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2014年4月10日

東京公園(2011)

- ささやかさの表現 -

カメラマン志望の青年。ある男から女性の監視と盗撮の依頼を受ける。それにより、彼の姉や女友達との関わりにも変化が訪れる・・・

BSプレミアムで鑑賞。私には理解できない人間洞察が作品の根底にあるようで、大きなドラマは起こらないままで物語は成立していた。こんな作品のアイディアを考えついた原作者に感心した。現代小説をよく読む人でないと、この手の「心のあや」を微細に描くタイプの作品は分かりにくい。

演じていた三浦春馬は、元々のキャラクターなのか演技力のためか、極めて草食的な青年像を上手く表現できていた。微妙に表情を変えて、ニヤリと笑ったり、呆れたような表情を見せたり、その微妙さ加減が上手かった。ジャニーズタレントの多くが見せるような学芸会風の無理がない。女性的な細やかさを感じる。

女友達役の榮倉奈々は、私はミスキャストと思った。もっと野性的な女優か、お色気の漂う長澤まさみが最適ではないかと思う。でも、ラスト近くで小津安二郎風に互いが正面から向き合って会話するシーンは、笑顔が可愛らしい榮倉の魅力が充分に出ていて好感を持った。でも、考えようによってはスネたような表情のほうが、女性らしい感情を表現できるのかもしれない。

小西真奈美が姉の役を演じていて、独特の目つきで女性らしい込み入った感情をうまく出していたと思う。彼女はテレビドラマで見ていても、非常に細かい演技ができて存在感がある。主役を演じるのは集客力の点で無理かもしれないが、この手のドラマには欠かせない人だと思う。

オカマのバー店主を演じた宇梶は、私としては不自然な印象があり、やはり別の男優の方が良かったのではないかと感じた。もちろん演技自体は非常に上手かったが、本当にバイセクシャルなのか疑えるほどの実在感は感じなかった。

この作品の性格から考えると、この役は実在感があったほうが効果的ではないかと思う。本物の倒錯者でいいと思う。悲しみの表現が真にせまっていたほうが深みが出る。自分の業を悲しみつつ、運命を受け入れる気構えのようなものは、やはり本職に任せた方がよくないか?

この作品を観て感動できる人が羨ましい。うっすらとは分かるが、共感はできない。ささやかな愛情や、心の触れあいについて、鈍感な自分には分からない微妙さがあった。もし、自分の義理の弟に恋をしていたら・・・、または女友達が頻繁に自分の部屋を訪ねて来たら・・・そんなことは自分には実感のある話として感じることができない。

若い頃に、もし榮倉奈々のような女性が部屋に来たら、私の場合は抱きつくことしか考えなかっただろう。そんな私の野心に女性の方も気がつくから寄り付けない。そのような悪循環によって、榮倉嬢的女子との出会いはなかったような気がする。鼻息が自然と荒くなってしまうから隠せない。

そんな私のような人間が、よく結婚できたものだが、それは私よりも野心にあふれた家内がやってきたからこそだろう。野心はささやかさを超越するのだ。細やかな配慮、些細な感情のもつれには、どうも興味が湧いてこない。

ささやかさに関連して、少々話題がずれる。

古い考え方になるが、例えば細やかに配慮が行き届く人間が、多くの人に評価され信頼されて出世し、大きな会社を動かし・・・でも、もしそれが東京電力だったら・・・つまり優秀で細やかな人を支持する人々は、自滅する結果となる。ついでに周辺の町も破壊する。

政治家の多くも、人に支持されるからこそ政治家でいられるわけだが、その支持される理由というのは、多くの場合は支援者への配慮、予算を取ってくる交渉力、地域のボス達との関係が良いかどうか、あるいは見た目の雰囲気などではないか?

雰囲気・・・つまり、こちらの甘えに応えてくれそうか、融通が効きそうか、贔屓してくれるかといった個人的な感覚。これは、やがてその人物が社会にもたらす結果への懸念より、まず最初の段階で強い印象を残す。

秘書から代議士になった人達には、地元との折衝をやりこなす実務能力、配慮の手際を買われて地盤を次ぐものが多い。確かに代議士も勉強し、折衝し、案件を進めていく能力は必要だが、それだけで代議士が勤まるはずはない。それに彼らの地元が優遇されると、どこかにシワ寄せが出るものだ。配慮が、その人の人格まで規定すると考えるのは正しくない。

不遜な態度をとる人物にも、良い人間はいる。社会の利益を最優先するセンスには、ある意味で実社会のことを諦めるセンスも必要。すると、どこかいい加減になる。社会に誠実でありたいと願えば、わがままな欲求に従うことは躊躇する。相手からすると、「気持ちの分からない頑固者、冷徹なヤツ、独善家。」と写るとしても、それは非道な態度ではない。でも、優秀で配慮に満ちた人物が導いた非道な行為は、けして珍しくはない。

会社を破綻させたカリスマ社長も、一時期の都知事も、国を破綻させた軍人達も、支持者の要求に忠実に従った非常に優秀な人間だったはず。圧倒的に支持され、そして破滅に向かう。野心や過剰な生き残りの意識が、判断を狂わせる傾向を生み、悲劇につながりやすいのだろう。

全く精細さに欠けてガサツであろうとも、公正であるべき点に公正であれば、全体的破滅は免れうる。個人的な野心に、細やかな配慮に、どこか冷めた部分がないといけない。もし自分の頑張りが社会の破滅につながるとしたら、後悔するだろう。私としては、破滅のほうが怖い。

ここで述べたのは、もう皆が忘れた考え方かも知れないが、自分だけ贔屓されようといった生き残り策は通用しない時代だと思う。

 

 

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