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2014年10月 1日

フィッシャー・キング(1991)

- 言動には気をつけるべき -

ラジオのDJだった主人公の発言が原因となり、銃乱射事件が起こる。心に傷を負った主人公はヒモ生活に落ちぶれるが、そこで犠牲者の夫だった男に救われる・・・

・・・DVDで鑑賞。話の流れから、フィッシャー・キングという古い物語があるのだろうと思ったら、アーサー王の時代の伝説らしい。傷ついた王を救うため、聖杯を手に入れる話らしく、そこを転用したみたい。よほど興味がないと、欧米の古代の伝説のことは知らないだろうから、日本人がこの作品を観て直ぐ理解するのは難しそうな印象。

この作品は非常に独特で、セリフも多く、演技も大仰、悲劇を根底とした喜劇で、舞台劇をそのまま映画に仕立てたような感覚の、違和感に満ちた雰囲気だった。途中は早回しで観てしまった。ロビン・ウイリアムスが亡くなって、彼の作品で知らなかったものを探していていたんでなければ、この作品を観ることはなかっただろう。

残念ながら、この作品には退屈する人が多いと思う。子供や恋人と観る映画とは到底思えない。舞台劇が好きな人でないとダメのはず。あるいはモンティ・パイソンのリズムが好きな人。

都会を舞台にした悲劇的喜劇、伝説をモチーフにしたロマンティックな物語、そんな典型的なパターンにするなら、もっと他の雰囲気作りが必要だったと思うが、この作品は独特の展開で、どういった路線を狙っていたのかつかめなかった。

途中で印象的な怪物(騎士)が何度か現れた。想像上の怪物が画面に登場する作品は多い。口から火を吐く怪人や、怖ろしい仮面をつけた騎士など、いずれもゆっくりした動作で、怖ろしげなBGMとともに駆け抜ける点で似ている。でも、映画の場合は、特にビデオで観る場合は怖さが感じられないので、あまり良い効果を感じないことが多い。作り方を間違えていたんじゃないかと感じた。

おそらく、ドクロの仮面のような明らかな不気味さ、単純に悪魔などをイメージできる怪物のほうが効果的だったと思う。あるいは濃いメイクをした死人のような顔の俳優でも良い。姿だけで怖いイメージを演出するのは危険と思う。

主人公を支えるビデオ店主の女性は良い個性だった。男性っぽい性格に色っぽい体型、男性運は悪い。そんな人物を上手く演じていたので好感を持てた。助演女優賞をとったのも頷ける。

いっぽうで主人公は、そんな彼女をあっさりと捨ててしまっていた。あの流れは私には理解できなかった。主人公が自分の心の傷を癒し、復帰する時に邪魔になると判断したという流れか?ストーリー上、そんな必要があったのか、あるいは古代の伝説の主人公がそうだったから踏襲したのか?そのへんの理解ができなかった。

ロビン・ウイリアムスと恋人がレストランで物をこぼしたり、品のない食べ方をするシーンはおかしかったが、あまりにわざとらしく、作りすぎていたと思う。作品のレベルに直結するので、もう少し抑えた演出が望ましい。あんな演出をされたら、観るのが嫌になる観客も多いはず。

過激なトークで人気を博する人は多い。日本では主にテレビの世界のタレントが多いだろうが、有吉反省会、マツコ・デラックスの番組、島田伸介の番組などなど、過激でないと受けにくい状態が出来ているようにも感じる。理性的で的確な表現では退屈するから、極論を述べて反駁を封じるタイプが期待され、中には首長になってしまう人さえ出る雰囲気が、今の時代の主流なんだろう。

ただし、過激さを徹底するのは難しい。やはり想定外の理由によって傷つく人は必ず出るから、大多数に受けても、有害な事象に対する配慮は必要で、それに対する責任を考えていると、今度は観客に受けないという弊害が発生する。そのバランスが非常に難しい。

明石屋さんまはかなり過激なトークをするが、芸人以外をネタにすることが少ない。対象者を選べば、あるいは事前に打ち合わせれば、過激なトークも失敗しないでやれる例だろう。芸人同士でない場合は、笑って済ませられない場合が多いと思う。

私自身も酷いギャグが好きで、友人や家族、患者さんを傷つけてしまうことが多い。もう良い齢なんだから落ち着いて、相手の心象にも気を使う知恵が欲しいと思うが、気遣いがかえって妙なギャグにつながっているように思う。ギャグで茶化すような態度は止めにしたい。まさか自分の冗談を間に受けて銃を乱射するような人間はいないだろう・・・そんな思い込みは良くない。

昨今は特に思いもよらぬ情報の拡散に、気をつけないといけなくなった。IT技術が進んで個人情報が簡単に拡がり、回収不能になっている。法律がついていけていない。頻繁に誰かのサイト内の意見が集中砲火を浴びて炎上しているが、普通に個人個人で話せていた内容が、違った見識の人間には許せない場合は必ずある。

一般人に限り、転送に際しては必ず著者の許可を必要とし、それがない場合の転送、参照は全て違法で無効とするような方向性は必要と思う。既にSNSの種類によっては、そのような規定をしているものもあるかもしれない。そんな規定がないSNSやメディアに対しても、人の権利が守られるように法的な縛りは必要だろう。魔女狩り、リンチは正当化できない。

難しいのは、規制が入ると役人や政治家達が真っ先に保護されること。汚職や権利の逸脱の情報が隠匿できない規定も同時に作らないといけないので、権力者と一般人をどのように区別するか、そんな規定がまず必要となる。でも、そんな規定は作る側が嫌がってできっこない。規制が入ると、面白味、自由な感覚が損なわれる点も問題か・・・

炎上を恐れるべきではないのかも知れない。ただ、実際に自分が吊るし上げられると、気分的にまいってしまうに違いない。うがった見方をされたら、正論を述べていても自分が最悪の考えをした人間のように強調されることは誰でもありうる。

御嶽山の噴火後、自衛隊の派遣が本当に必要か?という疑問を述べた評論家に、「救助の必要がないのか!」といった感情論をぶつけてきた人が結構いたらしい。おそらく自衛隊を批判する意図などない単純な疑問ではなかったかと思うのだが、疑問を呈した時期が悪かった。ツイッターという仕組みは自由を感じられるが、他者への攻撃性も相当酷い。

また、滅多に起こらない噴火予知のために予算を使うのは問題と述べていた別な評論家も、噴火予知が要らないと言うのか!と批判されているらしい。仕分けの時期の言動を今になって批判されるとは!そんな理屈を突き詰めれば、国家予算全部を噴火予知に使わないといけなくなる。ナンクセ、言いがかりに近いように思えるが、悪い感情が盛り上がれば理屈は何とでもなる。

 

 

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