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2014年10月16日

ロボコップ(2014)

Mgm

- 時間つぶし用 -

正義感に燃える刑事が殉職し、彼を使って警察用ロボットが開発された。しかし、開発した企業の思惑により、彼は抹殺されることになる・・・

・・・バーホーベンが監督した作品のリメイク版。違いは、ロボコップが格好良くなり、洗練された戦闘服のような格好になっていたこと、動きも自然で活発なこと。主人公もスタイルの良いテレビタレントだろうか、見た目が違っていたこと。相棒が黒人に代わっていたこと、敵の手下となる悪そうな顔のギャング連中がいなかったことなど、微妙な設定がいろいろ。

ストーリー展開などに特に感心したわけではなかったが、結構楽しめた。ひとつの作品としての出来も悪くは感じなかった。前作よりも血なまぐさいシーンは減っていて、子供の鑑賞に耐えられそうになっていたし、それでも結構なアクションシーンがあるので、気楽に恋人と鑑賞するのも悪くないと思う。

前作は気味の悪いシーンが実に多かった。ラスト近くで悪役氏を倒すシーンでは、首をナイフで切られた悪役が、血を噴出しながら死んでいったが、あれは子供には良い影響はなかろうと思う。恋人があれをみて嬉しそうにしていたら、もう交際は遠慮したくなる。今作のほうが一般的な興行には向いていると思う。

ただし、圧倒的な売りがなくなった点も感じた。残忍さがないなら、鮮やかな身のこなしや、凄い武器、スピード感など、何か売りがないといけない。それが感じられなかった。だから、家族で楽しむためにわざわざ時間を作るという作品ではないように思う。恋人との鑑賞も、他にすることがない場合に限られるのでは?基本が時間つぶし用の作品と思う。

面白かったのは、中東に軍事用のロボットが輸出され、それにテロリスト達が挑むシーン。中継がさえぎられるが、隠そうと番組側が操作するのは、いかにもという感じ。

主役や、その奥さん役は、テレビ界のスターだろうか?悪役の会社社長は懐かしいマイケル・キートンだったが、「ガンホー」や「バットマン」時代とは随分と変っていて、悪役になってたのかあと感慨を覚えてしまった。ただし、本来望ましい悪役としての迫力には欠ける印象も受けた。

元々、マキャベリズム的考えをしたワルという役柄ではなく、結構淡々と商売を遂行するビジネスマンタイプの役だったようだ。その点から言えば、リアルな社長像だったかも知れないが、映画的な魅力ある個性となるためには、とことん商売に徹する単純で憎々しげな個性のほうが良い。設定を誤ったような気がする。

大いに目立ったのは、冒頭から登場するテレビキャスター役のサミュエル・L・ジャクソン。ロボット会社の意図のままに言っているのか、本人の考えだけで言っているのか分からないが、ロボットが必要であるという意見を強要し、反対派の出演者の発言を邪魔する著しい偏りぶり。最近の彼は極悪の人物の役が多くなっているが、この役も凄い迫力。

キャスターが派手で極端な意見を言うのは、昨今の日本のテレビでも珍しくなくなってきた。米国流が浸透してきたからだろう。意見を言わないニュースアナウンサーは退屈に感じる。日本のキャスターは、しっかりしたジャーナリスト系統の一派と、エンタメ路線の一派ときれいに分かれている。米国もそうだろうか?

極端な右翼、あるいは政府の意向そのままのキャスターが今後登場するのか気になる。政権がかってのような大政翼賛型になったら、キャスターにも当然影響が出てくるだろう。反政府的な評論家を徹底的にこき下ろすキャスターが登場しても不思議ではない。訴え方が上手ければ、それに喝采を送る人も多いかも。

太平洋戦争前の国民の意識は正確には分からないが、おそらく欧米が経済制裁してくるのに嫌悪感を持ち、戦闘に打って出るよう激しく要求していたのではないかと思う。「戦争は嫌だな」と考える人も多かったろうが、権利を要求し、迫害を打破する姿勢を求める人の方が目立ったろうし、数的にも多かったのでは?戦前の場合のマスコミは新聞が担当していたから、紙面は勇ましかったろう。

たぶん、三国干渉が遠因だったのだろう。あまりに露骨で酷い圧力だった。日清戦争の戦果の相当部分を分捕られたという意識を持った人が多かったのでは?実際には、当時の国力を考えると占領されないだけで御の字であったとも言える。日露戦争後の戦果もないし、自分達の努力が不当に評価された、勝利を掠め取られたといった心情が支配的になり、これで攻撃していかないなんてバカだ!・・・そんな論調が主流になったのでは?

今後もし日本の通商を妨害され、島を包囲されたり占拠されたりしたら、敵をひどく罵るタイプのキャスターでないと視聴者が許さないようになるだろう。理性的に「事実確認と友好を優先・・・」などと言ったらテロ攻撃されかねない。「ただちに相手をぶち殺せ!」のほうが受ける。受け狙いで派手な言動をとり、いっきに政治勢力を打ち立てようとする連中は必ず出る。

おそらく、それは敵の勢力の方でも同じだろう。対立が一定の段階に来たら、理性派は内部から攻撃される。より過激で、単純明快な人間に喝采が集まり、その言動に対してまた敵が過剰反応するといった、互いのアクセルふかし合いのような現象が発生するはず。それが始まったら、もはや話し合いの段階ではなくなる。

だから、この作品でのサミュエル・L・ジャクソンのようなタイプの人間(キャスター、コメンテイター、政治家)などが登場した時、煽られないように事前に学習するための教材として、この作品はなかなか良いのかも。

 

 

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