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2014年6月 3日

ミレニアム/ドラゴンタトゥーの女(2009)

Musicboxfilm

- 暴力にはクールに立ち向かうべし -

裁判に負けて失意の記者は、40年前の女性失踪事件の捜査を依頼される。捜査に赴いた主人公だったが、奇妙な人物からアイディアが提供される・・・

・・・で、その奇妙な人物がドラゴンの刺青をした女という話。ハリウッド版ではルーニ・マーラが演じていたが、この作品ではノオミ・ラパス。ハリウッド版との違いは少しあったものの、基本的には近いキャラクターだったようだ。

ハッカーの能力には疑問を感じた。かなりのサイトは侵入できると思うが、敵だって大事な情報を隠そうと工夫はするだろう。外部と物理的に遮断したネットワークだけを作られたら、情報を得ることはできない。ハッカーだけではなく、人から直接的に情報を得る力も必要。個人のハッカーが活躍しても、少し現実味に乏しい。

この作品を観て、まず思ったのが「まさにデビッド・フィンチャー風だ。」という印象。彼が好みそうな気味の悪い描写、エログロタッチあり、サスペンスあり、やっかいな謎解きがあり、個性豊かな犯罪者ありの路線。フィンチャー版のほうが後のはずなんだが、彼のための企画と本人さえ思ったに違いない。同時進行でハリウッド版も企画されていたのかも。

複雑なプロットをあらかじめ作り、猟奇的犯罪の色を加え、正義の側にも心の問題があり、犯罪者側は手ごわい・・・これらが受ける条件であることを彼らは経験的に知っているようだ。怖がりの私なんぞは、観るのに耐えられなくなりそうだが、かろうじて鑑賞できる程度に映像をぼかしてあった。

猟奇殺人を描いた作品だから、当然ながら子供には見せたくない。恋人と観るために、こんな作品を選んだらきっと人格を疑われる。相手がスリラー好きかどうか、ちゃんと確認しないと、こんな映画は嫌われる原因になりかねない。

正直な感想として、こんな映画は悪趣味な作品にすぎず、面白いといった感情は出てこない。よく考えて作ってあり、企画力は素晴らしいなと思うものの、楽しんで観るタイプの作品とは感じない。でも、楽しめる人も多いのか?

猟奇殺人のシーンに強い興味を持ってしまう人は、たぶん多い。大きな市場があるようだ。自分を守るために残虐性を見せ付ける必要があった時代の、野獣の記憶が形を変えたものだろうか?あるいは性的な倒錯、性的なものと残虐なものが脳の中で区別できないといった構図があるのか?両方とも生き残りに関係するから・・・

今は平和な日本だから、刀でいきなり切りつけられることは少ないが、百年ちょっと前まではかなり日常のことだったはず。戦争中、占領中も酷いものだったろう。暴力、性犯罪、リンチがない時代のほうが稀。終戦後の避難民の体験談が新聞に連載されているが、暴力や犯罪に満ちている。立場が悪くなるとすぐに暴力が襲ってくるから怖い。

戦いを生き残ってきた祖先の血は、必ず我々の中にある。条件さえ整えば、私だって猟奇殺人をやらかすかもしれない。充分に短気だから。でも一定の趣向、傾向はあるのでは?暴力で性的興奮を感じるとは思わない。ただし、例えば兵士になったとして周囲の仲間が皆で集団レイプをやっている場合に、やるなと言えるかどうかは疑問。軍の内部で独自の言動は命に関わる。仲間から殺されかねないし、敵も弱い相手から攻撃してくるから、生きていたければ何も言えない。

そんな社会的理由じゃなく、映画のように猟奇殺人鬼が多数の女を惨殺し、家族もレイプ、弁護士は保護中の娘を襲う・・・救いようのない暴力社会が、現実なんだろうか?法の支配が及ばない土地では、いまだに暴力に満ちている部分はあるだろう。無茶な人間は多い。黒人に対する暴力は、今でも酷いはず。

5月25日のAKB48の握手会で、若い男が刃物を持って暴れたらしい。わざわざ若い娘を狙って怪我させる感覚がさっぱり分からない。無差別殺人鬼なら繁華街というのが相場なんで、彼の場合は何か性的な意図があったのかも知れない。私なら女性は狙わない。あえて可愛い女性を狙うのは、何か理由がありそうな感じ。

ウクライナ東部やタイ、エジプトの政情は酷いようだ。選挙を妨害しようとする勢力が投票箱を壊したり、空港を襲ったり奪回されたりの派手な行動に出る理由が分からない。今の銃火器は物凄く高性能なんで、狙ったら外れない。その前に立って行動できるのは無茶か、訓練された人間かしか考えられない。彼らの仕事はどうなっているのだろうか?誰かからか金をもらってない限り、長期間にわたって町を占拠するなんて難しい。そこまでやって敵を圧倒できたとしても、国の政情が落ち着かない限り、景気は悪化したままだろう。経済的な面で得はしないと思う。

仮に収入が減っても、自分が強い立場に立つことを大事と思うなら行動に出れる。あるいは、暴力を見せ付けて優位に立とうとするならできる。相対的に惨めな立場に立つくらいなら、危険を犯してでも攻撃に出て、相手を圧倒することに意味があると、動物と同じように考えられる。生き残りの本能。それしか考えていないのか?

暴力が支配する怖い状況では、生き残らないといけない。集団全体の利益より、まず自分の優位な立場作りに徹する人は多い。ただ、そんな人ばかりだと、過激さがウリになって組織全体の道を危うくする。旧日本軍が陥ったような、失敗の連鎖が待っている。

実力行使は制限しないといけない。殺気立つ人を皆無にすることは出来ないが、頭を冷やさせ、扇動に乗らないようにルールを示し強制力を知らせる、自分の利益以外の組織全体の利益にも眼を向けさせる仕組みが必要。宗教だったり、法律だったりが、その役を果たして来たんだろうが・・・それが現実には維持できないんだが。

総理の頭も冷やせると良いのかも知れない。閣議決定で憲法を無力化するといった意味の発言を堂々とやらかすなんて、悪影響も考えて行動してると思えない。「日本が軍国化している」といったナンクセをつけさせない、入念な手順が必要。

もしかして総理個人の手柄がどうしても欲しいのか?テレビで派手に解説するなんて、総理がやる必要はない。広報係で充分。閣議や国会など、正式な場所では解説が必要だが、国家の利益を考えるなら、場所は考えたほうが良い。自分に酔ってはいけない。クールでないと、敵に材料を与えてしまう。

 

 

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