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2014年10月22日

プリンセス・トヨトミ(2011)

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- それより大事なものとは -

会計検査院の3人組が、大阪に出張して企業の監査をやっている。彼らは大阪に深く根を張る闇の組織の存在に気づく・・・

・・・14日のBS放送で鑑賞。劇場公開時はバカにして気にも留めなかった。時間つぶしに観てみたところ、アイディアの素晴らしさに驚いた。ハリウッド映画にもできそうな設定の上手さで、最後まで退屈しなかった。こんなストーリー、よく考えついたもんだ。ギャグのようなアイディアから、壮大かつ大真面目な物語を成立させていて感心した。

この作品は家族で楽しめると思う。たぶん、子供でも面白いと感じる人が多いのでは?恋人と観るのも悪いとは思えない。この作品、あんまり宣伝を観た記憶がないのだが、見ていても最初からバカにして無視したからだろうか?それとも、印象不足?もっと印象を強くするためには、派手なスター俳優を出演させるべきだったのか?

作品の中で、特に良い印象を受けたのは中井貴一。最近はキザな弁護士役か完全な悪役を観ることが多かったが、テレビではコメディでも良い味を出している。迫力ある役、狂気を感じさせる人物の役を演じさせると非常に良い味が出る。声が素晴らしいと思う。

いっぽうで、主役の堤真一には少し不満を感じた。退屈そうな表情を中心に演じていたが、あれは父親と最後の別れができなかったトラウマを表現していたのだろうか?それとも原作のイメージがそうなっていたのか?役柄に合っていたのか、疑問。

中井貴一を、この主人公にして、中井の役は誰か他にやらせる手もあったのでは?普通なら、阿部寛か福山雅治が最適ではないかと思うが・・・

個人的に思ったのは、冷酷で有能な完全主義の役人タイプの演技が良いということ。およそ人から好かれることがないような個性で登場し、話が進むにつれて自分の父との関係を理解し、敵を理解する中で生き方への考えを改める、最後には冷酷さが消えて人として成長している・・・そんな流れが好ましい。少なくとも分かりやすい。

そのためには、退屈そうな表情は好ましくない。ちょうど敵の城を攻撃する武将のように、厳しさが前面にでたほうが良い。厳しいだけの態度が。設定の段階で意見が合わなかったのだろうか?

描き方の点でもうひとつ思ったのは、県庁を群集が取り囲むシーン。好ましい設定ではないように思えた。この映画の中で、県庁には象徴的な意味を感じにくい。やはり、大阪城内部か、商店街のような狭い場所の方が迫力を出しやすい。大阪人全体が仲間である必要はなく、一部の人間で良い。そのほうが秘密が守られやすい点でリアルだ。

5億円の補助金も少なすぎる。複雑な経路で隠されているが、合計数十億というのが現実味の出る金額。映画化する時点で、映画向きに設定をいじるべきだったと思う。

ハリウッドなどでリメイクするとしたら、もっと緊迫感のある作品に出来るだろう。武装を伴うか、金融を麻痺させるといった手法で実質的な戦いを挑む設定が可能だと思う。作りようによっては涙なしには見れないような、叙事詩のように壮大な物語が出来たと思う。惜しかった。

綾瀬はるかが良い味を出していた。アップで見ると美人なのかどうか分からないような顔だが、とぼけた雰囲気や真面目そうな印象が役には好都合。キャスティングは大成功だったと思う。

美少女役もボーイッシュで可愛らしく、動きも良くて魅力的だった。性同一障害の少年は、もっと美形の子が良かったと思う。細い体型で本当に性同一障害としか思えないようなリアリティが欲しい。女性の俳優でも良かったのでは?

そう言えば、性同一障害の扱い方に関しては、この作品はかなり考えてあったと思うのだが、イジメのシーンは、人によってはイジメを否定できていないという風に感じられるかも知れない。作品中で肯定していたわけではないのだが、徹底的に否定したとも言えないから。

父親が子供の女装を問題視しない点は良かった。治癒が可能な障害なら積極的に対処すべきであるが、そうでない問題に対しては、認めてあげるしかないと思う。その上で、良き道を探していくしかない。

障害よりも大事なものがある、障害があっても自分のとるべき道を知れと、同一障害のことを実にあっさりと認める中井貴一の言動は、勇気を与えると感じる人もいただろう。もちろん、悩んでいる当人や家族にとっては、直ぐ建設的に対応できるものでもないと思うが。

筆者の父は先月亡くなった。もちろん、死の間際に何か伝えてもらったりしてはいない。秘伝の伝達もない。死の前に何か虫の知らせみたいなものがあるかもと思っていたが、何も感じなかった。病院に行ったという連絡に対しては、直ぐに死をイメージしたのだが、弱っていたのでダメだろうという普通の想像をしたにすぎない。特殊な興奮、神がかった感覚はなかった。

筆者は幸運なことに、父親の背中を見て育てたと思う。廊下を歩きながら何かを教わるのではなく、日々の会話で何か教わり、こちらは敬意と感謝を伝えることができたから、それ以上は必要ないだろう。父が卒中を起こして入院する時、まだ理解力が残っている間にありがとうと言うこともできた。あれは珍しい幸運だったと思う。普通なら予測もできない時期に倒れたりするのだから。

父は古い人間だから、学問的知識の面では子供に敵わないのだが、生き方や精神的な部分、懸命に学び続ける姿勢や、労働への健全な考え方に対しては筆者は敬意を覚えていた。でも私の子供達は、そうはいっていないようだから、私の態度に何か欠陥があるのだろう。

 

 

 

 

 

 

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