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2014年9月28日

ウソツキは結婚のはじまり(2011)

- 嘘と言えば、某新聞社 -

アダム・サンドラーとジェニファー・アニストン主演のラブコメ。「サボテンの花」のリメイクらしい。他にモデルのブルックリン・デッカー嬢とニコール・キッドマンが出演していた。

鼻がやたら大きな主人公のギャグは、主人公がユダヤ系であることと、サボテンの花のウォルター・マッソーの鼻にかけたギャグではないかと思う。

この作品には優れた点がたくさんあったと思う。①セリフはかなり下品だが、エログロに偏るシーンはない。あくまで言葉だけのジョークに止めていて、家族でも鑑賞が可能。②グラマーなデッカー嬢に注目が集まるシーンを設けていたが、健康的な色気に留めていた。③楽曲にいちいち手を入れて、オリジナルと違ったバージョンを使っていたが、そのセンスが良かった。④ニコール・キッドマンが見事な役割を果たしていたこと。

そんなわけで筆者個人にとって、この作品は良い出来栄えと感じた。日本で公開されてヒットしたかどうかは知らないが、少なくとも全国的に広く興行されたはずはない。アダム・サンドラーは日本では評価されにくい俳優だし、基本的に大人しいラブコメだから、大ヒットは期待できないはず。ただ、だからと言って悪い作品ではないと思う。

派手なギャグで大爆笑を期待できる作品ではないのは確かだが、手の込んだ作り方をしようという意気込みのようなものは感じる。音楽が特にそうだ。キャスティングも、けっして二流ではない俳優が多い。心に残る名作にはなれていないとしても、DVDで鑑賞するには悪くない作品。そんな印象。

キッドマンが実に素晴らしかった。気どって何かにつけて自慢する虚栄心たっぷりの様子や、妙な対抗意識でヒロインと張り合う役割で、盛り上げに徹していて感心した。彼女のような目立つ女優でないとやれない役割だったとは思うが、なかなかキャスティングに同意し難いものではないかと思う。せっかくの汚れ役なら、できれば感動作で名演をやりたいと考える女優が多いはず。コメディで性格の悪い脇役をやる根性が素晴らしい。

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画像のブルックリン・デッカー嬢、主人公が一目ぼれする女性役だが、彼女も悪くなかったと思う。彼女はスタイル抜群だが、顔はちょっとイジワルそうで個性的。ラブコメの敵役や、アクション映画の女傑として最高の存在のような気がする。今よりもっと活躍するかも。

ひょっとして、この役を本当に可愛らしく、純真なイメージの女優が演じたらどうだったろうかと考えた。お色気はそこそこで良いから、とにかく可愛らしい感じの女優。すると、作品のイメージが非常に変った気もする。

アダム・サンドラーに関しては、相変わらずよく理解できない。ギャグもいろいろやってはいたが、日本のコメディアン達ほどオーバーではなく、爆笑するにはちょっと解りにくい微妙さを感じる。ジム・キャリーやエディ・マーフィーのような単純さがないので、日本人には解りにくい。

彼を補助する役目の、さらに見栄えのしない俳優が出ていたのは、言いかえれば彼だけではギャグが足りないと判断された証拠かも知れない。だから、もしかするとサンドラーを主演にするんじゃなく、トム・クルーズやブラッド・ピット(無理か?)のようなスター俳優を主役にして、似合わないギャグをさせたほうが良かったかも。

・・・嘘というと、最近は某新聞社が集中攻撃を浴びている。慰安婦報道や、原発事故の際の避難に関して虚偽の報道があったようだが、詳細は知らない。真相を知りようがない気がするので読んでいない。原発事故に関しては、もしかすると吉田所長が仲間をかばって証言した可能性もあり、真相は分からない。証言とはそんなもの。証言が真実と考えるほうがおかしい。

右翼系の論者が激しく新聞社を攻撃し、新聞社OBが言い訳を強いられる番組も見た。吊るし上げ的な番組構成は理解不能。もちろん、某新聞社の責任は非常に重く、もはや取り返しのつかない悪影響を国全体に与えてしまったかも知れないのだが、それでも討論となれば常に対等の立場を維持しないといけない。大勢の糾弾者に少数のOBが答えるような番組は、最初から公正さを破棄している。

某新聞社には確かに問題があったと思う。体質が古いのかも。もともと、日清戦争時代の戦意高揚など、戦争への協力、戦意を煽る報道で随一の新聞になった歴史があり、戦後はその反動で極めて自虐的歴史観に偏りすぎた印象は受ける。戦前の反省から、新聞社内部で著しい左翼方向への偏向が起こり、社内派閥のようなレベルでの争いから、それが長期間維持されてしまったのかもしれない。つまり中立や右翼、体制礼賛を許さない気風のようなものが過剰にあったのでは?

いっぽうで残念ながら原発は事故を起こし、新聞社など比較にならないほどの最低最悪の事業所である。吉田所長がいかに立派な方であっても、その点に変わりはない。いかなる批判をも甘んじて受けなければならない。だから、この状況に乗じて徹底的に攻撃する、確証がない情報でも報道して構わない・・・そんな感情が、某新聞の側にあったのかも知れない。想像に過ぎないのだが。

新聞社の場合、ある程度は仕方ないこととも思う。明らかに偏った新聞も多いし、読者が内容に疑問を感じるなら他の新聞に変えれば良いので、特色を出すこと自体は悪くない。虚偽を訂正しないこと、著しく偏向し極端に読者を扇動することがない、それらは必要だが、常に間違わない報道機関はない。外国の一流新聞社だって、虚偽報道は珍しくないのだから。

虚偽が確実になった場合、言い訳は許されない。新聞社の場合は、そこらの噂話とはレベルの違う責任を伴う。慰安婦報道は検証作業なしにスクープされたことが大きな間違いだったようだが、長期間にわたって訂正されなかった理由、今回の訂正に至る検証作業の内容など、隠匿しているというイメージが湧かないような徹底さが足りていない。まるで昔の医療事故の隠匿のようだ。真摯な態度、リクスマネジメントといった観念が、まだないように感じた。

ただし、個人的には右翼に偏らない報道、政府を攻撃する勢力が残ってほしいと思う。虚偽の情報は困るが、政府の好む形で報道する新聞社が大勢を占めたら、権力のチェックが疎かになり、またまた暴走を生んでしまう。対抗勢力、抵抗勢力は残っていないといけない。不充分とは言え報道を訂正し、損害を与えた人に法で定められた賠償をしたら、新聞社としては責任をとったと言える。

・・・・が、今回の損害の賠償額だが、いったいいくら?そもそも誰が訴える?誰に賠償?

 

 

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