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2014年6月 9日

バーニー/みんなが愛した殺人者(2011)

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- 道義的問題 -

葬儀屋に勤務するバーニーは、皆から愛される人気者。しかし、彼は富豪の未亡人と関係が深まるにつれ、苛立ちを覚えるようになる・・・

・・・映画の題材として最適と思える話。その描き方も、これ以上はないかと思えるほど見事だった。個人的には感動するほどの出来栄えと感じたが、たぶんブラックユーモア嫌いな人には毛嫌いされるだろう。この作品は家族で観れるタイプの映画ではないので、惜しむらくは大ヒットは最初から諦めないと仕方ない。

シニカルな笑いを目指した映画。恋人と観る作品としては、大爆笑が望みにくい点で最適とは言えない。ブラック・コメディの範疇に入る作品とは思うが、人によってはコメディにもならず、悪趣味に過ぎないだけの駄作と感じるかも。

エンドロールの最中に、カントリー調の曲を登場人物が弾き語る。実によくできた歌詞で傑作だった。あちらのミュージシャンは選挙運動も歌でやってしまうそうだが、上手く歌詞を作るなと感心する。

かなりの部分はインタビュー形式で描かれた作品で、こんな形式の映画は多い。でも、最初から最後までインタビューでは、観客のほうも飽きが来る。途中でドラマ形式をどう織り込むかが難しい。その点、この作品は私の目には抜群のセンスでバランスを保っていたように写った。

この作品にはモデルとなった現実の事件があるそうだ。もしかすると、原作には本物の犯人のインタビューからの情報も含まれているかも知れないし、おそらく今も存命中の関係者が大勢いる事件ではないかと思う。そんな近々の事件を映画化できるのは、日本とは少し違った感覚のように思う。日本でも「復讐するは・・・」のような稀な例はあるとしても、喜劇として事件を取りあげるセンスは異質の物を感じる。訴訟を起こす家族はいなかったのだろうか?

故人となった犠牲者に関しては、酷い扱いだった。死んだからどう描いても良いのか?道義的な問題を感じる。その家族も金目当てで心底祖母のことを心配していたようには見えないが、そう描かれて訴訟にならなかったのだろうか?

でも、我々にとってはそのほうが有難い。真実が映画化によって違ったイメージになって人々の記憶に残ってしまおうとも、それはそれで関係者でなければ構わない。住民や家族に悪影響が及ばないならばだが、妙な演出があっても関係者への実害は我々からは発生しえない。

主演のジャック・ブラックは、いつもの毒を抑えて、この人物を見事に演じていたと思う。本来のキャラクターとは違っていたが、作品になった時には良い抑制の仕方だった。毒が多すぎると、本物の殺し屋になってしまう。よい人物でないといけない。演劇のステージでのダンスぶりがおかしい。

監督のリチャード・リンクレイターも、「スクール・オブ・ロック」と、この作品のキャラクターが違うことをよく理解していたんだろう。毒を抜いた演出に徹していた。

最近のマシュー・マコノヒーは実に凄い演技をしている。最初はタフなヒーローのようなキャラクターだったが、この作品ではインタビューを受けながら徐々に大事な登場人物に変化し、一種の敵役になりきれていた。

この後、変態や病人役を演じるために凄いダイエットをやったようだが、タイプの違うものの、この作品での彼も実に存在感がある。ただし、次にどんな役をやるのか想像もできないほど、ひどい役を演じきった感はある。意外に、このまま役がなくなってしまうのでは?

シャーリー・マクレーンが老婆役をやっていたが、彼女が最適のキャスティングだったのか疑問には思った。真から意地の悪そうな女優や、タフそうなクールな顔の女優を選んで、同情の余地が全くないように演出しても良かったような気がした。話の流れから考えて、彼女の演出をどうするかが難しい。

本当のところ、この事件の犯人には殺意があって、犯行を計画していなかったのか、そのへんは解らない。そもそも、彼女にいかに請われようと、執事のような役割を彼が果たすのには、何か理由があったと思える。

彼女の財産に関して何かの権利が本当に発生していたら、それは彼の立場を悪くする。事故にせよ何にせよ、彼女に危害が加われば疑われざるをえない立場になることは確実。だから、いかに親密な関係になろうとも、依存度の高い関係に他人がなることは、ことに財産家を相手にする場合は避けるべき。

真相がどうかは全く知らないが、少なくとも殺人計画を疑われて仕方ない状況だった。

 

 

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