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2014年9月25日

25時(2002)

Touchstone

- 鎮魂のイメージ -

麻薬ディーラーが刑務所に収監される前の1日を描いた、スパイク・リー監督作品。主人公は、自分を警察に売ったのが恋人かと疑っている。信頼できる幼馴染、父と最後の時を過ごし、マフィアのボスには自分が裏切っていないことを伝えなければならない・・・

・・・製作者の紹介で、トビー・マグワイアの名前が出た。同姓同名かと思ったら、役者本人のようだ。融資を受けたのか、資産をつぎ込んだのか?自分が主演したかったのだろうか?ただ、エドワード・ノートン君のほうが美男子なんで、トビー君が演じなくて正解だったように思えた。

クラブで踊るシーンでは、女子高生がファレル・ウイリアムスの名前を出した。今でこそファレルはミュージック界の第一人者のような存在だが、この当時はグループの一員に過ぎなかったはず。才能を感じていたに違いない。スタッフの感性に感心せざるをえない。

音楽もセンス良かった。鎮魂のイメージが漂う曲が、ちょうど主人公の厳しい状況に合致していた。

この作品、雑誌の映画紹介のコーナーで知ってはいたが、2003年頃は全く時間がなかったので鑑賞できないまま。ビデオコーナーでも目にかかるところには置いてなかったので、とうとう観ないままだった。でも、これは犯罪者を描いた映画として最高級品に当たると思う。独特の荒さも感じるが、間違いない秀作。

犯罪者を描く映画は、派手なドンパチで散っていく悲劇、恋人の死で空しさを知るといったsストーリーの定番のようなものがある。この作品はでも、時間を絞ってアクションシーンを排除していることなどが独特で、描き方のセンスが素晴らしい。犯罪を心から後悔している主人公を描くことは、更生を促すこと、犯罪抑止の観点からも悪くないと思う。

原題の25th hourのthの意味がよく分からない。ただの25時ではなく、24時間過ぎた後、夢のある別な生き方・・・つまり逃亡、新生活を‘25時間目’として、特別な強調をしたいといった意図があったのだろうか? 

9・11の後しばらくしてのグラウンドゼロを写していたようだ。冒頭、イントロに相当する映像の中で、ビルの横に何か光っているシーンがあったが、しばらくは何を写しているのか意味が分からなかった。シーンが変って、横からサーチライトを写しているシーンになって始めて理解できた。あれも現在ではビルになって見られない一時期の光景だろう。

あの時代のニューヨーカーの感覚を上手く表現していたように思う。筆者はニューヨークなど行ったこともないが、彼らを描いた作品には、東京っ子とは違った思い入れを感じる。同じような巨大都市でも、世界の中心に近い意識、愛憎入り混じった強い思い入れがあるに違いない。矛盾をはらんで酷い町だが、我らの故郷といった感覚か。

9・11は彼らに限らず、世界中に大きな衝撃を与えた事件。特にニューヨーカーには衝撃だったろう。普通なら、復讐~アラブ人排斥~嫌悪と怒りに満ちた感情が巻き起こり、主人公が毒づくように、何もかもクソッたれ!といった態度に帰結するはず。この作品は、その後の反省や諦め、心の安定の後の融和につながるイメージを、異民族の笑顔で表現していたようだ。

主人公の友人役の一人、バリー・ペッパーの役には不満を感じた。証券会社のシーンで仕事が上手くいったのは効果的とは思えない。失敗したり、上司と喧嘩してたりしてたほうが、イラつきや攻撃性、主人公への想いを表すには良かったと思う。俳優の個性としても、もっとエリート面した俳優か、肉体的にタフそうな役者のほうが良かったはず。力の強い大男が、主人公を倒した後でメソメソ泣くと余計に悲しいから。

友人のもう一人、フィリップ・シーモア・ホフマンの役割もよく理解できなかった。他のキャラクターだったら、もっと主人公との関係について深みのようなものが出たのではないか?例えば、ヤク中で主人公の客の一人だったとか、あるいは主人公に何か酷いことをやった負い目があるとか、そんな人物のほうが良いはず。

友情関係に焦点が当たり過ぎないように、あんな描き方をしたのか?ロザリオ・ドーソンのキャスティングにも疑問を感じる。もっと色気全開、あるいは悲劇が似合う不幸そうなイメージの女優でも良くなかったろうか?そういった点に何も疑問を感じないで済むように作っていたら、この作品は「タクシー・ドライバー」をも凌駕する名作になっていただろう。もちろん、このままでも充分な名作だと思うが。

 

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