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2014年8月20日

坂の上の雲(2009-2011)

- 失敗の記録? -

NHKドラマでしばらく放映されていたシリーズ。DVD化されていたので鑑賞。鑑賞するきっかけは、やはり憲法解釈の変更。軍事ものを観たくなった。

そもそもNHKがこの作品を作ろうと考えた経緯が気になる。考え過ぎかも知れないが、右傾化した事を証明するものかもしれない。今の会長は相当偏った人物らしいが、その前から客観性を損なっていたのかも。司馬氏も述べる通り、日本のマスコミは国民を煽る伝統がある。煽って起こる結果に責任を取らないのも伝統。このドラマの描き方にも用心は必要。

小説も読んでみた。正岡子規の話は小説の主題とは少し離れていると思うが、物語がただの軍記ものにならないという効果は確かにあった。畑違いの子規は、文芸の世界で戦った将軍のような存在であったと思う。新しい潮流を起こした文芸界の革命児だろう。

ドラマでの阿部寛の兄役は役柄と個性がマッチしていて、本物もああだったのではと思った。ただし実際の写真を見ると、さすがに阿部ほどには顔が濃くないようだ。アル中だったらしいが、かなり長生きしており、生活習慣が滅茶苦茶でも、運が良い人は大丈夫という例。近所のアル中のお爺さんも、90過ぎて毎日飲んだくれていて非常に元気で驚く。

いっぽうの弟、真之役の本木は、本来ならコメディアンのような役者が良かったと思う。かなりの奇人だったようだから、天才奇才肌の飄々とした表情を出せる俳優が良い。少し、実在感が足りない印象を受けた。NHKが使ってくれそうなコメディアンとなると、恵俊彰あたりだろうか?

そう言えば、映画でも出れそうな本格的コメディアンが、今の時代にはあんまりいない気がする。大泉洋が唯一、主役を次々とやっていけるタレントだが、兵隊役には向かないキャラクターだ。この役を演じるに最適な俳優は、バラエティ番組では浮いてしまうから人気が出にくい。若手、重厚なドラマも悲劇もやれる、軽さも迫力も出せる・・・そんな便利は俳優はなかなか出ないものだろう。

戦闘シーンの迫力が凄い。カメラワークも特殊効果も、最近の欧米や韓国映画の技術が影響したのか格段に進歩していて、リアルで気持ち悪くなりそうなほど。変にヒロイズムに偏らないよう、真面目に作ろうという意欲を感じた。相当な金がかかったに違いない。よくぞ金をかけてくれたと、NHKに感謝したい。外注したのだろうか?やっぱ受信料も払っておこう。

秋山兄弟らの頑張りには驚く。でも、たまたま成功につながった幸運もあったと思う。まず第一、彼らが取り立てられなかったら、そこらの誰かが指揮して大敗北を喫し、今ごろ日本も朝鮮半島もロシア領だったかも知れない。今の人事の評価法だと、防衛大学を出た人以外は出世できないだろうから、教科書通りに戦ってさっさと負けてしまう。当時は選んでくれた上層部に能力があったということ。

強調された点もあったとは思うが、幕藩体制の崩壊や、兄弟が藩閥の主流派でないことへの抵抗は、彼らの努力の源になっていたと思う。チャンスという感覚もあったろう。下級武士で終わるしかない時代から、評価次第で出世できるという感覚は「あしが稼ぐから、弟を寺に出さんでくれ。」といったセリフにも関わる。やれるという自負、やりたいという意志の源には、チャンスがあるという認識も大事。

そんな動機付けがなければ、集団としての軍隊も弱体化する。勝利に向かって一丸となれるためには、勝利がもたらす実利をイメージできることも絶対に必要。常に下剋上が可能な社会を維持しないといけない。会社でも官庁でも、毛色の違った人物を採用し、集団が均一化して頭脳が劣化するの避けなければならない。

歴史の教科書で学んだ範囲では、装備や兵力で劣る日本軍が、奉天や日本海で勝利を得て講和に持ち込んだものの、得た利益は少なかったといった概略だけが記憶にある。日本軍のまずい作戦は旅順攻撃だけが取り上げられ、後は問題なく遂行できたかのような印象を持っていたが、作品によれば他もまずい攻撃だらけだったようだ。敵がいることだから、実際もそうだろう。常に作戦が的中するはずがない。

