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2014年8月14日

ある夜の出来事(1934)

Columbia_2

- 鑑賞に耐える -

淀川長治氏の解説がついた昔の名画シリーズのひとつ。有名だったが、初めて鑑賞。画質は、たぶん何かリマスタリング処理はされていたはずだが、それでも良いとは感じなかった。音のほう明瞭で、こもった感じもひどくなかった。

1934年の映画が、鑑賞に耐えるということにまず驚く。当時の他の映画だと、芝居くさい演技や、演出の方法にも独特の約束事があって、今の時代ではお笑いのようにしか見えないものが多い。当時の最先端の洒落たセンスの作品だったのではないかと思う。

1934年というと、昭和9年。満州国に皇帝溥儀が即位した時代。ヒトラーやムッソリーニが活躍していた頃。こんなラブストーリーを楽しんでいたアメリカは、景気は悪かったようだが随分と呑気で、そう言えばベーブルースが来日していた時代だそうだ。

単純な話に、色々なエピソードが挿入され、いずれも雰囲気を良くしていくように入念な工夫がなされた、そんな印象。おそらく当時のセンスで、「こういったセリフがシャレてるんだよな。」「こういったギャグなら受けるだろう。」といったパターンを、慣れたスタッフが次々と作り上げていったに違いない。

ヒッチハイクしようとするシーンで、得意げな主人公が失敗し、ヒロインが足を見せたら一発で成功する話は古典となったエピソードのひとつ。最近の香港映画や韓国のドラマにも使われていそうな気がする。眠っている間に自然と抱き合うようになる、そして眼が覚めるとはっと離れるシーンも、お約束のパターン。

恋愛映画は、おそらくパターンにはまっていないと不安感を生じやすい。観客の心理を考えると、それは非常にマズイと思う。くだらないギャグだろうと何だろうと、適度に観客を笑わせ、恋人達が互いに意識して、想いが強くなり、でも障害が発生し、最後にはハッピーエンドというお決まりのパターンにはまらないと、こちらが落ち着かないのである。そもそも恋愛がそういったお決まりのルートを通る必要があるのかもしれない。

例えば、若い頃に出会った同級生など、今になって考えてみると素晴らしい魅力ある個性の持ち主が多かったような気がするのだが、当時は色気がないなあといった印象のまま、話しかけることもなく、事務的に接していただけ。もし何かをいっしょにやって、その良い点に気づいていたら、さらに相手も何か勘違いして、私のような不潔な男でも許容範囲と思ってくれていたら・・・そしたら映画のようなこともあったかもしれない。

こんな感覚は私だけじゃないはず。そうだから、映画のラブストーリーに観客は喝采を贈れるのであろう。ヒロインとヒーローがどう互いを認識するか、認識が変わって好意や恋愛感情に発展する様子をみたいのである。誰かが、その展開が確実に受けることを実証し、パターン化したと思う。この作品のスタッフがまさにそうかも。

主人公のクラーク・ゲーブルは動きやスタイルが良い。服装が当時のものでダボダボだが、格好のよさがすぐ判る。この作品の中では結構ずるい部分も見せて、良い役柄だった。生真面目すぎる主人公では、いかにハンサムであろうとも観客が飽きてしまうだろうから、主人公のキャラクター設定が良かったのだろう。

ヒロインは個人的にはさっぱり魅力が判らなかった。昔はあれが流行だったのだろうが、メイクが妙な気がする。

ジェリコの壁のアイディアも素晴らしかった。旧約聖書に詳しくない私でも聞いたことがある話だから、それを仕切りに使えば、キリスト教徒なら神聖なる物として敬意を持って扱うニュアンスが生じるだろう。しかも、実際がただのシーツだから、自然とおかしく感じられて、観客が好感を持つ仕組みになる。

良いパターンの演出の元を作った作品だから、今になって観るとパターン通りの古臭い演出とも感じられるが、ヒトラーがいた時代にオリジナルの作品を作れたスタッフは、最新のセンスを持つ人達だったのだろう。

 

 

 

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