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2014年7月 3日

ソルジャー・ブルー(1970)

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- 抑止力 -

インディアンと暮らしていた女性と、同僚を殺された兵士が旅する物語。インディアンや武器商人と戦い、傷を負いながら砦を目指す二人だったが、砦はインディアンへの攻撃を計画中だった・・・

ラストの襲撃シーンは少年の頭を撃ち抜き、首が飛び、手足を切られ、血まみれのリンチシーンとなり、タランティーノ映画のゲテモノ趣味のような場面が続く。実際に起こった襲撃事件の記録に合わせて撮影されていたそうだ。とても子供に見せる作品ではなくなってしまっている。恋人と観るのも止めた方がいい。

この作品は劇場で一般公開されたのだろうか?たぶん、R指定は必要だと思う。日本の場合だと、芸術作品を公開するマイナー劇場か、もしくはポルノ映画館くらいしか場所がなかったということにならないか?

でも、途中までは良い雰囲気。ヒロインとヒーロー氏のキャラクターに好感を持てる。ロードムービーと虐殺の悲劇。つまり二つの物語をくっつけたような、妙な構成になっている。作品の内容の一貫性から言えば、最悪の作り方。ヒロインの実在感に疑問があるし、テーマが分散し、何を訴えたいのか分からなくなって違和感を感じる人も多かったのでは?

ヒロインのキャンディス・バーゲンが非常に魅力的。荒野にたたずむ姿は美しい。キャサリン・ヘップバーンを意識していたのかもしれない。野生に生きる強さ、ドライな感性、ガサツな態度は、当時のイケイケガール~ウーマンリブ?~フリーセックス?~ミニスカート~ホットパンツスタイル・・・・といった流行の感覚が取り入れられているような気がする。

当時の彼女の写真を見ていて、顔の側面などに相当な毛が生えていて、あちらの美女は毛深いなあと驚いた記憶がある。でも、その後出会った欧米の女性達は普通の人間並みの毛深さで、あれはキャンディス嬢独特のホルモンの作用によっていたのかもしれない。あるいは自然にまかせて手入れしない女性は、あんなものなのか?

キャンディス・バーゲンは、一時代を築いた感のある女優だった。生き方が独特で、ただの美人女優達とは一線を画した、当時独特のツッパリの雰囲気がある。メロドラマやSF映画に次々と出演するタイプではなく、そのまま大スターになる路線は選ばなかったようだが、それで良かったのかどうか、他の選択は本当になかったのか、そこらは分からない。

相手役の兵士のキャラクターは、もしかすると失敗だったかもしれない。兵隊らしい真面目な人間で、兵士の義務を果たすことしか考えていなかった人間のほうが、その後にインディアンの真の姿、軍隊の矛盾点に気づく流れから考えると好都合。従って、兵士役は無骨で屈強な男のほうが良い。

実際の虐殺では、まず兵士を殺して安心してから、逃げる婦女子を暴行することが多いのではないかと思う。この作品では戦いながら同時にリンチをやらかしていたが、生き残った連中に攻撃されるのが怖いので、殺戮が先、リンチは後ではないか?

いずれにせよ、兵士が凄惨なことをやっているのを、上官が黙って許可するのは余程のこと。もしかすると殺気立つ軍曹クラスの反発を怖れて上官が虐殺を制止できない、あるいは敵側に裏切り行為があって感情的報復といった流れがあったのでは?それがないと、部隊の規律にひっかかる部分が出て、いずれ裁判になることは誰でも判っていただろう。

この事件は1860年頃に起こったそうだが、意外なほど新しいので驚く。当然、彼らはメキシコやフィリピン、ハワイでも同様の行為をやっていただろうし、その後は沖縄でも同様、町に無差別爆撃をしても気にならなかったと思う。日本軍も同様。そんな彼らが歴史の偶然か、ともに行動する機会が増えそうな気配。7月1日に、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更を閣議決定したので。

憲法解釈の変更を、裁判所以外の機構で行うことが憲法で許されているのか知らない。内容もそうだが、閣議決定すること自体が、既に憲法違反のようにも思える。内閣法制局が何か案を示すのは構わないと思うし、それに従って立法化できれば、いちおうは法律が成立したことになるが、いずれにせよ最終判断は裁判所。

だから閣議決定は必要なかった気がする。与党が合意し、自民党から法案が提出され内閣法制局が問題なしと表明し、国会審議を経れば、通常の法にしたがった行為だろうから、内容はともかく立憲主義には反しない。内閣が目立ちたがっただけ?あるいは、米国に向かってのアピールの目的か?内閣が米国の指示通りに働いていることを示し、延命と次の交渉での優遇を願えるから。

内閣、特に総理が何か口走ると、海外からの反発を生む理由にはなる。経緯が不自然だし、法的な問題もあるし、敵側はまた対策を練って、新たな段階に踏み入れるための理由にしてくるかも。(例)「日本は我が国の脅威をでっち上げ、敵意をむき出して対立を煽ってきたので、やむなく我々は我々の権利を主張するために、軍艦を平和的に派遣した。それに対して日本軍は・・・」といった論調で。

このままでの選挙では、自民と公明の票が減ることは間違いない。どの程度かが問題で、景気が猛烈に良ければ多少で済むだろうが、景気が良くないなら怖ろしい展開がありうる。内閣の暴走より景気が優先されること自体が、国民の意識のレベルを表していると思うが、現実はそうだろう。

法の整備は確かに必要。敵が扇動的に動きたい場合に、日本側の法律から結果がどうなるかを明示することは、少しは抑止力になる。ただし、戦争を避ける力はさほどないと思う。無用なトラブルを減らす効果だけが期待できる。本当に敵が攻撃する時は、映画のように白旗も無視され、インディアンらのごとく攻められる。

現実には法律も人道も無視してシベリヤに抑留されるし、満州や朝鮮で虐殺されたりもした。無差別爆撃も普通に行われた。「これで百年は安全。」などと安易なことを言うべきではない。重大なことをやっているという自覚が足りないのでは。

 

 

 

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