戦争の資金を入手できる自信が誰かにあったのだろうか?イギリスが頼りだったはずとは思うが、予算のことを考えると、満州に軍を進めて広大な領域で戦うのは避けたいはず。危ない橋を渡ったように思う。ロシアと敵対する勢力が必ず融資してくれるという保証はなかったはず。運が悪ければ、一方的に攻撃されて短期間で敗戦になっていただろう。占領されないこと、大負けせず上手く講和に持っていくことが目標だったと思う。

運が良かったこと、占領を避けるため兵士達の敢闘精神が強かったこと、英国の世界戦略と合致し、優れた武器を輸入できたことなど、条件が整って薄氷を踏むような戦いだったことを理解できた。後年、アメリカ相手でも通用すると信じたのだろうか?

司馬遼太郎の歴史認識は、子供の頃の自分には大きな影響を与えている。未だに彼のレベルを超えていない。実体験がある氏の分析は、今の政治家達とは違っているだろう。氏が戦車に乗っていたのは随筆で読んだことがあるが、戦場で経験した不合理、憤りと反省は、今の時代では主流の感覚ではない。社会の末端で、正しい戦い方をしているという認識のないまま戦った人間の感覚だろう。

今の政府の主流派は、基本的には戦前の首脳部、財閥系の人間の末裔が多い。つまり戦争を推進した連中。口で何を言おうと、利害関係は戦前と似ていると思う。要は権益を確保し自分の立場を保持するために、国民を煽り、自分の利益と国民の利益を混同させるのが常なる手法ではと疑いたくなる。司馬氏とは立場のようなものが明らかに違う。

煽られる国民の側も、それほど変わってはいないようだ。国益と企業の利益が区別できないし、株価と自分の収入が合致しないことが分からない。海外から投資が増えて株価が上がると、景気が良くなって自分も得すると思う。うまく売り抜けできれば確かにそうだが、普通うまくいかないのだ。どこの国でも雰囲気に弱い人間は多いはずだが、終戦後わずか70年足らずで戦前と同じレベルに戻るのは、仕方ないことなんだろうか?体験しないと分かりにくいのは誰でもそうだろうが・・・

氏が元軍人とは言え、あくまで小説家の分析だし、描かれた人物評が正しいとは言えないとも考えられる。旅順の攻略については、そもそも攻略する必要があったかどうか怪しいと思う。要塞の周囲を固めて、港を機雷で封鎖するのが基本だろう。攻撃に伴う被害を避けるほうが正しかったかも。主人公だから秋山兄弟は良く書かれているが、たまたま周囲に実力者が揃っていたから勝利しただけで、鬼神のごとく勝ち続けたわけではないと思う。

的を得ている面はあると思う。政治家や官僚は、競争社会の上層部に位置する。勝ち抜いてきたプライドや、勝ち得た立場上の利益を守りたいと考えるはず。そのために社会全体に不利益を及ぼしてしまうとしても、恥じ入ることはない。勇ましさでごまかしてしまう。まともに謝って、優位な立場を失うのは怖いこと。上層部がそろって集団でやるなら失敗も怖くないから、視点が偏ってくる。そういった弊害が今の社会にも満ちている。司馬史観が問題にしている状況である。

弊害を持ったままの集団が選択するものがどんな結果になるか、およそ予想はつく。個人が学業で優秀かどうか、出世に努力したかどうかに、あまりこだわらない方が良い。正しい意見かどうか、情報を正確に集めたかどうか、曇りのない目で評価し続けないと破滅する。

それに、中国や朝鮮半島の人達への視点は、やはり偏っていた。ロシヤの野心と日本の防衛のために戦場にされて、おそらくは迫害、抑圧の連続だったに違いない。人権侵害が全くなかったなど、戦場ではありえない。

