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2014年5月13日

狩人と犬、最後の旅(2004)

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- なぜ出演? -

実在の狩人ノーマン・ウインター氏の、伝記または記録のような作品。BSEテレで鑑賞。開発によって狩場を失いつつある狩人は、今年を最後に引退を考えている。最後のはずの旅で、彼は氷の湖に転落してしまう・・・

・・・カナダかアラスカだろうと思うが、ロッキー山脈のどこか、湖や高い山々が点在する地域で生きる狩人の物語。美しい自然や、ドラマ展開に感動した。途中の流れも美しい話だった。監督とノーマンは知り合いらしく、エピソードも実体験かもしれない。

とにかく、山々や湖の光景が非常に美しい。指輪物語の映画で見るニュージーランドの山の光景も美しいが、さらに広範囲に山が広がった感じで、その壮大さに驚く。景色をみるだけでも意味がありそうな作品。

この作品は、ドキュメンタリーの要素が強いので、子供達の理解を得られるかは解らない。おそらく小学校高学年にでもなれば、感動するかもしれない。生き方の提示をされているかのような、そんな路線。恋人といっしょに観るのには向いている。だからヒットしたんだろう。

奥さん~同居人役はインディアン系の女性だったが、本物か役者なのかは不明。日本人みたいな顔だった。昔の青春映画の女優のように飾り気がない。彼女が実際のパートナーだとすると、主人公のパートナーとしては最高だろう。白人女性だったら、おそらく喧嘩別れになるはず。

わざわざ山の中で、ほとんどの時間は一人で過ごす生活になると思うが、インディアン女性もよく意義を見出しているなと感じざるをえない。せめて子供でもいれば違うだろうが、子供の教育問題や資産問題が出てくると、実際のところ、別れ話が発生するだろう・・・

途中のBGMで何度かカントリー調の曲が流れたが、この作品には似つかわしくない印象。自然に対する敬意を表す場合、効果音や管弦楽のような音楽のほうが良かったはずだ。何人かで旅をする物語だったら人間が中心になるのでカントリーでも良い。所詮、欧米人達には、そのセンスがないのか?

この作品にはいろんな制作会社が関わっていたようだ。日本の会社らしいロゴも出ていた。面白い企画と考えたのだろうし、監督が有名な冒険家らしいので、協力者も多かったのだろう。

買い物をするドーソンという町は、たぶんカナダ北西部の町だろう。近くにはインディアンの居留区があるようだ。同居人もそこいらの御出身かも。

主人公のノーマン氏が、この作品を作ることに同意した理由が気になる。普通なら、こんな生活をしたい人は、そのまま放っておいて欲しいだろう。自分の生き方を公表されて、もしかすると誰かが邪魔をしに来るかもしれないとは考えなかったのだろうか?殺しに来る変態だっているかも。

カヌーや犬ぞりで移動する姿には魅力を感じた。普通、北米の住人はエネルギー問題には興味なく、ガソリンを大量に消費する車やスノーバイクを乗り回すだろう。バイクなら移動できる距離が違うはず。よほどの変人でないかぎり、犬ぞりにはこだわらない。こだわりは魅力であるとともに、何かの偏狭さもあるのかも。

ただし、悪く言ってはならない。その生き方を実践しきれているなら、それは立派なこと。もし妻を残して死んでしまったら、残された者が可哀相・・・といった考え方をせず、死んだらその時さ、と割り切れるなら、何の問題もない。やはり、子供がいるかどうか、奥さんが元気で自活できるかどうか、そのへんの事情が大事なのだろうか?

もし奥さんも高齢で、一人になったら行くところもなく生活が成り立たないなら、そんな状況で危険な旅を繰り返す夫は、偏屈者の役立たず、考えの足りない人物と言われても仕方ない。そこを覚悟しないと、あんな生活はできないし、伴侶を得る資格もないことになる。

もし本当に一人で暮らしていたら、どうだろうか?途中で登場した老狩人はそうだった。彼の場合、犬も手放しているから、本当に孤独で、映画にしても絵が成立しない、味気ないという面はある。孤高だから良いとは言えないようだ。

アラスカを旅して亡くなった若者を描いた映画「イントゥ・ザ・ワイルド」の時も思ったが、荒野で暮らすのは魅力を感じる生き方であっても、彼らが何を求めていたのかの理解は難しい。そこで成長する、学ぶ、何かが完結する、そんなものが期待できないと、価値を見出しにくい。私の感覚が凝り固まりすぎているからだろうか。

社会の掟に縛られた感覚。放浪の自然児の場合は、責任まみれの縛られた生き方で考える必要はない。こんな生き方もありうるということ。

犬とのかかわりを大きく描いた点は非常に効果的だった。仮にエスキモーが犬を大事にすることを描いても、それは当然なんで興味を惹かない。エスキモーでない人間の場合は、その意外性もあって、孤高の存在のような、気高いものを感じる。

犬の一頭一頭に、よく頑張ってくれたなどと声をかけるのは良いシーンだった。実際にも命がかかっているから、ただの飼い主とペットとは関わり方が違う。

日本の山の場合、山が険しすぎることもあって、犬ぞりでの移動は難しい。北海道なら可能かも知れないが、それでも既に開発が進みすぎて、スノーモービルのほうが現実的。動物を採取すると、鹿以外の場合は法律に触れそうだ。マタギたちが活躍した時代の復活は無理。

明治時代までは成立していたと思うのだが、人口密度や土地の広さから考えて、狩を中心とした生活は無理だろう。おそらく農業がメインで、農閑期の冬場だけ狩をする程度だったのでは?

主人公の理屈、「自分が余分な動物を処理するから、生態系が成り立つ。」は、本当に正しいかどうか確かめようがないと思う。学者達と連携して、「今年は熊何党、鹿何頭、シャケ何匹捕獲。」といった計画性がないと、正しいバランス作りに役立つかどうか解りようがない。

実際に役立っているかもしれないが、日本の捕鯨と同じく、ご都合主義の理屈ではないかと思えた。少なくとも人間の狩人がいない時代も、なんらかのバランスは成立していたはず。

 

 

 

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