たす可能性がある嗜好品を扱う人物は、常識的には許容し難い。アメリカならではの考え方がないと、こんな映画は無理だろう。

ジェニファー・ガーナーがヒロインの役割だった。理知的で人道的そうな印象が上手く出ていたが、演出がやや目立ちすぎた印象も受けた。脇役なんで、登場時間を短く、しかし印象に残るような、他のやり方があったと思う。

ホモセクシャルな人への偏見、HIVウイルス感染者への人道面での酷い扱い、それらを強烈に表現していて、観るに耐えないシーンもあった。昨日までの友人が突然非人間的な態度をとってくると、怒りとともに情けない気持ちでいっぱいになるだろう。当時の患者は本当に気の毒だった。

患者に実験材料になることを強いて、それ以外は法律で規制し、自由な治療法の選択を認めない・・・今でもそれが治療法開発段階の状況と言える。当人にとっては、とてつもない境遇となる。その問題点が、この作品のテーマ。問題は今もそう変わってはいない。いっぽうで、患者に勝手な薬物処方を認めたら、健康被害は怖ろしいものになる。販売が善意によろうとも、ある程度の法の規制は必要。それが製薬会社の利益に直結しない形でというのが大事だが。

例えば、アフリカのエボラウイルスの感染者が、富士フィルムメディカルの薬を日本から仕入れて勝手に試したら、その薬が効いているのかどうかの判定を狂わせてしまう。判定不能となれば、それ以降の治療に何を使えばよいか分からなくなる。だから勝手は許さず、効く可能性が高い治療法でも使わせないでおく・・・本人は堪らない。

AZT(レトロビル)は、この作品では悪い薬として扱われている。開発当時アメリカで研究していた満屋教授が、会社に権利を取られたといういわくつきの薬だが、当時は「エイズの特効薬を日本人が開発し、レーガン大統領にも感謝された・・・」などと、熊大の先生方は誇らしげに語っていた。私は特効薬がありうるの?と疑問に感じたが。

もともとは抗癌剤として既に開発されていたから、確かに製薬会社の権利は大きいと思う。特許というより、あらたな適応を見出したに過ぎないので、何も権利を得られなくても仕方ないかも。価格設定に関しても、会社が医療人から強制される理由はない。会社と行政機関の責任だろう。

でも当時の社会的要望を考えると、低めにするほうが明らかに望ましい。低所得者に患者が多いことは明らかだったから。不当に価格を上げるような操作があれば、道義的な責任とともに、犯罪としての疑いも考えざるをえない。実際、既に製造法が開発されていたことを考えると、金をむしりとったという表現も外れていないだろう。

詳しい話は知らないが、当時の熊大第二内科にはATLなど、ウイルス性血液病関連の研究者が多く、大学に免疫関係の教室が揃っていたことも都合良かったのだろう。私もリンパ球の培養法を少し習ったが、職人技のようで理解不能な手順だった。満屋先生は抗ウイルス薬に関して知識を持って留学し、NIHなどでさらに研鑽されていて、良い時期に良い環境の下で成果を求められている状況だったと思う。他の時期、他の専門だったら成果は難しかったはず。

ある意味では企業側から利用される危険性も大きかったはずで、会社側は研究者と協力しつつチャンスを見て独占的な利益を得たい、後は訴訟に勝てば良い、研究者が破滅しようと知ったことではない、そのような流れがあったのでは?巨大製薬会社は単純な考えでは生き残れない。目から鼻を抜くアザトサも必要ではある。

やがて満屋教授はノーベル賞を獲るような気がするが、AZTの事件で破滅せず、次々と改良版の薬剤を開発できたからこそ。あれでへこたれるか、左遷されて失意の状態で日本に帰ってくる人が多いのだろうが、周囲の理解があったのだろう。薬の害が大きくて、責任を問われてクビになっていたら、失意のまま終わっていたろう。

病気の深刻さも関係しているかも。なんとかして治療法を生み出さねば、大勢の若者がただ死んでいく状況だった。多少生意気な日本人であっても利用し、成果を出してもらわないと困る状況。理解を示し、協力してあげないといけない状態だった。それに乗れた面もあったろう。

筆者はエイズの薬を処方したことはない。AZTが怖ろしい薬というのは知ってはいたが、そもそも抗ウイルス薬に副作用がないものがなく、安易に認めなかったFDAの対応も理解はできる。スピードを重視せざるをえない状況とは言っても、比較臨床試験なしに何でも処方すると評価が難しくなり、結局は治療法を確立できない。

この作品ではFDAがマフィアみたいな扱いで表現されていた。実際はFDAの評価を参考に日本の医者は処方している。日本の薬事行政や学界のほうが信用できない。よりマフィア的で官僚的。日本で最初にエイズが発生しなくて良かったと思う。もし日本発の病気だったら何も対処できず、皆が悲惨な最期を迎えることになったはずだ。

ただしFDAも完璧ではないのだろう。特に患者自身にとっては、「お前らを研究材料にして治療法を探すから、我慢せよ。」と言われたら、怒らないほうがおかしい。犠牲を強いられて、それで合法的であるのは、当人にとってはたまったものじゃない。

日本の学者にインターフェロンを買いに行くシーンがあって驚いたが、日本の場合は問屋を経由して普通の商取引で購入できるわけだから、既に発売されている薬の場合は確かに何の問題もなく手渡しできたはず。でも非常に高い値段だったはず。そもそも効果があったのだろうか?

今はたくさんの抗ウイルス薬があって、とても覚えきれない。おそらく、肝炎ウイルスの排除ができるくらいだから、やがてはHIVウイルスも完全治癒に持っていける時代が来るのだろう。エイズは今でも大きな社会問題。ジワジワと死んでいく点も非常に悲惨だった。今はかなり改善されているようだが、病気の経過が長くなったことで、思わぬところで身近な問題になるかもしれない。

エボラ出血熱という、また怖い病気が新たな問題となっている。一頃は収束したように思っていたが、やはりウイルスは形を微妙に変化させながら続いているようだ。問題は空気感染をするようになるかだけと思っていたのだが、勘違いだったかもしれない。医療関係者が多数発病するということは、簡単な手洗いくらいでは防御できない感染力を持っていると判断せざるを得ない。

経過はHIVより早いので、対処法で悩む間もなく勝負が決まってしまう点でエイズとは性格が異なる病気。どう防御するか、発生したらどう対処するか、特に医療関係者が非常に難しい立場になる。診療を拒否しないと感染を伝播させてしまうなら、無慈悲にも拒否すべきとなる。まだマニュアル、指針の類はできていない。人の移動が活発な今日、空港などを介して日本に病原体が流入する時間は確実に迫っているはず。

 

 

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