集団的自衛権の解釈変更によって、自衛隊が活動する範囲が今後は拡がることが予想される。筆者(私のこと・・・司馬氏を真似てみたくなって・・・)が懸念するのは、いかに綿密に規定しようとも、実際の戦場では状況把握が難しい場合は多いはずで、現場の人間の誤認によって戦争に巻き込まれてしまう危険性があること。基本として、軍人が現場にいれば、それだけで充分に敵対していると相手が考えるのが自然で、こちらの理屈が通用するとは考えないほうが良い。日本の領海、領空に限定した行動が基本ではないかと、素人的には思う。

今後の戦場は、日清日露は言うに及ばず、太平洋戦争時代の常識を超える凄い武器が使われるだろう。上空には無人機、監視衛星が飛び交い、誘導ミサイルが飛んでくるから、常に移動し続けるくらいの気持ちでいたほうがいい。建物の中にいたら、ミサイルの餌食になる。新しい常識が必要だろう。

核兵器が非常に気になる。ひとつの国が使えば、他も使ってくると思う。抑止力は、タガが外れたら終わり。いったん使われたら、生き残っても悲惨。被爆地は、少なくともしばらくは活動できない。広大な国でも後遺症は大きいだろう。反撃が怖いから、核保有国同士では滅多に使われないはずだが、占領されそうとなったら、判らない。

鉛の爆弾に核廃棄物を封入する、空からばら撒く、まず原発を狙うなどは当然のこと。このままでは友軍の被害が増えるといった理屈で、何でもやる時代が来るかも。そんな戦闘が起こったら、日本国内は死ぬ間際の人だけ残して、若者は移住しないといけなくなる。住めるのは、汚染されなかった山の頂上近くだけ。そこで老人が自給自足の生活をする・・・そうなるかも。

軍事専門家は、一般に通常兵力のことしか考えていないように思う。確かに多くの場合は通常兵力で戦いが進み、適当なところで手打ちになるだろうとは思うが、常識が通用しない場合も絶対にある。この小説でも、幹部達の予想の多くは外れていた。無残に一般市民が殺された場合、復讐のために核弾頭が飛んでくることは常に考えられる。抑止力を向上する際にも、より慎重に考えるべきと思う。

つまり、抑止力という言葉に対する感覚が、既に時代遅れになっている。古い時代、兵器が限られ、抑止力が期待できた時代の認識に捉われた専門家が多いように思える。抑止力を持つことが、かえって破滅を招く場合があるという考え方も必要。実際に抑止できるかといった不確実な点を忘れて、机上の論理で政策を進めてはいけない。

日露戦争の当時も、要塞の攻防戦や機関銃の威力、軍艦の使い方などに慣れない専門家が多かったはず。本を読むと、日本のエリート達も失敗や誤認の連続。想定外の事態で、素人よりひどい失敗をした例も多い。今の自衛隊や防衛省は誰も戦争の経験がない人ばかりだから、当時より誤認は多いだろう。役に立たないと思う。

筆者の素朴な疑問だが、東アジアの国が日本を攻撃したとして、何を得るのだろうか?日本に資源はないから、せいぜい日本の企業を潰して、その市場を奪うくらいか?漁業や水の資源は豊かといっても、戦費に見合うものとは考えにくい。脅して金を取る相手、もしくは敵視して自分の国内の反体制派を牽制するくらいにしか相当しないと思えるし、実際に、それ以上の行為は発生していない。そんな状況で、危険を犯して相手国を非難したり、抑止力をつけると公表したりして、日本側にどんなメリットがあるのだろうか?

素朴な疑問のもうひとつ。仮に日本を制圧する勢力が出て、国内にその軍隊が駐屯してきたら、その体勢を維持するためには、壮大な兵力、予算、物資が必要になるはずだが、そんな余力のある国はあるのだろうか?米国は可能と思うが、今更意味がない。中国とて、長期間の維持は難しいはず。占領によって破綻する国の方が多い気がする。なら、基本として攻撃されるのは非現実的と考えるべきでは?

もちろん、米国が要求するなら、歴史的経緯から考えて要求を飲まざるを得ない。米国の意志は基本路線とするしかない。だが、矢面に立てと要求されているとは思えない。抑止力を目指すとしても、やり方はあると思う。性急、声高、勇ましくといったやり方は、今の日本の首脳がとるべき道ではないように思う。

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