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2014年8月11日

永遠のゼロ(2013)

Toho

- 惜しい敵役 -

いろいろと発言が目立つ百田氏の原作、主演はV6の岡田。長いこと上映されていたから相当なヒットだったに違いないが、とうとう劇場では鑑賞しなかった。子供の世話の関係で子供映画の鑑賞が優先だったことと、映画は原作ほど上手く表現できないだろうという予感と、おそらく戦場の迫力を売りにした作品にはならないからスクリーンは必要なかろう、ビデオで充分という計算によって。

印象として、やはり原作の方がいろいろな面で魅力があると感じた。映画の何がいけなかったのかは分からないが、上映時間の制限や表現の制約もあるかも知れないし、そもそも戦争映画は死や恐怖や勇気の表現が難しい。リアルすぎると観るに耐えられないものになる。美しく描くと現実を離れ、戦争美化に陥ってしまう。限界は最初からあったと思う。

軍部を賛美するような面があると、さすがに多くの観客がソッポを向く。徐々に戦争の記憶が薄れ、報道に乗せられて利権の確保のために武力を・・・といった流れが勢いを増しつつあるとしても、批判的な目を持つ人達は敏感に賛美を嗅ぎとってしまう。即、駄作の烙印が押され、金払うのは勿体ないから観ない、興行的に惨敗という結果になる。そこが難しい。

おそらく、戦争映画には、今までとは違った演出が望まれると思う。兵士は基本が殺戮、攻撃を生業とする集団であるから、独特な緊張感があるはず。二人の兵士が口論をする際には、他の兵士が黙ってそれを眺め、同じような表情で示し合わせたように反応するといった舞台がかった演技は止めて欲しい。あるものは表情を隠し、ある者は恐怖を浮かべるといった具合に反応するはず。基本は感情を隠そうとするだろう。

いかにも演技だよという雰囲気をわざわざ演出する演出家が多すぎる。個人に考えさせ、自由に演じさせたほうが良い場合も多いと思う。それで明らかにまずい演技があれば、そこだけ調整すれば良い。

特攻機の操縦席で銃撃され、叫びながら死んでいく兵士を写すシーン。ほぼ正面からの映像を繰り返してはいけない。古い特攻映画をイメージさせない演出が絶対に必要だった。必ず微妙に視点を変え、ワンパターンにならないように、役者達も意外に冷静そうに見える・・・でも手だけが震えている、といった細かい細工が望ましいと思う。

主演の岡田の演技には期待していた。他のジャニーズのタレントより一段上の迫力、意志の強さなどを表現できる役者だと思うので、黙っていても絵になるかのような、詩的で叙情的な主役が誕生するのではないかと思っていた。今回も下手くそではなく、充分に役を演じていたと思うのだが、演出に問題があったのか、際立つ印象は受けなかった。普通の戦争もののレベル。

一種の敵役に近い存在として、田中泯が出演していたが、彼の扱いが問題だったかも知れない。原作に近い形の登場だったが、映画的な扱い方をするなら、もっと比重を上げて、明白な敵役にすべきだったと思う。主人公を敵視し、殺そうとさえする人物として気味の悪い部分を強調し、観客にハラハラさせるくらいが良い。できれば「俺がアイツを殺したのさ。」くらいは言わせたい。

彼の風貌は素晴らしい。少々老け方が設定よりも足りなかったと思うのだが、丹波哲郎と非常に良く似た個性で、全然笑いそうにないニヒルなキャラクターを充分に演じていた。だが、これも演出には疑問もあり。時々部屋の中を移動しながら話すのだが、無意味な動作や異常に早すぎる資料の提示など、不可解な行動をとっている。彼は本職の役者とは言えないから、上手い演技は期待できない。セリフも少ないほうが良い。せっかくの迫力が台無し。まるで二級のヤクザ映画。

本格的な怖さを出して欲しかった。クールで残忍な敵を。映画の場合は、強烈な敵が絶対に必要。曖昧さは文学の場合は高尚さにつながるが、映画の場合は単純明快が原則。観客の多くが視覚と音で単純に理解できる必要がある。明確な敵が欲しいから、もったいなかった。彼が執拗に主人公を追い回していたら、映画としては盛り上がったに違いない。

原作は素晴らしいアイディアあふるる作品だった。でも文章は、さほど高級ではない。映画は、筋もセリフも原作そのままだったように思う。おそらく実際はもっと訛り全開での会話が多かったと思うし、ぶっきらぼうだったり朴訥だったり、話し手の個性があったろうと思う。同じ口調はありえない。老人達のセリフもそう。難聴や認知症、記憶違いなどがあって、もっと聞き辛いことが多いはず。隠そうとする老人も多いはずと思う。

