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2014年11月 6日

ロミオとジュリエット(1936)

- お勧めできない  -

シェークスピア原作の悲劇の映画化作品。安物のDVDで鑑賞。主演は、「風と共に去りぬ」の二枚目役レスリー・ハワードと、名前だけは知っていたノーマ・シアラー。

映画化としては最初らしいが、もしかするとサイレント時代に先に作られた作品があるかもしれない。セリフが大事な物語だから、理解するのは難しくなるはずではあるけど。画質は相当鮮明で、音もよく聴き取れた。韓国製のDVDらしいが、元のフィルムの保存状態が良かったのだろうか?同じ時期の他の作品よりも質が高い。もしかしたら、ヒットしなかったせいでフィルムの劣化が避けられたのでは?

この作品は、単純に言って面白くなかった。誰かに勧めたい気持ちにはなれない。私の世代の「ロミオとジュリエット」は、オリビア・ハッセーが出演した作品の印象が強い。若い二人が主演して、この作品より新鮮な感じがする。もっと若い人たちはディカプリオ版だろうけど、ヒロインが日本人好みの容姿だったのか、演技力よりまず見た目でハッセー版がお勧めとなる。

映画の当時のオリビア・ハッセーは純真そうだが非常にグラマー。アンバランスな点は、ヒロインのイメージにも合致していた。最近、彼女がマザー・テレサの役を演じている映像をチラッと拝見したが、本当の老人のようになっていた。ダイエットしたのか苦労のせいか分からないが、やや貧相な感じで残念。

この作品、セリフの多さも気になった。もともとが劇だから、今風の恋愛より言葉がくどくなるのは仕方ないと思うが、多少は映画用に削って、ダンスや剣戟スペクタクル、アクションなどの比重を増すべきではなかったろうか?当時、この作品は受けたのだろうか?ヒットしたとすると、ちょっと信じがたい。

セリフも変えられないのだろうか?いじると評論家から文句が出るのかも知れない。原作の良さが分かる人にとっては、この作品は良い映画かも知れない。韻を踏んだセリフに特徴がある劇で、いまだに上演しているところがあるだろう。その良さが分からない者には、この作品の良さも分かりようがない。

マキューシオを演じていたジョン・バリモアは完全に爺さんに近い風貌。若者のロミオといっしょに町に繰り出すなんて、無茶な話。キャスティングに無理があった。他にも俳優は大勢いたろうに、大失敗だと思う。

主役のノーマ・シアラーも、写りのせいか判らないが、若々しくは見えない。幼くて、純粋そうな雰囲気の娘さんを連れてきて、ベテランの男役に引き立ててもらうほうが、観客の共感を得たのではないかと、私は思った。

セットを作る技術も未完成だと思った。屋敷の塀を乗り越える体力があるなら、ジュリエットの部屋に直ぐ乗り込めそうな、そんな庭のセットだった。話していないで、さっさと部屋まで上がればいいのに、わざわざ止まってるなんて変だ。当時は舞台のイメージが強くて気にならなかったのだろうか?

舞台のイメージと言えば、タペストリーに描かれた人物達が舞台に姿を変える手の込んだ演出があった。当時はCG技術がないから、助監督達が指示して絵と人間の動きを合わせたんだろう。でも、CGがある昨今では、そんなに効果のある手法だとは感じない。当時は驚かれたのだろうか?

ロミオ達の物語の舞台となった当時のイタリアは、皇帝と教皇の争い、ジェノバとヴェネチアなどの都市間の争い、海賊達との争いなど、激しい抗争が日常茶飯事の時代と想像する。当時のパーティーは、実際に映画のようにできたのだろうか?私の感覚だと、反対派がテロを起こすから、よほどの警備をしないと開催できないように思う。実際には今のパーティーとは様相が違い、顔見知り以外は全て排除したのでは?

歴史の教科書のレベルだと、そういった争いの中でルネッサンスのような活動を生みつつも、徐々にフランスなどに覇権を奪われていったイメージがある。もし早くから統一国家を維持していたら、イスラム教徒や北欧、フランスなどの勢力を排除し、一貫して欧州の覇権を維持できたかも知れないと思うのだが、彼らはどんな理屈で争っていたのだろうか?

特に不思議なのは、イスラム教徒の海賊にやられて、大勢の市民が奴隷になって連れ去られていく時代に、連携して略奪を阻止する動きが成功しなかった理由。ほっておけば、自分達にも必ず悪い結果が来ると分かりそうなものだが、彼らの頭の中は何で一杯だったのだろうか?

イスラム圏が商売相手だったことも大きいだろう。商売、財産、日々の楽しみ、神への感謝が大事で、集団的危機管理、防衛に興味がなかった?あるいは宗教的な寛容、諦観が広く行き渡って、戦闘員以外の一般人は、殺されても神の意志、抵抗はしないといった考え方だろうか?つまり、抜本的改革といった過激な対応を嫌う風潮が仇となったのか?

宗教改革後に欧米諸国がイスラム圏を駆逐していったのは、武器の進歩や経済力の発達とともに、プロテスタントに代表されるセンスも関係していたに違いない。活発な経済活動は、裏返せば植民地支配や武力制圧、帝国主義、一方的な通商条約に近い。寛容の精神とは趣は違うはずだが、彼らの頭の中では矛盾しなかったようだ。

また、イスラムに対して団結しなかったのは、単に敵が強くて仕方がない面もあったのか?頭は宗教的なわりに争いごとが絶えない、内輪もめに終始、そんな時代が、どうにも理解できない。日々の幸福、自分の家族の商業的成功、資産の形成、ライバル家族との戦い、街の中における自分の社会的地位や名誉、それらを徹底的に追求したら、きっと他の街を見捨てて自分の家を守る態度が自然になるだろう。地域全体、国という観念がないと、巨大帝国には対抗できない。

ほぼ同じ民族でありながら、古代ローマと中世のイタリアの諸都市では政治的軍事的センスが大きく違う。もともと古代ローマも武力で統一されていただけだから、分裂が自然なことなのか?おそらく同じ宗教や同じ政治体制、民主主義、資本主義の社会でも、全く違った方針、互いの敵視は当然なんだろう。同じ地域で極端に帝国主義的な政策が発生したり、急に社会主義化することも、全く自然。迷いもなく、その時代の風潮に納得できる柔軟性が人には備わっている。

あんまり考えたくはないが、私の孫達がイスラム国の戦士や共産党員になっても、不思議ではない。

 

 

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