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2014年7月18日

イーストウィックの魔女たち(1987)

Warner

- 魔女に関して -

田舎町イーストウィックに住む三人組の熟女たちは、魅力的な男の登場を祈った。すると、彼女らの前に突然現れた人物が、彼女らと奇妙な関係を結ぶようになる・・・

作家ジョン・アップダイクの原作があるのだそうだ。確かに小説の匂いのするセリフが多く、結構くどい印象を受けた。ストーリーも最初の段階で予想がつき、裏切らないから安心して楽しむことができる。奇抜さが足りないと言うことが出来るかも知れないが、喜劇なんだから安心感は必要。大ヒットを狙うなら、二転三転の読めない展開があったほうがいいけど。

ブラックコメディであり、悪魔や魔女的な人間が登場するダークな笑いの映画。でも、昨今の映画のように血まみれには誰もならない。一応は家族で観ることも狙ったかもしれない、大人しい作風。いっぽうで性的な関係のセリフは結構露骨で、教育上は全くよろしくないかもしれない。基本は大人が友人~恋人といっしょに観るのが向いていると思う。真面目な人には勧められないタイプのギャグ映画。

個人的に気に入ったのは、貴婦人フェリシアを演じたヴェロニカ・カートライトという女優さん。毒々しいセリフの言い方、しつこい呪いの表現が実に作風に合っていた。「エイリアン」の時には弱々しい体格の隊員役で、これまた恐怖におののく表情が素晴らしかった。今思えば、主役級になり損ねたスター候補だったような気もする。おそらく彼女こそ魔女役には向いているのでは?

この作品の主役は、ジャック・ニコルソン。三人の女優が話の中では中心なんだが、一番の悪役のデイル氏を演じたニコルソンが重要人物だった。およそ女性に持てそうな風貌ではないと思うのだが、あちらの感覚ではセクシーなんだろう。毒のあるコミカルさが、女性達の何かをくすぐるのかもしれない。生真面目な男は確かに直ぐ飽きるだろうから、悪そうな部分は魅力的なのかも。 強くてタフそうに見える彼が、3人の女の魔法にかかって風で飛ばされそうになるシーンや、教会や車の運転の途中で酷い目に遭うシーンは面白い。この種の映画でのお約束のようなものだ。汚れて服もボロボロになったほうが面白い。もっとドタバタ劇を繰り返した方が良かったと思うくらい。

3人の女優達は、それぞれが適度にセクシーで、音楽教師に独特な真面目さを表現したり、性的な悩み、欲求をうまく表現したり、退廃的な生活を演出したり、それぞれの役目を充分に果たしていた。グラマー系の女優を使わなかったのは正しかったと思う。お色気過剰では、話がポルノチックになりすぎる。センスが良かった。

でも感じるのだが、魔女を扱った映画は、なぜか日本では大ヒットしないような気がする。テレビの「奥様は魔女」だけが例外では?魔女は所詮、外国の存在だし、ブラックコメディに出てくる魔女はパターン化していて、やや興ざめする傾向があるからかもしれない。魔女映画は、おそらく欧米が主な市場だろうから、日本の趣味に合わせても仕方ないかも。

魔女裁判は近年まで行われていたそうで、それを扱ったドキュメンタリータッチの怖い作品も宣伝では見たことがある。テレビ番組もあったようだ。例えばの話、資産を奪いたい女を対象にして噂をでっち上げる、夫との不倫関係を疑って復讐のため裁判に持ち込む、そんな例があったのではないか?

個性的な人間や、対人能力に欠ける人は、訴えられる側になる可能性はあったろう。悪意を持つ勢力から、マトモなセンスを持つ少数派の人達が吊るし上げられる危険性も高い。日本でも裁判の形式は採らないとしても、イジメのような個人攻撃の伝統はある。

仮に私が自民党の議員だったとして、集団的自衛権容認は許し難いと言えるかどうか、自信はない。今の自民党は勢力が安定しているから、公認を外されたらまず選挙は勝てない。自分の信じるところを貫くためには、家族の運命をも巻き込んだ大きな決断が必要になる。地盤がよほど恵まれた人以外は、結局は党の流れに従うしかない。

党議に拘束されるという点は、党の首脳が間違った選択をした場合に、歯止めがかかりにくいという欠点になる。戦前、軍国化や戦略無視の政策が決定されようとしている時、何度か歯止めをかけようと努力した政治家はいたが、流れを変えられなかった。あの時代を反省するなら、党議拘束はしない、基本的に政治家個人の自由意志に基づいて投票するようにする、それが真摯な態度だろう。

もし本当に戦争が起こったら大変。好戦的な投票をした議員は賞賛されるか犯罪者になるかのどちらか。勝利すれば英雄。敗戦したら殺されかねない。相手国を友好的に言っていたら、能天気な楽観論者として非難される。当然だが選挙は落選して、復活は全く無理だし、自分も家族も白い眼で見られることになる。

何か偽装行為を行っている会社の内部にいても同じ。告発が空振りに終わったら、ただバカをみて解雇され、経済的にも社会的にも葬られ、一生をやけ酒で過ごさないといけなくなりかねない。 出世競争に敗れた会社員、研究者、選挙にやぶれた政治家は、闘争心を維持して新しい戦略に打って出るかどうかが大事。でも、失意のまま引退していかざるを得ない場合も多い。良心に従って、自分の信条のままに生きるか、悪魔に魂を売って勝負を優先するか・・・まあ、たいていは流されてる人が多いのでは?妥協がないと、地位を維持するのは難しいから。

落選は、でも魔女裁判よりはマシだろう。何事も、魔女裁判よりは良し。 ぜひとも、信条に従って行動して欲しいし、選挙民もそんな人しか選ばないことが必要。なんで、そんな基本的なことが徹底されないんだろうか?所詮、人間の弱さや愚かさ、保身の身構えが我々を支配してしまうのか?

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