戦争経験者は、誰でも酷い体験をしている。それを耐えた自分を美化し、残酷な行為は修飾し、問題点は隠したいというのが普通の反応。誰でも常に自分を律し、加害者である自分を認識しようとは思わない。ちょうど教室でイジメを目撃した児童の状態を考えれば分かる。体験者だから信用できると考えてはならない。嘘が混じっていたほうがリアル。

もともと名文とは言い難い作品から、そのままのセリフを使うと、優れた脚本には成り難い。原作者が納得してくれればだが、文章力に関しては他の脚本家のほうが優れているはずなので、映画用に変えて欲しかった。そうすれば、もっと魅力的な主人公が出来ていたに違いない。

主人公だけではない、軍隊仲間達が単純に怒ったり同情したりするはずがない。自分だけは・・・といった醜い言動がないのは、集団としてありえない。生きるのに必死な兵士は、軍法に縛られているからこそ慎ましいのであって、実際の現場では大半が残酷で、情けない態度をとるはず。主人公は、もっと酷い扱いを上司からも部下からも受けないとおかしい。敵より彼が憎まれるのが現実である。

この作品は、家族で楽しむタイプの映画ではない。ただ楽しむなんて、テーマにそぐわない。犠牲者達への敬意に欠けると思う。恋人と観るのも、心情的にはしっくり来ない。基本的には哀悼、反省の態度が望まれるはずだが、どうも賛美、無反省、適当な分析、評価が主流になっているような気がする。

今の安倍政権は精力的に行動しているので、民主党政権よりスムーズな運営ができていると評価したい。でも、基本的な姿勢がキナ臭い。自制の精神が全く感じられない。憲法の解釈を変え、同盟国の戦争に参入する法律制定を目指し、情報の隠匿も可能とする法律を作れば、大本営時代に近い状況と考えざるをえない。まさかと思う人が多いかも知れないが、理屈から言えばそうなる。

つまり、この映画で描かれたような惨めな状況に陥る可能性も考えないといけなくなったということ。解釈を変える場合は、外部の機構が権力をどう制限するか、明示できていないといけない。情報を隠匿する場合も同様で、権力の暴走を制御する方法を明示できていない場合、法案は必ず葬らないといけない。それが国家の生き残りの原則。そうできなかった国家が破綻した例は多いのだから。

司法が動くべきと思う。もし司法が動いてくれない場合は、常識を働かして権力の暴走を止める判断(つまり選挙で落とす)を下すのが賢い選択だが、政治的センスに欠ける伝統がある我が国は、勢いの良さや目前の利益誘導を優先するから、失敗しやすい。今日の景気より、将来の破綻を避けるほうが重要でしょうに・・・

おそらく政府の動きの根底には、アメリカの事情があるはず。日本が友軍として活動してくれる必要があるから、その体勢を作るように強い要望を繰り返し伝えているだろう。その意志に従わない政権には、必ずスキャンダルが出るし、役人も協力しないだろう。安倍政権だとて自由にやれることは限られているはず。でも、やり方はあるだろうに。

そもそも安倍氏が、その出身母体と全く違った行動を採れるだろうか?そんなはずはない。原則は支持基盤の意向に沿って行動するはず。岸信介時代とは後援会の構成も随分違うだろうが、利益誘導、政財官界の固定といった構造的な問題を強化する姿勢が問題。基本的考え方として、旧態勢力の人間を中枢部につけるのは危険。構造改革を困難にし、長期的発展性が失われる。つまり、イノベーションが減る。

安倍氏がいかに上手に明快な答弁をできようと、信頼の対象ではないことは常識。彼が何を話しても意味はない。本当の思惑を言うはずがない。言葉に意味がある人と、全く意味がないタイプの人はいる。政治家のほとんど、特に二世三世は、基本的に後者。

誰でも地位は確保したい。その究極の姿として政財界の上層、役所の重要な地位を自分の仲間が占めていること、安定した収入が係累の会社に入ること、選挙民に利益が還元され、支持につながることが重要。その狙いを表に出さず、国家の利益を主張しているのが常識なのだから、彼が国民の利益を論じても、後援者の利益のことを述べているのを忘れてはならない。それと米国の利益も。

ところが、忘れちまってる人の方が多そう。報道番組でインタビューを受ける一般人らしき人が、真面目な顔をして政府の答弁を信じている様子が時々写るが、あれは本当にそう考えているのだろうか?知的な人間のように見える人でも、この種のことには疎い場合は多い。それに報道も管理されているから仕方ないのかも。

 

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