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2014年8月26日

少年H(2012)

Tohoetc

- 楽しみ方が分からない -

妹尾河童氏の自伝的小説の映画化作品。8月17日の日曜洋画劇場で鑑賞。終戦記念日の近くに放映されたのは、やはり意図があったからだろう。

原作の小説は非常に売れたらしい。でも、そもそも妹尾氏を全く知らなかったし、戦後随分たってから書かれていることから考えて、相当な脚色がある本だろうという想像や、商売がかった宣伝のスタイル・・・つまり本、テレビ、映画と、次々儲け口を探る姿勢に辟易として、映画は今まで観ていなかった。書物とテレビ、映画がセットになる手法にも飽きてきた。楚々とした宣伝も考えてみるべきでは?

でも、この作品は想像よりずっと良くできていた。水谷豊と伊藤蘭の夫婦が良い雰囲気を出していたし、空襲の際の映像を観たかぎり、合成もあるはずだが、かなり大がかりなセットで撮影したのではないかと思う。今までの映画よりもリアルで迫力があった。現場では火から離れていても、放射熱が大変だったのではなかろうか?

主人公の少年の演技は感情移入できるほどのものではなかったが、下手くそとも言えないもの。もっと体力のなさそうな、痩せて小柄で、愛嬌のある少年俳優なら涙なしに見れないほど共感してしまったかもしれない。

主人公の父親役の水谷豊の演技は実に素晴らしかった。元々彼は個性の塊のようなクセを強調した演技が特徴で、本当に俳優らしい俳優だが、役柄に合わせるより、役柄が彼の個性に合わされてしまうほど独特の存在感を出している。いったん彼が演じた役は、おそらく他の俳優は演じにくい。なまったような独特の話し方、目線を外す癖のような演技が、いつの間にか彼を唯一無比のものになってしまった。

この作品の中では、例えば「相棒」シリーズほどの個性は見せていない。作品の種類から考えて、話し方も普通に近づけないといけないと判断したのだろう。普通ではないが、普通に近い市井の人間を演じる・・・そんな芸当は、水谷にとっては簡単なことなのかも。役者としての力量に改めて感服。同時に、やや病的な印象も受ける。

ただし実際問題として、戦時中に子供に敗戦を予想させるような事を言えるかどうか、ちょっと難しいようには思う。いかにしっかりした子としても、喧嘩か何かの時に「敗戦するに決まっている!親もそう言っている!」などと口走らないとは限らない。そうすれば、直ぐに警察沙汰が待っている。子供に本心を明かすことなど絶対にできないと思う。脚色ではないか?もしくは本当に愚かな父親だったかだ。

事実はどうであっても、この作品はあくまで読み物で、自伝的な小説だから、多少の脚色を許せないとは感じない。一部の誇張や、見聞を基にした話があっても仕方ないような気がする。戦前戦中の話は、誰が話しても誇張が多いものと思う。読み物に客観性を求めることは、そもそも無理で無意味。

主人公の母親役の伊藤蘭が意外に素晴らしかった。元々、なぜアイドルをやっているのか不思議なほど派手さのないタレントだったが、そのせいか逆に普通の母親役をやると実在感が出る。いかにも母親だねと感じる自然さが、この作品の場合は非常に良い味につながっていた。

キリスト教の教えにこだわるところも、目鼻立ちの派手な女優だと芝居くさくなっていけないが、彼女が演じると自然にしか見えない。水谷豊と夫婦であることから偶然に出演することになったのかも知れないが、彼女のキャスティングは最高の結果をもたらしたように感じた。

作品の主な狙いとして、ノスタルジックな演出を強調する手もあったかもしれない。セピア色のフィルターを使って、よき時代の神戸を描けば、違った路線で良い味が出せたかもしれない。そのためには、音楽なども随分変えないといけないだろう。このままでも良かったのかも知れないが。

海辺で遊ぶ少年達の姿には、リアルな印象を受けなかった。あんな日常を上手く描きたい場合は、おそらくセリフを減らしてイメージの世界で彼らが何を話し、笑っているのか観客に判断させるほうが良かったろう。どの映画でも細かいセリフで観客を笑わせようとしているが、子供タレントの語る力には限界があるから、会話は減らし、印象的な笑顔で勝負すべきだろう。

この映画は作品としてのまとまりがあって、いちおう家族で楽しめるように作られていると思う。でも、子供達が実際に面白いとは感じないのでは?と思った。基本は大人の映画だろう。この作品を恋人とじっくり観ることはちょっと勧められない。純粋に娯楽として楽しむ、といった種類の映画ではないように思う。

良い題材の原作があるので、時期を絞って映画用に整理すれば、凄く余韻のあるノスタルジックな映画にできたのではないか、そんな気がした。

もしもの話だが、少し考えておかないといけない。もし私が政権の中枢に立てたとして、米国の強い要請もあって軍備を整え、情報保護を厳格化する必要が生じ、実際にどこかと戦闘に陥る危険性が高まったら、厳しい法律を作って反対派の組織を潰そうとするしかないだろう。米国の要請を断わったら、マスコミ、検察、与党野党、皆が攻撃してくることは間違いないから、四面楚歌は避けたい。

テレビ局や新聞社なども、完全に自由にさせると敵国に買収されてマズイ情報を流されてしまうから、どうにか支配下に置こうと考えるだろう。つまり、戦時中と同じような状態を、「戦前とは全く違います。戦争を意図することなど絶対にありません。平和を目指すだけです。」といった広報の文句で隠し、実質的な準備をするしかないと思う。

本心ではやりたくなくても、敵対勢力の自由な言動を制限する必要がある。こちらからの管理を拒否されてばかりだと、敵の勢力に利することになるのは間違いない。可哀相と思っても、禁固刑に処したり、何かの監視の元に置くなどして、戦いの支障となる行動は邪魔させてもらうしかないと思うだろう。

仮に私がどんなに正しい政見を持っていても、反対派は必ずいる。情け容赦のない方法によって政権を運営するしかない。戦時中の指導部も、必死だったに違いない。誰が政権を取っても、よほど権利意識を皆が持ち、権力者を法律で規制し選挙でしっかり判定しない限り、戦前のような状況に陥ってしまう可能性はある。権力者になったことはないが、権力を使った怖ろしい対応をとろうという誘惑には捉われるだろうから。

おそらく、通商に制限が出るような状態、例えば石油製品や食料品の輸入制限、日本製品のボイコット、船便や航空便の通行制限、邦人への抑圧などの明確な危機が訪れたなら、打開するために強硬手段もやむなしと考える人が増える。意外に簡単に、強力な政権を作って反対派を制限すべしという状況が再発するかも。何といっても資源が乏しい国だから、通商に関する制限には皆が敏感。

この作品の時代をおかしい、理不尽だと思っている人たちも、意外に簡単に趣旨替えすると筆者は考える。敵の勢力は、おそらく理不尽な要求をしてくるだろうから、それに対する怒りを上手く利用する勢力が必ず出てくると思う。・・・既にそうなのかもしれないんだが。

 

 

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